no lives,but they can move

小さな巨神兵(S.G)

第一章・2044 Jahr des Alptraums  破壊

8.13 アルフォンス=アルバス

通りは逃げ惑う人々と、それを追う人々とで騒然としていた。

アルフォンス=アルバスはビルの窓から静かにそれを眺めていた。

通りはすでに『死者』たちで埋め尽くされていたし、よしんばそれを抜けたとしても、郊外にも『死者』がうろついている。

彼はウォッカの入ったグラスをおもむろにあおると、愛用のソファに腰かけた。

テーブルには、ウォッカのボトルがまだ半分以上残った状態で置いてある。

2杯目のウォッカを注ぎながら、彼は事の始まりを回想していた。






発端は、ポーランドだった。

彼は、登山の途中で、トルツェ・コロニー山脈を、人に似た化け物がぞろぞろと下っていくのを目撃したのだ。

その姿はまるで映画の中の「ゾンビ」のようだった。

彼は動画を撮影し、警察に提出したが、まったく取り合われなかった。

でっぷりと太った中年警官は、切羽詰まった顔で訴える彼を侮蔑の表情で見ると、投げやりに「いたずらに付き合っている暇はない。」と言い捨て、再びドーナツを食べ始めた。

また、テレビ局にもそのビデオを持ち込んだ。

テレビ局のプロデューサーは、彼の『偉業いぎょう』をほめたたえ、「必ず放送して見せる」と言った。「世界にこれを知らせなくては」とも言った。

しかし、実際にそれが放送されたのは、世界に何ら影響力のないローカルチャンネルの心霊番組の中でだった。

しかも、その中でも大きくは取り扱われず、あくまで「視聴者が見つけた不思議なもの」の一つとして取り扱われた。


そうこうしているうちにコロニー山脈の付近で失踪しっそう事件が相次ぎ始めた。

それも、誘拐ではない。

ついさっきまで普通に過ごしていた人が、突然狂ったように走り出し、どこかへと消えていくというものだった。

警察の捜索にもかかわらず、行方不明者は誰一人として見つからなかった。


その時には、彼はもう世間の人々に事を知らせるのをあきらめ、自分が生きるための装備をそろえ始めていた。

まずは基本の着替え、水、食料、燃料、武器。

それらをそろえた彼は、次に「奴ら」の研究を始めた。

ゾンビ映画を見ていると、奴らはどうやら階段は登れるらしい。

ならば、上る手段がエレベーターだけの場所に住み、いざというときには配線を切ればよい。

万が一上ってきたとして、屋上からヘリコプターで逃げればよい。

彼にはそれを準備するだけの資金はあった。

すぐさま彼は家を売り払って、ヘリコプターを買った。

また、余った金でドイツにあるビルの23階の一室を買った。





周囲は彼を嘲笑ちょうしょうしたが、そんなことはどうでもいい。生き延びた方が勝ちだ。今頃、彼を笑った奴はみな「奴ら」のお仲間になっているだろう。

そう思い、彼はひとりほくそ笑んだ。

ここは完璧だ。食料も水も、十分すぎるほどある。

銃は、あまり多く持ちすぎると弾薬の種類が増えてしまうので、3種類だけ。

一掃のためのサブマシンガン・UMP-9と、狭い場所での戦闘用のマグナム・S&W M500、物を破壊するためのショットガン・モスバーグM500だ。

「おまけに酒と、猫までいる。」

彼はひとりごとをいい、足元で丸まっているスコティッシュフォールドを撫でた。

猫はみゃーとなくとゴロゴロとのどを鳴らした。

「世間が気付いた時、人は初めて慌てる。だが、そういう時は大体、もうどうしようもない状態になってる。」

彼は座右の銘を口に出すと、ベッドまで移動した。

ベッドに倒れこむと、愛猫が上にのってくる。

彼はその重さと温かさを感じながら、眠りにおちようと―――――







――――ドン!とドアをたたく音が部屋に響き、彼は跳ね起きた。

「大丈夫、基本的に『奴ら』は、獲物がいると分かれば、何回もドアをたたくから、1回しかたたかれてないということは、まだ気づかれてない。」

彼は無理にでも平静を保とうと自分自身に言い聞かせた。

彼は激しく動揺どうようしていた。

なぜここに「奴ら」が来ている?

エレベーターの電源は切ったから、上っては来られないはずだ。

非常階段にはワイヤーを張り、来るものは皆切り倒されるようにした。

上っては来ていないはずだ。いったいどこから?


彼は確かに賢かった。誰よりも早く状況を判断し、逃げるために必要なものはすべてそろえていた。

彼に非はない。ただ、相手の進化が、速過ぎただけ。


「チクショウ!」

彼は短く吐き捨てると、マグナムを携えてドアに向かった。

ドアについているのぞきあなから外を覗いて、


――――息をのんだ。

ドアの外にいた生物を、彼は見たことがなかった。

その生物は、もはや「ゾンビ」ではなかった。かろうじて人型らしき形は保っているものの、その体は大量の、茶色いうみのような物質で構成されていた。

身をよじるたび、その膿のようなものがびちゃびちゃと零れ落ちる。


「進化…?」


攻撃に対し、わざと体の一部を犠牲にすることで威力を受け流す、「死者デッダー」第二形態、「膿人間パスマン」。

体のほとんどが、膿のような半液状態であり、ナイフなどの「斬る」攻撃が一切効かない。ワイヤーは、通用しない。


そのような生物は、彼のプランになかった。

「膿人間」はドアのほうに向きなおると、

「まずい、気づかれた!」

その瞳と目が合ってしまい、彼はパニックに陥る。

「膿人間」が、アルバスを引きずり出そうとドアをたたく。

「まずいまずいまずい!」

彼は、大急ぎで脱出用のリュックサックを取ると、屋上へ続く避難用ひなんようのはしごを上がり始めた。

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