第21話 眼差しがこわい

「アヤくん!帰りましょうか!お姉さまもそろそろお迎えに来ていただけるでしょうし!アヤくんのデザートも期待してますし!」

「ハイテンションになるほどの案件かそれは…確かに料理のうちでは得意だけど、姉さんとかと比べれば全然普通の事だと思うんだけど。

 そもそも材料あったかなうちに。無いなら帰りに寄ってもらわないと」

 俺の言葉にエレナが僅かに口をへの字にする。むすっとした感じというか、ふくれっ面というか…それはそれで可愛いのだが、なんだかご立腹な様子。

「本気で言ってるんですか…お姉さまがいっつも言ってますよ?『アヤには酒の肴とお菓子作りの面だと一生勝てない気がするぅ…』って。あの料理の鉄人みたいな人にそこまで言わせるって相当の実力だと思うんですけど」

「いっつもってその空白の数年の間もやり取りあったのかよお前ら」

「アヤくんともいっつもメールしてましたし別段おかしいことではないのでは…それとも『こいつの話し相手は俺だけでいい』って感じの独占欲ですか!ありがとうございます!一生アヤくんのものでいいです!いやアヤくんのものが――」

「もういい黙れ…周りの目が痛い」

 エレナがしゃべりだしたときから注目は集まっていたものの、話す内容が俺への好意や俺との予定だったりの話だと分かると、その注目は嫉妬の眼差しへと姿を変えて俺に突き刺さるようになった。

 テンションが高くて頭上に『♪』でもついていそうなほどるんるんなので少し声も大きめだ。こんな彼女がいたら人生幸せだろうな、と思いつつ宥めようとするが…。

「もうっ、恥ずかしがらないでくださいよ!大体いい加減腹くくってくださいよこんなに好き好きオーラ出してるんですからちょっとくらい意識してくれても」

「いやというほど意識してるからほんとに静かにしてくれ頼むから…!」

「背中流してくれたら許してあげます!優しくですよ!」

「いいよ背中でもなんでも流すからほんとに黙れ殺される…」

 背後に突き刺さる視線がそろそろ質量を持ち始めている。射貫かれるのは時間の問題といっても過言ではない。背中を流すという行為と一緒に風呂に入るという行為は一般的に同義といっても過言ではない。

 非公式エレナファンクラブができつつある男子、及び非公式エレナ親衛隊が結成されつつある女子の両方から恐ろしい殺意を向けられるのはもはや必然である。

 これが有名な俳優どうしの付き合いだったりしたのなら仕方のないことだと諦めることができたのかもしれないが、白髪の天使の隣に立って純然たる好意を向けられているのが同級生の男子であるという事実が気に食わないのだろう。

 誰だってそう思うに決まっている。きっと俺が周りの立場だったら同じことを考えていたに違いない。


 けれども理解できるのと事態を受け止めることができるかどうかはまた別である。

「ミヤノ…オレ…コロス…」「ミヤノ…クウ…」「エレナちゃんを守るのよ!」「宮野には渡さないわ!」「コロス…」「守るわよ!」




 例えるなら今俺は、三日くらい餌を与えられていないライオンの檻の中に放り込まれているようなものだろう。

 黒崎先生が教室にまだ残っているからまだ最後の一線は超えられていないが、きっと誰かが動けば全員が一気にとびかかってくるに違いない。

『割れ窓の法則』というのをご存知だろうか。例えば家に無数に窓があったとしよう。それらの一つも割れていないという状況であれば、窓が割れるということはほとんどない。

 だがその一つが少し割れただけで、次から次へと窓は割れていく。人間の『オレだけじゃないし良くね…』っていう精神の話だ。

 高架下の壁の落書きだってそうだ。一度落書きが始まれば、あっという間に塗りつぶされてしまう。そういうものなのだ。人間って。


 なので俺は速やかに退散することにする。姉さんを待たせるのも忍びないし、何よりこの場にいては何時攻撃されてしまうかわかったものではない。

「エレナ、少し急ぐぞ。ついてこいよ?」

 少し急かすような口調でエレナに言うと何故か彼女はにっこりとほほ笑む。少し嬉しそうにしているところが意味不明だが何ふり構ってはいられない。エレナが荷物を背負ったのを確認してから彼女の俺より一回り小さい白磁の手を掴む。

