月の種

モチヅキ イチ

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 夜の世界って、シゲキのある楽しいものに溢れているのよね。何が楽しいのかって、それは人それぞれだけどさ。私らみたいなワルイコを眠らせない魅力ってのが、夜の世界にはいっぱいあるのよ。

 特にこんな、私らみたいなウサギだけが暮らす小さな世界ではね。

 ここは、たくさんあると言われている世界の一つ。他の世界と同じように昼も夜も訪れて、みんな夜に寝静まる。だけども、他の世界よりも何か特別な役割がある世界だと言われてる。そう、学校の授業で習うのよ。

 だけども特別だからって、何がいいのかしら。ここの世界はせまくって、とっても退屈なのよ。

楽しみといえば、みんなお仕事ばっかり。他の世界のためになるお仕事らしいけど、私はよく分からない。他の世界なんて興味ないし、私が楽しければそれでいいのだけれど、オトナたちはそれを良しとしないのよね。

 だけどもそんな私たちでも楽しめるものが、夜の世界にはある。

でも夜の世界だもの、オバケもいるわ。私らを眠らせないオバケ、お金を食べるのが大好きなオバケ。オトナたちから見れば悪いものに見えるけども、そいつらは私らにシゲキを提供してくれる。だから私はオトナよりも彼らと一緒にいるのが大好きよ。

そんな感じで夜に遊び回る私は、近所じゃすっかりワルイコとして有名になっちゃった。だけども私はそんな近所のウサギたちなんかどうでもいい。私の本当の名前、カッコワルイ名前で呼ぶオトナたちよりも、私が考えた『ナッツ』って名前で呼んでくれる友達の方がずっと大事だわ。


だけども夜遊びというものは、お金がかかるもの。そこで私は、お金はそこそこでいいからなるべく楽に働けるお仕事を探したわ。そして良さそうな仕事を見つけて、この一つ隣の町へやってきたわけ。

「ここは……なんだかつまんなそうね」

斜面に作られた、小さな町。家というのは少なく、工場やらそういった大きな建物が地形を上手く"なら"して建っている。沈みかけの夕焼はまだ見えているけれども、町はあまり明るい感じではなかった。

ウサギよりも、草木の方が多い町。遊ぶとこもなさそうだし、お仕事でなければこんなところ、絶対に来ないわね。

ええっと、今は何時かしら……夕方の五時四十五分。集合場所へ行く時間が六時までだけど、ここからなら余裕を持って着けるわね。

目的地は、坂の上にある広場。私はゆっくりした足取りで階段を上り、街灯が灯り始めた交差点を横切ろうとした。

「うぐっ!」

突然、脇腹をぶん殴られたような衝撃に襲われた。あまりに突然のことで、私はくぐもった悲鳴を上げて地面へ突き飛ばされる。

「いったぁ……一体なによ?」

 私は痛む部分を押さえながら立ち上がった。お気に入りの洋服や自慢の白い毛皮にちょっと汚れが付いちゃった。

 目の前には、おそらくぶつかった張本人であるウサギが倒れ込んでうずくまっていた。辺りにいくつもの本をまき散らし、背負っていたリュックに押し潰されたようになっている。

きっとあいつがぶつかってきたのね。私はわざと大きめな足音を立てて、そいつの元へずんずん近づいた。

「ちょっとあんた、どこ見て歩いてるのよ」

 こうなったらクリーニング代の一つでももらわなきゃ気が済まないわ。だんだんと足を鳴らして、そのウサギが顔を上げるのを待った。

だけどもそのウサギをよくよく見てみると、どこか違和感があるわね。服は大人ものっぽいけど、妙にぶかぶか。体は思ったよりも小さくて、まるで子どもみたい。

 そいつは重いリュックをずらしながら体を起こし、唯一露わになっていた頭をぶんぶん振ってこちらを見ると、灰色の毛並みに大きなメガネが目に入った。

「ご、ごめんなさい! ぼく急いでて、前を見てなくて……その、大丈夫ですか?」

 思ったとおり声も高くて、そいつが子どもだというのが明らかであった。

「え、えぇ……別に平気よ」

 相手が子どもだと分かると、頭の中で噴き出ていた怒りは戸惑いに変わってしまった。その子は裾の捲っていない手でメガネを直すと、立ち上がりながらペコペコと頭を何度も下げる。そして慌てて散乱していた本の山をかき集めた。

 なんだか私まで、悪いことしちゃったみたい。私はため息をついて、本を拾うのを手伝ってあげた。そしたら何度も「ありがとう、ありがとうございます」と言うもんだから、怒りなんてもうどっか行っちゃったわ。

「本当に、ありがとうございます。ぼくこの本を図書館に返したら、行く場所があって……あぁもうこんな時間! すみません、ぼくもう行きます」

 眩しい笑顔でそうお礼を言うや否や、その子は大きな建物に向かってぴゅうと走り去っていってしまった。

 喋るのも走るのも、まるで竜巻のような子。ぶかぶかの服も、まるでマントのようになびかせていた。でも背負っているリュックが左右にぶんぶん揺れていて、転ばなければいいけど……私は見えなくなるまで、その子から目が離せなかった。

