第22話 依存

 窓の外の景色がゆるやかに流れていく。川辺で遊ぶ少年たちがいたり楽しそうに談笑する主婦など様々な人達が景色には満ちていた。

 平和…というには大袈裟ではあるが、かけがえのないこの緩やかな時間の流れというのも大切だろう。自分の時間ではなくとも、楽しそうな人を見ているとこちらの気持ちも安らいでくる。

 そんな彼らにも人並みに悩みがあり、葛藤があり、迷いがあるのかもしれないが、それはともかくとしてありふれた尊い景色であることには変わりはないだろう。

 今はちょうど登下校のルートにおける中間地点。もうしばらく車を走らせていればじき見慣れた風景が目に飛び込んでくるはず。ただ、こんなに物思いに耽るということはどうやら俺も疲れがたまっているということなのだろうか。

 最近は勉強なんかでストレスがたまっていたことも理由として挙げられるだろうが、やはり周囲の目線が一番の原因に違いない。

 そもそも前はそんなに視線を集めることもないどこにでもいる平凡な人間だったのだ。勉強も中の上くらい。運動も人並み、特技といえばお菓子作りくらいのものだが、それを学校で披露する機会などありはしない。

 よって平凡な人間としてあるいみ存在を確立させていたわけであるが、その存在を転校生の出現によって根元から圧し折られた。

 愛しき白銀の美少女、エレナ=ログノヴァである。幼馴染どころか家族のような存在であった彼女が戻ってきたのはごく最近。というか昨日。

 彼女の存在一つで俺の周囲を取り巻く環境は大きく変わった。異常に視線を集めることは勿論のこと、様々な人間から声をかけられるようになった。

 理由としてはエレナと話をしたい…!とかそんなところだろうか。女子に話しかけられる経験が少ない身としては、女子の集団に声をかけられるとどうしてもたじろいでしまうので勘弁してほしい。

 ともあれ、そんなこんなで顔を合わせた人間は大きく増えた。違うクラスどころか学年まで異なる生徒がやってくるあたり、エレナの人気や評判といったものは相当なものであることは想像に難くない。

 幼馴染のひいき目を考慮したとしても美少女だ。それが外国人となれば日本で注目を集めるということも頷ける。

 そんでもってその隣に俺がいれば怨嗟を向けられるのも必然的なわけで。エレナがいると苦労人になってしまうが、仕方のないことだろう。このポジションだけは誰にも譲る気はないし、そもそも俺以外に勤まるとも思えない。

「…すぅ」

 膝の上で寝息を立てる少女に今度は目線を移す。

 稚い表情の少女は陽だまりで丸くなる猫の如く、気持ちよさそうに寝息を立てている状態だ。

 …あまりに気持ちよさそうだから少し頬っぺたを突っついてやろうか。

 ふに。ふにふに。

 女の子特有の柔らかい感触が指の腹を通して伝わってきて、そこで初めて自分が背徳的な行動をしているという事実に気が付いた。

 一緒に寝たり風呂入ったりとかしてる時点で今更感はあるが、それはそれ、だ。

 傍から見たら――いや実際にそうなのだから否定することなど出来ないが――眠っている女の子に悪戯をしているようではないか。

 間違いなく学校のやつらに見られたら性犯罪者のレッテルを貼られてしまう。

 速やかに手を引くのが最適解であることは明白だ。ならばそれに従うまで。


「…やめちゃうんですか?」

「っ…起きてるなら言ってくれよ」

「アヤくんはこういうの好きなのかな!って思いまして」

「それとこれとは話が別だろ。正直自分でも何やってるんだろう、ってなってるレベルの案件だぞ。嫌がれよ」

「嫌がられたい…そういう趣味でしたら私もお付き合いしますね…?」

「違う、そうじゃなくて。こう、なんだ?寝てる時にいろいろされてるのは嫌だと思うからそこははっきり意思表示したほうがいいって言ってるんだよ。俺がやっといて何言ってんだって話かもしれないけど」