 そうすると一瞬驚いたかのように目を見開き、より一層嬉しそうに頬を緩めた。でれでれとして非常に情けない表情ではあるが、かわいいので文句はない。

「愛の逃避行ですね!いいですとも、貴方とならばどこまでも!」

「もうなんでもいい、いくぞ!」

 再びエレナが地雷をばら撒くが今更そのことを気にしても仕方がない。多少問題が増えたところで結局今の状況と悪化した状況に大差はない。

 だったら逃げるしかあるまい…!扉を開けて階段を駆け下りる。勿論エレナが転ばないように気を付けてはいるが、結構な速度で下りていけているということは、エレナの方も俺に合わせてくれているのだろう。

 正に以心伝心といったところだろうか。通じ合っているなんて他の人の前で言ったら調子に乗るなとメンチを切られそうな気がするので決して口に出すことはしないが。



















「…というのが先刻の出来事。どう思う?」

 いつもの車。後部座席に座り、足元にやたら重いカバンをおろして俺たちは姉さんの運転で帰路についていた。話をしている間にも傍らのエレナが猫が甘えるように頬ずりをしてきていて心拍数は僅かに上昇しているが、気にしていても結局こうなるのだ。

 最初からそれで当たり前というスタンスでいないと精神が過労死してしまう。

「どうといわれても…」

「そうだよなぁ…急にこんな話されてもねぇ」

 どうしたらこの状況を改善できるのか、ということを運転席で安全運転を心がけている姉に意見を聞いている最中である。先ほどの俺たちがしていた会話に興味を持っているようだったので一応話して聞かせた。

 安全運転してもらっているのに意見を述べろとはむちゃくちゃなことだと我ながら思ったが、姉さんは一切憤ることなく、静かに自分の意見を述べた。

「仕方ないんじゃないかなぁ…おねぇちゃんも今の話聞いててクラスメイトだったら嫉妬しちゃうし。エレナちんに」

「やっぱそうだよな……って姉さん今なんて言った?エレナに嫉妬するって言わなかったか?聞き間違いか?」

 思わず耳を疑った。姉さんは寝ぼけているのだろうか。嫉妬するならば間違いなく俺に対してだろう。ちなみに寝ぼけているなら可及的速やかに仮眠を取ってほしい。

 そもそも俺に嫉妬する理由が周囲にはない。俺に対してならばエレナや佐原と談笑しているのが気に食わないとかそういう理由がある。

 さしずめお前のような平凡な人間が…!といったところだろうか?佐原はある程度クラスに馴染んでいるので関わろうと思えば関わる機会はいくらでもあるからそこはなんとかなるとしても、見ず知らずの美少女の転校生と仲睦まじくしていれば殺意の一つや二つ向けられても文句は言えない。

 だがエレナに嫉妬するというのはおかしな話だろう。俺は別に人と関わることを拒んではいないし、仲の良いグループでは結構発言をしたりする。

 明川たちと会話する時など最もたる例で、人を避けているとかそういうのではない。

 よって俺に話しかける機会など死ぬほどあるし、何か要因があるならば日々の生活で解消できたはずである。

「んーん、おねぇちゃんはそう言ったよ。エレナちゃんだってそう思うよねぇ」

 信号が切り替わったタイミング。慣れた手つきでハンドルを操作しながら俺に体重を預けるエレナに向かって今度は話を展開した。

 言っている意味がよく分からないのは俺だけなのか…と隣のエレナを見ると実に幸せそうで悩んでいる自分がばからしくなる。

「はいぃ…アヤくんが他の人に取られるとか想像したくもないです…もし奪われたらそこには地獄を作り出すことも吝かではない…」

「何物騒なことを幸せそうな顔して口走ってんだお前。顔と発言が完璧にミスマッチ。大体なんでそんなにリラックスしてるんだよ」

「アヤくんの体温って世界で一番私を落ち着かせる効果があると思うんです。あと匂いと味」













「…味!?」

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