「って、ぼーっとしてる暇はないわね。私も急がないと」

 あの子にはあの子の、私には私のやるべきことがある。私は早歩き気味に、階段を上っていった。


歩き始めてほんの数分、階段を抜けてすぐのところに広場があり、その入り口に作業着らしきものを着ているウサギがいた。

「あの、仕事で来たんだけどここで合ってるの?」

 そう言うとそのウサギは不愛想な顔のまま、私を広場の中へと案内した。そこには様々なウサギがたくさんいた。五十人はいるかしら。

こんな地味な仕事、みいんな私みたいにお金さえ手に入ればいいと考えてるウサギたちばっかりだと思っていたけれども見渡してみると、意外と様々ね。夫婦のようなよぼよぼのウサギもいれば、目をきらきら輝かせてる若いのもいる。

仕事と知らずに来ていれば、まるで何かのイベントだと思っちゃうわね。

 広場の奥の方で、一人のおじさんがお立ち台のに上がった。黒い毛並みを、茶色い作業着で隠している。丸くやわらかそうな目で辺りをじろじろ見渡し、ゴホンゴホンと咳払いをした。それは広場中に届くほどで、辺りはしいんと静まり返る。

「えー皆さま。今夜はこの、えっと、月の種の収集会に集まって頂き、ありがとうございます。このわたくしの後ろに広がる、この森の中に、月の種が生えております。皆さまにはそれを取って頂きます。なお給金に関しては、はじめに話したとおり歩合制です。稼ぎたければ、頑張って月の種をたくさん取ってください。そしてえっと、夜の十時までに、こちらにお戻りください」

 あのおじさん、スピーチ馴れしていないのね。話している間はずっと俯いてて、カンペを見ているのが分かるわ。

 事前に受けた話の通りなら、月の種を探しに森に入る前に、二人一組で誰かと組まされる筈よね。まぁ、足手まといにならないウサギだといいけど。

 演説をしたおじさんは、次々に名前を呼んでいく。特に順番もなく、指定がなければ適当に組まされるんだったっけ。前のウサギが動いたかと思うと、私の横を過ぎていって前へ行くウサギもいる。

「えー……ナッツかいこれ? えっと、ナッツさん」

 広場の人数はもう半分は減った頃、遂に私の名前が呼ばれた。

「はいはーい」

 私は手を上げながら急ぎ足で駆け寄る。

「ナッツさんですね。貴方は懐中電灯とカゴを貸し出し、と。では次、クロアさん」

「はい、はい! ここにいます」

 クロア、私と組む相手ね。後ろから声が聞こえる。だけどもなんだろう、その妙に高い声は、私を不安にさせた。恐る恐る振り返ると、初めて聞く名前なのに見たことのあるウサギがこちらに駆け寄ってくる。

最後に会ったのは、いつだったかしらね。えっと……二十分くらい前?

「あれお姉さん、さっきぶりですね!」

「え、えぇ……あんたもここに来てたんだ」

 その子はまさしく、ここへ来る直前でぶつかったウサギだった。ぶかぶかで歩き辛そうな服装はそのままで、違いといえばあの大量の本がないことくらいかしら。いっちょ前なリュックからは、懐中電灯やらがぶら下がっている。

「ではナッツさんとクロアさん、森の方へ出発してください」

 どんな相手が来るのか、不安だったけども……まさかこの子だったとはね。雲行きが怪しくなってきたどころか、全く読めなくなってきたわ。


森の中は、草のないだけの簡単な道が何本にも分かれて広がっている。ゆるやかにカーブしているものや、無作為に交差しているもの。道はそんなに狭くもなく、懐中電灯一つあれば充分ね。

 かさかさと細かな音を聞くと、長い耳は自然とピンと張り立つ。右や左、前や後ろと様々な方向から草木を擦る足音や話し声が聞こえていた。

『これじゃまるで、夜のピクニックね』

流石にスタートの近くだと、ヒトの気配も多く感じる。だけども奥へ進めばだんだんと、気配は少なくなっていくのが分かった。

 これがもし前にいるパートナーが、もっとたくましいウサギだったら。不安なんて感じることも、ないのでしょうね。

「いやぁ紹介が遅れてすみません。ぼくはクロアって言います。さきほどは本当にすみません、急いで本を返してここの集合時間に間に合わないといけなかったので……でも一緒に本を拾ってくれたおかげで、なんとか間に合いました」

「う、うん。どういたしまして……」

 前を歩くクロアという子、見た感じはまだまだ子どもよね。だけども着ている服は大人のサイズで、裾で手も完全に隠れてて懐中電灯の先っぽだけが顔を出している。固そうなズボンをずるずる引き摺っていて、いつ転んでもおかしくはなかった。

