第23話 調理実習
「それじゃあ開始です。各班、これまでで立てた計画に基づいてしっかりと調理を行うように。時間と材料が余った場合は追加で調理してよいこととします。
…ケガとかしないでよ?先生責任取れませんからね?」
――ここは俺にとって数少ない腕の見せ所、調理室である。
今は調理実習の時間。男はボイコットするか皿洗いに専念するかがうちのクラスでは基本のスタンスだが、流石にそんなことをしていると知られては姉さんに何を言われるか分かったものではない。
家庭科の調理実習は基本的に女子がやりたがるのでいつもはあまり調理に参加していなかったものの、今回は久々に腕を揮うことにする。
流石に学校の調理室ではできることは限られてくるとはいえ、そこを何とかするのが料理ガチ勢の姉をもつ弟の仕事だろう。
今回のものはさして時間のかかるようなものでもない。簡単なお菓子作りだ。
お団子だったりクッキーだったりいろいろあるが、我が班の女子が選出したお菓子は『カップケーキ』である。割と定番ではあるが、なかなか良いチョイスだと思う。
カップケーキを作るのはさして手間がかかるものでもないのだ。勿論手間を加えればそれなりの時間がかかるのだが、初心者でも簡単に作れる。
簡単に言えば材料流し込んであっためたオーブンで焼くだけ。失敗もしにくいし、お手軽なので女子としては外せない選択肢だったのだろうか。
ともあれ個人的に配分を変えたり、中に入れるものを変えてみたりしても味の変化が楽しめるので一人一人の個性が出せる。
飾りつけでも差別化ができるので、俺の個性も出しやすい。実に助かる。
「あの、宮野くんも作るんだよね?」
「そうなの?宮野くんっておかし作れるって聞いたから楽しみ!」
「…まぁ、少しね。あんまり期待されても困るけどな。早く始めようぜ。時間が惜しい」
お菓子作りとは時間との闘いである。如何に手際よく仕事ができるかが出来上がりに関わってくるといっても過言ではないだろう。まぁこれはどの仕事においても言えることなのかもしれないが。
加えて女子の輪の中にいるのは落ち着かないのでそれとなく調理を開始するように促す。
「宮野ぉ…それかぁ?お前がモテる原因はぁ?」
「落ち着けよ明川どうしたんだ急に。目が吊り上がってるぞ」
「今度教えてくれよそうしたら僕もモテ…」
「それだそれだ。原因は。別にお前顔が悪い訳じゃないんだよ、むしろ黙っていればイケメンという呼び声すらあるんだよ」
「まって衝撃の事実すぎるこれで僕にも春が」
「はいその発言…品位落とし過ぎでは?」
俺の言葉にショックを受けたような表情をする明川。何故そんな表情ができるのか聞いてみたいがこれ以上彼の傷口をえぐることもなかろう。一応付き合いの長い友人だ。あまり辛辣になりすぎることもないはずだ。
だがそれでも絶望に打ちひしがれることはしなかったのは、黙っていればイケメンだという言葉の重みゆえだろうか。
やはり容姿を褒められれば誰だって嬉しいものなのである。思春期の男子中学生であるのならばなおの事。
イケメンというのは割と本当の話。俺でも好意を向けられることはあるにはあるが、それはきっと顔がいいというより口が上手いといった面による影響が強いと思う。
対して明川は結構…いやかなり整った顔立ちをしている。つまり容姿で人気を博している面があると思うのだ。たまに二人で街を歩いていてどこかの事務所の人だったり、お金持ちそうな女性に声をかけられることもあるほどで、ツイッターやフェイスブックなどで写真が出回ることもある。(なぜか俺まで巻き込まれる)
顔はすげえイケメンだと思っていい。日本人で例えるなら顔が羽生結弦で発言が志村けんだといったところだろうか。志村さんもいい人だけどそれはそれ。
発言がおかしいのはもはや日本国民の共通認識だろう。
でも黙ってればスケートどころかありとあらゆるスポーツをこなしちゃう天才肌。
これはモテるわそりゃそうだ。
「そうだよねぇ…明川は黙っていればかっこいいなってなるのにね…。サッカーとかやってる時不覚にもときめいちゃったりするんだけど発言がねぇ…」