 そう。親しき中にも礼儀あり、というのは日本の諺だがきっとエレナも知っているはずだ。何せ日本で暮らしていた月日の方が遥かに長い。ロシアに関連する知識の方が圧倒的に少ないはずである。

 その上で我慢を強いているのなら非常に申し訳ない限りだ。

 信じているが故の猜疑心と言ったところだろうか。信じたいからこそ、疑ってしまう。皆一度は経験があるのではないだろうか。

 親でもいい、友人でも、兄弟でも、姉妹でも、恋人でもいい。対象の違いはあるかもしれないにしても、相手にとっては深い意味のない行動であっても『もしかしたら疎まれているんじゃないか』『迷惑なんじゃないか』ととられてしまうこともある。

 実際俺とエレナだってそうだ。今でこそここまでベッタリだが、昔は人前でここまでくっついてくることは無かった。

 家の中ではその分甘えてきたりもしたが、学校に行っている時などは俺よりも他の友達のもとへ行ったりしていて子供心なりに嫉妬したものだ。

 もしかしたら嫌われているのかもしれないと何度考え、悩み、落ち込んだかなど数えだしたらそれこそキリがない。実際は『人前でくっついてたらいろいろ言われて恥ずかしい』といった単純な理由だったが、相手の存在が自分の中で必要不可欠なものだった場合には間違った捉え方をしてしまって勝手に落ち込んでしまうということも多々ある。

 今も多分、その状態だ。こちらとしては何の気なしにやっていることだが、相手にとってみれば気持ち悪かったり嫌だったりするということもあるだろう。いや、実際にそういうこともあると聞く。

 なので一応そういう話をしたのだが…。

「今更何言ってるんですかアヤくん!別に嫌だったりしませんよ?むしろほっぺだけじゃなくいろんなとこもえへへへへ」

「心配した俺がバカだった」

「そうですよっ…!アヤくんにだったら何されても…」

 …いいんです、そう言いかけてエレナは考え込むような動作をする。

「――あ、やっぱりひとつだけ嫌なことがありました」

「…それは?絶対しないようにするから教えてほしいんだが」

「今後?絶対?永久に?一生ですか?」

「ああ」

 正直一生と言われたらずっと一緒にいるみたいだなぁとか寝ぼけたことを言ってしまった自分がいることにちょっとイラついたがそれはそれ。

 エレナが傷つくところなんて見たくもないし、それが自分自身によるものだったならばいくら悔やんでも悔やみきれないだろう。それほど俺は彼女に『依存』している。

 自分の心の拠り所であるその存在を否定することなど俺にできることではないしするつもりもない。

 彼女が嫌がったとしても依存していく気ですらある。実にみっともなく情けない思考回路だが事実そうなってしまっているためもうどうしようもない。

 生活の一部として存在しているエレナという存在は一生俺の中では唯一不変だということはこれまでの生活を考えれば想像に難くないし、実際の所そうに違いない。

「――秘密ですっ」

「は?」

「だから、秘密ですって!でも今の言葉で安心しました、アヤくんなら絶対しないって確信が得られましたから。心配しなくても大丈夫です。アヤくんが私のことを大切だって生涯言ってくれるならそんなことは起こりませんので!」


 ――疑問点は拭えなかった。自分が本当にできるのかどうか不安にもなった。

 だが目の前の瞳と目があった瞬間、そんなわだかまりは消え去り、胸中に満ちていた黒い霧は霧散した。

 伝わってくるのは今、いや、今までもこれからも、きっと彼女は俺を信じているであろうということを予想させるに十分すぎるほどの信頼。

 だから彼女に対する疑念は可能な限り捨て去る。

 要するに、気にしなくても大丈夫。そういうことだろうから。







 だったら俺は、それに応え続けていく。それだけだ。


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