 だけどもまるで私を案内するかのように前を歩くその様子は、少し頼もしくは思えるわね。

「今日はお礼に、特別なものを見せてあげますよ。月の種に関わるものなんですけどね、楽しみにしててください」

 特別なもの? いったいなんなのかしら。私はきょとんと首をかしげていると、徐にクロアが振り返った。首をかしげている間の私と目が合うと、クロアはにっこりとやわらかそうな笑みを浮かべる。

……可愛いのって、得よね。初対面は最悪で、思いっ切り横からど突かれたりしたけども、今はもうなんだか許せちゃう。

「あの……すみません、最初のときに名前をちゃんと聞いてなくて。えっと、なんて名前ですか?」

「ナッツよ。まぁ別に、覚えなくても……」

「ナッツさんですか! とってもいい響きです。素敵な名前ですね」

 そう言うクロアの声はとっても明るくて、まるでこの静かな森のどこまでも響いてしまいそうなほどだった。

今まで自己紹介した時に、名前を褒めてくれたオトコはたくさんいる。だけどもみんな下心まる見えな声色で、大して嬉しくもないものよ。

だけどもこの子の褒める声は、それとは全然違う。

 まぁ、子ども相手に褒められたってなんにも嬉しくないけどね。嬉しくない……嬉しくない筈なんだけど、ちょっとだけ胸がどきどきしてる。

「ま、まぁね。私が考えた名前だし」

「ナッツさんが……自分で考えた名前なんですか?」

 振り返り、きょとんと首をかしげるクロアを見て、自分が何を言ってしまったのかにようやく気がついた。

ナッツってのは、私が作った名前。本名は全然違うもの。でも今までそれを、誰かに教えたことはない。私だけの秘密、夜の友達にも知られていなかったこと。それをちょっとしたうっかりで、初めてこの目の前の子にばれてしまった。

「ということは、別に本名があるんですか? よければそれ、教えてくださいよ」

「う、それは別にいいでしょ……あんまり話したくないのよ」

 だけどもこのクロアという少年、第一印象からそんな感じだったけども、子どもらしく好奇心旺盛なのである。私の名前が偽名だと知ると、本当の名前を知りたくてうずうずしている。言葉で振り払おうとしたって、まるで風を押してるように抵抗がない。

「わ、分かったわよ! じゃああんたの言うその面白いもの、それが本当に面白いものだったら、教えてあげてもいいわよ」

「あはは、分かりました。ナッツさんもきっと満足してくれますよ」

 もう、こんな子どもにいいように弄ばれるのは、どうもしゃくね。


ゆるやかで道幅の広い道も、だんだんと険しくなっていった。石ころもごろごろあって、注意していないと足をすくわれそうだ

 今日はいつも履き慣れているスニーカーで来たけども、それでもこの道は辛いわね。明日は筋肉痛になりそう。

 だけどもクロアの方はまるで余裕の顔ぶりをしていて、ひょいひょいと前へ進んでいく。山道を歩き慣れているのかしら。それとも、子どもってのはそういうものだったかしら。

「ナッツさんどうしましょうか……引き返します?」

 振り返ると、足取りの遅い私を見て察したのだろう。クロアはそう言ってくれたけども、私は首を横に振った。

「ふん、私はこれくらいの道、へっちゃらよ。それに折角ここまで来たんだもの、戻るなんてなんだかしゃくじゃない。それよりも、あんたは……」

 そこで口を止めて、私はクロアの足に目をやる。服と同じように、体に合わないくらい大きな靴。とっても丈夫そうに見える。私よりは楽なのかしらね。

「ぼくは、大丈夫ですよ。この日の為に用意しておきましたからね。まぁ父さんのおさがりだから、サイズが合いませんけど」

「そう……」

 ずいぶんと合わない服装だとは思ったけど、父親のおさがりね。新しい服を買うお金すら、ないってことかしら。そう考えると、この子の家って……。

「……早く月の種をいっぱい見つけて、稼いじゃいましょ」

 それからしばらく歩いて、道はいっこうにおだやかになる気配はない。それどころか、道は崖のそばを通るような形になっていた。

 崖の下は、ふかふかの原っぱ。それほど高さはなさそうだけど、もし足を踏み外せばただでは済まないわね。私は足元に目をやりながら、崖のそばを進んでいく。

「ほらぁナッツさん見てください、とっても綺麗ですよ」

 私が顔を上げると、クロア崖よりもそのひらけた景色へ目をやっていた。

「いったいなによ……」

 私もクロアと同じ方に目を向ける。崖下の原っぱ、その先に広がる静かで真っ黒い海、そこに星々の光が反射していた。波一つ立っていない海と空、その二つの境目が一瞬分からなくなるほど、綺麗に。