「うんうん…根も悪い人じゃないってのは分かってるんだけど発言がアホだから…」
周りから聞こえてくる声も俺と概ね同じような感想である。やはりこの辺の価値観もみんな共通らしい。自己管理ができないアホなので――プリントの件はまだまともな方だといえば理解できるだろうか。あんなのはまだ生易しい方だ。
酷いときには『?今日って三者面談なの?』とか言い出すから。もうだめだわ。
「こんなことしてる場合じゃないんだよさっさと作るんだよ」
「お前にだけは言われたくなかったんだが…まぁいいや、反論一切できないし大人しく従うわ」
「そして僕に一生それを作り続けろ貢げ」
ガタッ。教室の隅々から何やら立ち上がるような音が聞こえたが、そんな音も背後の明川から投げかけられる言葉も無視だ。一々反応するのもめんどくさいしそんなのは壁にでも喋ってくれていればいい。
某ゲームのキャラクターのような言葉を胸にしてそのままお菓子作りを開始する。だがその工程もさして難しいものではなく、ただただ卵やホットケーキミックスなんかを混ぜてオーブンにぶち込めばいいだけの話だ。幸いにもオーブンは何台か我が学校にはある。他の後者だと電子レンジすら危ういと聞いたが流石にそれは嘘だろう。
電子レンジ程使い勝手がいいものもなかなかない。無いと時間効率が大きく下がってしまうのはもはや言うまでもない。電子レンジは手抜き…というイメージがある人もいるかもしれないがそれは気のせい…なのだが、ここで電子レンジについて語ったところで何の意味もない。
とりあえずは女子が他の材料を用意してくれている間に基本となる材料を混ぜていく。卵なんかはお菓子作りで使う材料の代表格だ。もはや割る動きすらパターン化されてきているような気がする。大丈夫だろうか僕は。
材料をいくつか投入して混ぜ合わせる。姉さん曰く、力はそんなに入れてはいけないらしい。言われなくても知っていますよ。そんなことは。
大体混ざったらあとは型に流しこむ。ちなみに姉さんは型に流し込むのがすごく下手です。
「えっと…あれ…?材料は…?」
不意に声が聞こえてそちらを見れば、飾り付け用のクッキーなどを手にした少女たちが困惑の表情を浮かべていた。所在なさげに目を泳がせているのは恐らく本来あるべき場所に材料がない事が原因として挙げられるだろう。
自分たちが少し目を離したすきに何処へ行ってしまったのか、といった表情をしている。
「あれ…すまん、もしかして別の用途に使うとかだったか…?全部混ぜちまった…」
予め他の少女たちが用意していたカップに同じ量ずつ注ぎ込んでいきながら、少女たちに声を投げかけた。もし少女たちが使おうと思っていたものであるならば申し訳ないことをしてしまっただろうか。それともこうしてわいわい作る過程を楽しみたかったのだろうか。どちらにせよお菓子作りに無駄に熱を込めるクラスメイトの男子のせいで自らの楽しみが奪われた状態だ。
冷静に考えてみて俺は勝手に暴走した挙句、女子の楽しみを奪っているということに
何を言われても文句は言えない、ごめんエレナ、先に逝くぞ。
「…手際良すぎじゃない?」「なんでもう半分くらい工程終わってるの?」「ちょっと家庭的なところ見せようと思って練習したのに…あれ?」
非難に対して防御を固めていた俺に向かってくる攻撃は、無かった。
聞こえてくるのは怒りというより戸惑いの声。その内容も本来あるべきものとは少し違っていたような気がした。聞いた感じ悪いように言われているといった印象は薄い。ただ純粋に驚いているというか…大体そんな感じ。
「…あの」
「…あぁ、いや、別に怒ってるわけじゃないんだよ!ただその動きが…日頃から作ってる人の動きだな、って思っただけで」
女子の一人が言うと周りの子も同じように頷く。どうやらその表情や声音を聞いていても俺を欺こうといった意思は感じられない。ただそう、単純に誤解を生まないように必死に事実を伝えようとしているといったイメージ。
何にせよ嫌がられているとか疎まれているとか嫌われているとかではないということだけはわかったので少し警戒の構えを解く。