 その中でもひときわ大きく輝いていたのは、満月であった。いくつもの星を集めて一つにしても、敵わないくらいに明るく感じる。

おかしいわね、月ってこんなに明るかったかしら。

「ナッツさん知っていますか? 月の種って、満月にならないと出てこないんですよ。しかもそれがよく見える、開けた場所に芽吹くと言われています」

「ふぅん……」

 月の種の回収という仕事、私はこうして参加しているわけだけども、月の種がどういうものかは正直よく分かっていない。

種とは言うけれども、見た目は普通の花みたいなもの。まるで電球のように光っている、それくらいしか知らなかった。

興味すら持ってないんだもの、当然よね。

「……ねぇ、あのさ」

 だけどもこいつが月を見る目がこんなにもまばゆいせいかしらね、なんだか月の種のこと、少し気になってくるのよ。どうでもいい、聞いたってすぐに忘れるかもしれない。だけども、こんなにもクロアが夢中になるようなもの、少し惹かれるわ。私は喉に突っかかりそうな言葉を一つ一つ吐き出すように、クロアへ投げかけた。

「月の種ってさ、どんなものなの? 私、よく知らなくてさ」

 そのときにクロアが見せた笑顔は、私が今まで見たこともないようなものを感じた。

……いや、きっと見たことはあるわ。忘れてただけね。

大人って、子どもの頃を経験しているはずなのに、子どもみたいな笑顔ってできないものよね。なんだろう、笑顔って。面白いとか嬉しいとかで見せるものだけども、子どもの笑顔はそれとは違う。私たちが知っていた筈の、でも忘れてしまった"笑顔"を、子どもは知っているのかしら。

「えっへん、僕がくわしく教えましょう」

 私たちは足を止めて、クロアの説明会が始まった。だぼだぼの袖でメガネをかちゃっと持ち上げて、まるで博士みたいに気取っちゃってる。でもこの子は、そんな仕草がしっくりとくるわね。


 月の種、それは名前の通り、月の元となる物体だそうだ。

 月って地面から生えてくるものなのね。私がそう呟くと、クロアは「大地は命の源って言いますから」と返した。

月って生きているものなのかしら? 私は首を傾げたけども、敢えて質問はせず納得することにした。

月の種は浮かんでいる月から力をもらってどんどん成長していく。何日かけて成長するかは詳しく分かっていないけども、充分に成長した種は満月になると"旅"を始めるのだそうだ。果てしない、星空の旅へ。

「だけども星空にはワルイやつがいるんです。未熟な月を食べてしまう、流星ギツネってやつがね」

「星空に、キツネなんかがいるの?」

「えぇ」

聞いた話、ですけどね。クロアはそう付け足した。

 月にも寿命というのがあるらしく、今私たちが見ている月もいずれ枯れてしまうのだそうだ。そうして大地から生えてきた月の種が立派な月へと成長し、それとかわりばんこになるのだという。それも大体一年くらいで。

 私はいつも夜に出歩いているけども、月なんてずっと一緒だと思ってた。昔からずっと、月なんて気に掛けたことがなかったわ。

「でもそれじゃあ月の種なんて、沢山いるものじゃないでしょう。一年に一つあれば十分なのに、なんでたくさん集めようとするわけ?」

「それは、月はこの世界だけのものじゃないからですよ」

 ものしり博士、クロアの口調は変わらず、私に色々と教えてくれるのだった。

成長して星空へ昇った月は、星空を通じて別の世界へと旅立つらしい。そしてこことは違う世界で、同じ月として夜空を照らすのだという。だけどもさっき言ったように、星空には月を食べるワルイやつがいる。だから星空へ昇る前に捕まえて、十分に成長させてから別ルートから他の世界へ売りつけているのだという。

「ふぅん、じゃあここの会社って商売上手なのね」

「そうですね……でも」

 でも。そこまで言うと、クロアの口はぐっと閉じた。閉じたまま、じっと俯いてしまった。

「でも、なによ」

 じれったくなって私は聞いた。だけどもクロアは何も言わず、ずり落ちそうになるメガネを押さえると、くるりと振り返り歩きだした。

「行きましょ。いいものを見せるって約束しましたから、一つでも見つけないと」

「…………」

 クロアは自前の懐中電灯を翳し、前を照らしていく。その灯りは私が持っているものより薄暗く感じた。

 そういえばこの子は、仕事に必要な道具は全部一人で揃えて持ってきたのよね。言えば私みたいに借りれるのに。

きっとこの仕事、真剣に取り組もうとしているのね。私なんかただのお小遣い稼ぎの感覚で来ちゃったけども、こんな小さな子がお金を稼ごうとするのだもの。きっと家庭に深刻な事情があるのよね。

「……なんだか、私が惨めに思えてくるわ」

「何か言いました?」

 私のぼそりと呟いた言葉は、クロアに聞こえた。そして体ごとくるりと振り返る、それがいけなかった。

クロアの服がそばの枝に引っ掛かり、ぐいと引っ張られてバランスを崩した。体がかたむく。そっちは、崖の方。

「ちょっと!」

 思わず声を上げた。クロアは間の抜けた声を上げたが、崖の方を見て目をぎょっとさせる。私は急いでクロアの手を掴もうとした。

 だけども、私もばかよね。急に走り出すもんだから、同じようにバランスを崩してしまう。しかも同じように、崖の方に。

 体がどんどん、崖にかたむいていくのが分かる。それでも走るのをやめないで、クロアを抱きしめた。だけども私の体を止めるものは何もない。

 ほんの一瞬の間、妙な浮遊感と、下から体を撫でていく涼しい風が私たちを包み込む。あぁ、落ちるってこんな感覚なのね。


なんだかこの体験、ずっと昔にもしたことがある気がする。あの時に抱えた子は、こんなに軽くなかった。もっと重くて、そう……。

あぁその時って、私がまだクロアみたいな子どもの頃じゃないの。そりゃ重く感じて当然よね。同じ学校の子で、学校を抜け出して一緒に山へ行ったんだ。

危険だっていつもオトナたちに言われていた道を登ってね。そこにもこんな崖の道があった。友達はそこで足を滑らせて、私がその子を抱えて落ちてしまったんだ。

幸い大したことない高さだったから大きな怪我もしないで済んだ。このことは、二人だけの秘密ねって、友達と一緒に約束したんだっけ。だからオトナたちは、私たちが落ちたことは知らない。何ごともなく、山を登って下りただけだと思った筈だ。

だけどもオトナたちは、勝手に友達を連れ出した私のことをいっぱい怒ったわ。そりゃ当然のこと。私も反省しなきゃいけないことよね。だけども、その時の私はそれを理不尽に思っていた。あの時、オトナたちがどんな顔をしていて怒っていたのか思い出せない。

私のすること、なんでもかんでもオトナたちは怒る。そういう経験が積み重なったせいかしらね、いつからか私はオトナを信用しなくなってしまった。オトナが嫌いというより、何が正しいのか分からなくなって怖いと感じるようになったのね。

 それこそ、夜の友達なんかよりもずっと、心が読めなくて今だって不気味に見える時がある。

だけども怒らないで、私に感謝してたヒトがいたな。誰だっけ……確か、そうよ、あの時傍にいた、一緒に連れ出した同級生の子だわ。

私が悪かったのに、あの子はずっとありがとうって言ってくれた。あの子とはそれからもずっと仲が良かったはずなんだけど、どうしても名前が思い出せない。それに男だったか、女だったか。それすらも。

私、ほんとうに最低なお友達ね……。

でもへんね、落ちるのなんてほんの一瞬なのに、こんなにも思い出す時間があるなんて。まるで、夢でも見ているみたい……。


ふわふわと何かに包まれる感触を覚えながら、私は目を覚ました。

どうやら、草のクッションに運よく落ちたみたい。大した高さじゃないと思ったけど、見上げてみるとずいぶんと高く見えるわね。私たちがさっきまでいた崖の上に目をやりながらそう思った。

……死んでるわけじゃ、ないわよね?

手も足も、自由に動く。体にずしっと重く感じるクロアの体重も分かる。大丈夫、生きてるって感覚はある。だけどもあんな高いところから落ちたってのに、不思議と痛みがなかった。

「あっな、ナッツさん。すみません僕……大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫よ。あんたも怪我がないみたいで、なによりね」

「ほんとうに、すみません。僕なんかのためにこんな……」

 この子なんかの、ためか。そうよね、いつもの私だったら、あんな無茶してないわ。

人助けなんて、私のガラじゃないのに。

「とにかく、さっさと下りなさい。無事なら早く探すわよ。月の種ってのを」

「あっはい!」

 クロアは慌てて私から離れて、私も立ち上がろうとする。手で体を支えて、足に力を掛けようとした。そうなったところで、私の足は初めて"痛み"を感じたのだった。

「う、くぅっ」

 私の顔を見て、クロアはすぐに何かを察したみたいだ。

「あ、やっぱりどこか痛みますか」

 うぅ、こんな子どもに心配されるのも情けないけど、今は強がってる場合じゃないわね。私はじっと左の足首を見つめた。クロアは私のズボンの裾をめくると、手を露わにさせてそこを優しく撫でた。

「あぅ! ご、ごめんクロア。あんまりその、触らないで……」

「…………」

 クロアはリュックを下ろして、中を探り始める。私はこの子が何をするのか、くちびるを噛みながらじっと見守っていた。

リュックから取り出したのは、小脇に抱えられるくらいの大きさの白い箱だ。よく見ると側面に赤い十字のマークがある。

そこからのクロアの手つきというのは、さっきまでのイメージとはまるで違っていた。中には包帯やら塗り薬など、中には私の知らないようなものがぎゅうぎゅうに詰められている。

 私よりもずっと年下なのに、本当しっかりした子ね。

その辺に落ちていた木の枝を取ると、それを私の足にあてがう。こういうのドラマで見たことあるわ。木の枝が外れないように、テープで固定するのよね。

「応急処置です。とりあえずは普通に歩くよりは楽になります。今日はもう、帰りましょう……」

「えぇ、その……」

 足を怪我したせいで、帰ることになる。結局月の種は、一つも見つけていない。つまりこれでは、給料も貰えないのである。

私は別にいい。ただ遊ぶ金が欲しかっただけだもんね。でもクロアは、どうなんだろう。生活に困らないのかしら。

 ごめんね、私のせいで。ただの一言、こう言えばいいんだ。だけどもクロアの悲しそうな顔を見ていると、それも言い辛い。本当は言わなきゃいけないような状況なのに、者言えぬ恐怖が私の喉を抑えていた。

クロアは私に肩を貸してくれて、担いでもらう形で集合場所へ向かった。私たちの横には、さざ波を立てる海に月が浮かんでいる。その上の方、空にも同じ月がもう一つ。私がいつもいる夜の街じゃ、絶対に見られない夜の光景だ。だけども今はそれに目を向けるのも、なんだか胸が苦しくなった。


 しばらくの間、沈黙は続いた。道はだんだんと木々の生い茂る道へ入っていって、海が隠れてしまう。月の光も木々が遮ってしまい、暗くなっていった。

「その……」

 最初に沈黙を破ったのは、クロアの方だった。

「ごめんなさい、ナッツさん。それもこれも僕のせいですよね。あんなところでバランス崩さなければ、落ちずに済んだのに」

 そういえば落ちた原因って、クロアを助けたからだったっけ。でも今はもう、私はそんなこと気にしていなかった。

「そんなこと言わないで。私だってあんたをちゃんと受け止めてれば、落ちずに済んだもの」

 クロアに会う前の私だったら、どう思っていただろう。責任を全てクロアに押し付けてたのかも?

だけどもそういう気は起きないのよね。クロアの生活がとても貧しいように思えるからかもしれないし、それ以外にも理由があるからかもしれない。

 なんていうかこう、他のヒトにはない何かを、クロアは持っている気がする。それが子どもだからなのかは、分からないけれども、私はそれを薄々感じていた。なんていうんだろう、これ。

「最初に、いいものを見せてあげるって言ったじゃないですか。あれは、ナッツさんならきっと気に入ってくれると思ってました。見せてあげられなくて、本当に申し訳ないです……」

 クロアは手に持った懐中電灯で足元を照らしながら、私たちは進んでいる。足元は明るくなっているけども、それでも時々石ころに足をすくわれそうになった。

「月の種って、月の光が浴びられるところを好むそうなんですよ。でもこういうとこじゃ、見つけることは叶いませんね」

「いいわよもう、気にしないで」

 また今度、一緒に行けばいい。そう言えば、この子は喜ぶかしら。クロアにとって、私はどんなヒトだと思っているのかしら。

私がオトナに対して感じる恐怖を、この子は感じているのかしら。

子どもにどう思われてるか、気になるわけじゃないけど……もしそうだったら、ちょっと悲しいわね。

ふいに、ぞくっと背筋が凍るような感覚が襲った。私はゆっくりと辺りに目をやる。どこまでも続く、月の光を遮る木々。私にとってそれはただの植物だ。だけども、まるでそのただの植物に、私たちは見られているような気配を感じた。

なんでだろう、夜の街ですらこんな気分になったことないのに。初めてだ。だけども、だからこそ、肩を支えてくれるクロアが、少し頼もしく思えた。

「ナッツさん、何か聞こえませんか?」

 そんな風に思ってたらクロアは突然声をかけてきたものだから、私の体はびくっと震えた。クロアもその震えを直接感じたと思うと、少しだけ顔が熱くなった。

「な、なに? 聞こえるって……」

 そう言ってから私は口を閉じ、耳を持ち上げてぴくぴくと周りに向けた。

辺りに漂う、風の音。草木が擦れて、まるでお互い話をしているかのよう。でもそんなものは、さっきからずっと聞いている。クロアが言っているのは、こんなのじゃない。その中に隠れてる、りんりんという鈴のような音。

「誰か近くにいるのかしら?」

「いいえ、違いますよ。これは……」

 前の方が、明るくなっているのが分かった。広場に戻るまでずっと続くと思われた木々の道は、途中で開けている。

最初は月明りが差し込んでいるものだと思っていた。だけども、よく見るとちょっと違うわね。ひらけたとこに生えた野草が反射する明かりは、傍にある淡い照明で照らされたように感じられた。

もしクロアがいなければ、誰かいるの? と声をかけていたところだろう。だけども、クロアはその正体を知っているよう。私は息をのみ、クロアに引かれるがままついていく。

ひらけた原っぱの真ん中に、淡く光る花のようなものがあった。でも花とは違う。まるでチュウリップのように丸くなっているそれに、花びらのような感じがない。何より中に電球が入ってるかと思うほどこんなに明るく光る花なんて、見たことがないわ。

 だけどもそれがなんなのか、私は直感で分かった。クロアの方に目を向けると、クロアもこちらを見て頷く。

「これが、僕たちが探していたものですよ」


 私たちがなんのために、ここへ来たのか。それはもちろん、仕事のためだ。なんの仕事か、それは月の種というのを見つけて摘み取る、それだけの簡単な仕事だ。

 なんで摘み取るかって言えば、お金になるからよね。私はお金がほしかった。夜に好きなように遊ぶためにね。クロアはどうしてかしら、分からないけど、きっと生活のためよね。

 だけども私たちは、その目当ての月の種が目の前にあるというのに、摘み取ろうとしなかった。ただじっと、淡く光るそれを眺めているだけだった。

『取らないの? 一輪だけでも、お金になるでしょう』

 そう言おうと思ったけど、クロアの顔を見ると言えなかった。見とれてしまう気持ちは、とてもよく分かる。

私だってこんなもの、見たことないわ。見たことないけど、いつもあるような、安心するような光。不思議だけども、知っているような感じ。そんなのを目にしたら、誰だって見とれてしまうわよね。

「ナッツさん」

 どれくらい、そうしていたのだろう。五分か十分か。それ以上かもしれないし、一分も経っていないかもしれない。クロアがそう声を掛けて、長さの分からない不思議な沈黙の時間が終わった。

「いいものっていうの、実は月の種が“発芽”する瞬間だったんですよ。それはとっても美しくって、ぼくも是非一度見ておきたかったものなんです。でもそれを見るには、摘み取ってはいけません。つまり、お互いにお金が入らないってことに……」

「いいわよ、そのあんたが見たいってもの、私も見てみたいもの」

 どうせお金なんて、遊ぶためのものだし。続けてそう言いそうになったけど、私は喉に何かが詰まる感覚を覚えた。

「……それよりあんたの方は、大丈夫なの?」

「僕は、平気ですよ。なんだってそれを見るために、この仕事に参加したようなものなんです。お金よりも、大事なものですよ」

「ふぅん」

 お金よりも、大事なものね。ぴんと来ないけれども、今の私から見てクロアはなんでも博士のように見える。何を言ったって、クロアの言うことが正しく聞こえた。

 だけどもそれから先、クロアは何も言わなかった。でもそれでいいんだ。だってこれから目にするのは、言葉なんかよりも見るだけで全てが伝わってくるもの。

 月の種は、風に揺れる度に自らの光をゆらゆらさせる。同時にりんりんと鈴のような音。耳の中で響くんじゃなく、囁くような優しい音だった。

 その鈴の音は、心地よさはそのままに。だけどもどんどん、心の奥底まで響いてくるようになった。風もまるでその種を持っていってしまいそうなほど強くなって、やがて光のまるい部分がぽろりと離れた。

 離れて、そして落ちるのではなく、ふわりと浮いている。まるでシャボン玉のように。ゆらゆらと、揺れて、鈴の音を鳴らしながら、ゆっくりと上がっていく。

 どこへ向かって? 空へかしら。それしかないんだけど、迷うようにふわふわと浮かぶものだから、うたぐってしまう。

 鈴の音は一つの音色だけでなく、高い音や低い音も混じっていく。そしてそれはまるで、一つのメロディを奏でるようになっていった。それはどこかで聞いたことのあるような、だけども思い出せない。そんなずっと昔に聴いたことのあるような、懐かしいメロディだった。

クロアもあの音色を心地よく聴いているのかしら。私はふと横顔を見たけども、クロアは子どもしか出さないような純粋な笑顔をしていた。

 私はあの音の正体が何なのか、なんのために鳴らしているのかは分からない。だけども、そうね、私がもし推理するなら、アレはきっと子守唄よ。

 月はああして空に浮かんで、夜の世界の私たちに子守唄をうたっている。だから夜は気持ちよく寝ることができるのよ。

だけども私はワルイコだから、夜に眠ったりしない。それでもそんな私でも、これが心地のよい子守唄だというのが分かる。なんでかしら。

 ずっと昔、これを聞いていたからかもしれない……。

 月の種はふわりふわりと風に揺られながら、夜空へと向かう。あれだけ綺麗なものだもの、流星ギツネだったかしら、そんなものに食われちゃうのも頷けるわ。

『でもあれくらいは、キツネさんも見逃してもらえないかしらね』

 まん丸な月の種は、やがて点ほどの大きさになって、光は分かるけどもその形はもう分からなくなっていった。それほどまでに遠くまで行ってしまっても、目を瞑るとまだあの鈴の音が聞こえてくるようだった。