「まぁ、確かにうちは母さんも姉さんもエレナもお菓子好きだからなぁ…結構作る機会はあるよ?週に三回とか四回とか作ってる気がする。もちろんそんなに凝ったものは作らないけどさ」
「そうですよ!私が保証します。アヤくんのお菓子とっても美味しいです!」
「っ!?…おい、急に後ろから抱き付いてくるなよエレナ」
「申し訳ございません、もしかして嫌でしたか?」
「違う、こぼれる。材料にはある程度の余裕を持たせてあるとはいえ、食べ物は粗末にしてはいけない。おーけー?」
「おーけー!」
背後で嬉しそうにより一層強く抱きしめてくるエレナに対して結局そうなるんじゃん…と苦笑しつつカップに注ぎ終える。
女子たちの選んだカップはカラフルで如何にも女子っぽい。女子ってなんでセンスで女子って分かるんだろうね。女子だからかな。女子女子うるせえな俺の思考。
そんなよく分からない謎理論を脳内で展開しつつ、女子たちに指示を飛ばす。
「あぁすまん、誰かオーブン温めておいてくれないか?時間はそんなにかけなくていい、ある程度温まっていれば細かい調整とかは気にしなくていいからさ」
「はいはーい…エレナちゃんほんと羨ましい」
「何かおっしゃいました?」
「何も言ってないよー」
そういってとたとたとオーブンまで早足でいったその少女がオーブンを操作し始めたのを確認し、用意されていたトレイに乗せていく。
あとはこれをオーブンに入れて数十分待つだけ。あとは個人が好きな飾りつけをしていけば完成だ。
「これが…宮野クンの手際…女性を扱うときの様に軽やかな動き」
「やかましいわ人聞きの悪いこと言ってんじゃねえよ。もう少しでできるから待ってろ」
「アヤくん!私の分は!」
「帰ってからおんなじの作ってやるから我慢しろ」
「宮野クンのお菓子…独り占め?」
「そうかもしれんけど言い方に悪意がありません?」
「アヤくんは私のものですからね!お菓子がわたってもアヤくんは私のもので確定です。決定です。絶対です!」
…うるせぇ。内容としては誇らしいものばかりだがこの場所においてはただただ注目を集めている要因でしかないんだよ。
こうして俺の憎悪値は高まっていくのである。
佐原は前よりも俺にかまってくるようになったしなんなんだ全く。
そんでもって十数分後。俺は何故か他の班をアシストすることになっていた。
しかし恐ろしいものがある。チョコを溶かそうとして何故か直接鍋にぶち込みだすのだ。流石に本気で意味が分からなかった。
何かの冗談かと思ってしまうほどだったが、チョコを扱わないとやはり分からないことらしい。
あと別の班。卵割るの下手すぎでは?
いや別に不器用な人がいても仕方がないとは思うけどさ。違うんよ。
殻が中に入っちゃったとかなら可愛いし許せるし何とかなるしでいいんだけど。
違うだろ。『ひよこが出てきたらどうしよう』は違うだろ。
理科の授業を受けているのか貴様。生物分野を一から学びなおしたほうがいいと思います。
「宮野クン…先生より手慣れてない?」
「…は?流石に本職の人には負けるよ?確かにいっつも作ってたりレシピ見てたりするけど教える立場の人と比べると…ですよね?先生」
仕方がないのでよく分かっていない女生徒の背中側から手もとを掴んで教えてあげていると佐原が隣から手もとを覗き込むようにして声をかけてきた。
それに対する返答は真面目なもの。要するにマジレス。
もちろん人よりは慣れている自信はあるけれど、それはあくまで同年代の人間と比べて、だ。百歩譲って通常の大人より経験が豊富だったとしても、教えることを生業としている先生に敵うはずなどない。
「えっまって普通に先生よりうまくない?もう先生仕事辞めていい?」
「??????」
「もう教え子に腕前超えられたとかもう無理なんだけどは?あとその手捌き何?もう無理。養ってあげるからうちこない?」
「「「「「??????」」」」」
教室中が疑問符で埋め尽くされた。先生を立てるような発言をしたとこまではわかる。だがそこから先だ。意味が分からない。心から意味が分からない。
これはもはやプロポーズとすら取れる発言である。ともあれ俺はエレナしか見ていないし、先生のもとへ行くつもりもない。そもそもいけない。