「……実はですね」

 徐に、クロアは口を開いた。

「流星ギツネなんて、そんなものはないって言ってるヒトもいるんですよ。月の種を集める組合がでっち上げたウソだって。月の種を摘み取るための口実だって。本当のとこは、分からないですけどね。だけどももし本当にウソだったとしたら、ああして夜空を旅立たせるのが、月の種にとって幸せだなって、僕は思うんですよ」

「……そうね」

 私には、星空がどれだけ広大かは知らない。誰だって知らないくらい、どこまでも続いているのかもしれない。それこそ、他の世界との境目がないくらいに、気が遠くなるほど果てがなく。

 そんな広大な星空を旅するのは、どれほどの時間を費やすのだろう。あの月の種が成長し、立派な月として育ち、どこかの星で月として回り続ける。それまでに私たちは生きているのかも分からない。

 ……やめよ。センチなこと考えるなんて、ガラじゃないわ。

 私はクロアの横顔に目をやった。なるべく気づかれないようにね。その表情を見ると、お金よりも価値のあるものの意味が、なんとなく分かるわ。


 月の種の旅立ちを見送り、私たちは帰路を歩く。まだ痛むけれども、近くにあった木の枝を使ってなんとか一人で歩くことはできた。

「無理しちゃだめですよ。それで悪くなっちゃったらどうするんですか」

「……もう、大丈夫よ。私はね、誰かの手を借りるってのが好きじゃないのよ」

 だけどもクロアって子、とっても心配症ね。前を歩くクロアは何度も私の方へ振り返るし、ちょっとでも声を上げればすぐに反応する。

……おかげで、こんなことなら素直に手伝ってもらった方が気が楽だと思い、結局肩を借りて進んでいった。

まだ広場は見えないけども、ようやく見たことのあるような雰囲気の道までやってきた。もうすぐで、この仕事も終わる。

「……ねぇ、あんたさ」

 歩く度に、お互いの垂れた耳が微かにぶつかる。そのこそばゆさが、私の背筋をさわりさわりと撫でていくようだ。

「またこの仕事、やるつもりなの? もしやるならさ、次も一緒にやらない?」

「えっ……」

 クロアは心底驚いた声を上げた。どんな顔をして、そんな声を上げたのかしら。顔を横に向ければ見れるけども、私はそうしなかった。

「そ、そのさ。あんたがよければって話よ。別に強制はしないわ。ただ……あんたといると、色々知らないことが知られるし、それも楽しいなって……」

 それから少しの間、沈黙があった。ざっざと土を踏みしめていく音だけが聞こえる。私は足元を照らす懐中電灯の明かりを見ていた。するとその明かりが、小刻みに揺れ出したのが分かった。

 明かりだけじゃない。クロアが支えてくれる肩から、少しの振動が伝わってくる。

クロア……笑ってるのかしら?

「あはは……すみません。ナッツさんも変わってますねぇ、ぼくなんかと一緒に仕事がしたいなんて」

「それは何よ。私がそんなこと言うの、意外だって言うの?」

「まぁ、少し近いですね」

 どこか遠くの方で、私たちとは別の足音が聞こえてきた。広場まで、きっともうすぐ。

「ぼくって歳に似合わず難しいことばっか言うから、友達もいないんですよ。誰もぼくと、一緒にいたいなんて思ってもくれない。でもぼくは、それでもいいんです。だってぼくがしたいことは、知らないことを知ることで、それをずっと続けていくのって一人でいるのが一番ですから」

 まだ少し笑っているように明るく、だけどもどこか寂しさを感じるような声で、クロアはそう言っていた。

「だけどもナッツさんと一緒にいて、ぼくはとっても楽しめました。オトナってちょっと怖いなと思っていたんですけど、ナッツさんは違いました……」

 とくん、私の奥底で何かが大きく跳ねたように思えた。これはなんだか、意識しちゃいけないもの。私はそう思ったけども、意識しないように意識するとだんだんと、頬が熱くなっていくのが分かった。

「そ、そうなの。へぇ……」

 私はなるべくいつもの調子でそう返した。いつものつもりで。本当にいつもの感じで、返せたのかしら。

「ナッツさんと月の種を見た時、月の種を一緒に見ることができた喜びを共有したっていうか。ああいうのって一人じゃあ絶対に感じられないものだと思うんですよ。だからその、ナッツさんさえよければ、ぼくも一緒にナッツさんと、仕事がしたいです……」

「……もう、あんたって回りくどいわよ」

 こんな年頃の子に、私の心をかき回されるなんてね、夢にも思わなかった。だけども、こういうのも悪くないわね。

「……ありがと、クロア」

 私はそっぽを向きながら、なるべく聞こえないように小さくそう呟いた。クロアの耳は、反応を見せない。

ナッツってのは、私が作った名前なのよね。だけどもこのクロアって子なら、本当の名前を教えてもいいかも。そんなことが、頭を過ぎった。いつかそれも、私の口から話せる日が来るかしらね。

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月の種 モチヅキ イチ @mochiduki_1

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