「落ち着いてください。今先生は沼を見つけた腐女子のようになっています。どうか落ち着いて」
「これが落ち着いていられると思っているのですか!」
バン!と音がするほど手のひらを机に叩きつける先生。眼鏡をかけた二十いくつかの先生であり、最近教師になった若い先生である。
もちろんこの授業を担当している以上家庭科担当なのだが、こんな熱烈な人だっただろうか。俺の記憶に間違いがなければもう少し聡明で冷静な人だったと記憶しているのだが。
物腰柔らかで声も若干アニメ声の小柄な先生。顔立ちはそこそこ可愛らしく、密かに合法ロリと呼称されていたような気もする。
赤色のフレームの眼鏡は理知的な印象を抱かせ、家庭科の先生であるというのに常に来ている白衣が身長や表情、年齢以上に大人びた印象を抱かせる。
たまに眼鏡をはずしたときのギャップはたまらないらしい。ちなみにそのギャップは俺であっても少なからず理解できてしまうほど。
「教え子のイケメンくんが私よりお菓子作り上手なんですよ!よく分からないですが明川くんともフラグを立てていましたしなんというか私のレーダー的にドストライクです!」
「先生。僕まで混ぜないでほしんですが!!!!」
「俺を標的にするのもやめてください、困ります。俺には心に決めた人が…」
「誰ですか!誰だか知りませんがそんなことを言いだしたら私は死にますよ!」
「もうなんですか勝手に死んでください」
「…いい!そのドS加減もいい!」
端的にいって気持ち悪かった。この状況で明川がツッコミ側にいるという時点でまずおかしい。こいつも基本的におかしいのだが、こいつが仲間に入れないほど頭が可笑しいと考えればもはや異次元の領域である。
美形だと言われていた先生のこのような状況を目にしてSAN値がゴリゴリ音を立てて減っていっているような気もするが、それほどまでに異常、異端、恐怖と言い換えることすら可能であろう。
「分かりました諦めます!で!誰なんですか!その心に決めた人というのは!
先生の初恋を踏みにじったんです!それくらい教えてくれないと納得できませんよ!」
あぁうるせぇ。
そして一つ質問をしたいのだが、周りの女子よ。そんな興味津々に俺のほうを見ないでくれるかな。ひどく落ち着かない。
女子という生き物は等しく恋愛談が大好きと姉さんに聞いたときは嘘かと思ったがあながち間違いでもないらしい。
「誰だと思います?」
「私ですね!アヤくん!!こんなところで告白だなんて大胆です!」
「そうだよよく分かったなと褒めてやりたいところだが今はそれどころじゃないんだよ戦争が起こりそうな勢いなんだよ主に男子方面から」
背後から伝わってくるプレッシャー。物量すら伴っているそれは明らかに男子たちの怨嗟によるものだろう。見なくても分かる。空気が濁り始めているのが如実に感じられる。明川はもはや『またか』という顔をしているのだが、そこまで慣れきっていない他の男どもは俺の首を虎視眈々と狙っている。
一触即発。何かきっかけ――そう、
…チーン。
なんとも間の抜けた音が静寂の中に響きわたった。言わずもがな、俺がオーブンにぶち込んでおいたカップケーキが焼けた音である。
水が波紋を呼ぶように、一度落ちたふざけた雰囲気は伝染していく。
「…ふふっ」
誰かが笑った。
それを皮切りにして伝わっていく。そこかしらで笑いが漏れ始め、張りつめていた空気が凄まじい勢いで弛緩した。
もはや脱力しきったと言い換えてもいい。
「アヤくん…ちょっとどうしてくれるんですかこの空気。責任取って結婚してください」
「今度な」
「いやです。今誓ってください」
「調理室で誓われても困るだろ」
「じゃあ今夜でいいです。今夜が初夜です」
「そろそろ口を噤めよ。明川を見ろ。今にも死にそうな顔してんぞ」
「明川くんなんて見てないです、アヤくんだけを見ていたいです」
ちなみに、調理実習で作成したお菓子が甘すぎたということで文句を言われた。
そんなものは俺の責任ではない。知るか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます