エンゼルトランペットのせい


 ~ 十月二十三日(月)  吹奏楽部 ~


 エンゼルトランペットの花言葉 あなたを酔わせる


 

 好きなのか、はたまた嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えるのをやめた。


 我が家の隣のお花屋さん。

 そこに住むタレ目の幼馴染、藍川あいかわ穂咲ほさき

 飽きっぽいくせに多趣味であるがゆえ、今まで部活とは無縁の暮らしを続けてきた女の子。


 それが高校一年の秋になって、今更部活探しを始めるとは。

 ……面倒千万。

 付き合わされる身にもなって欲しいのです。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は頭の後ろに太い編み込みにして。

 そこに軒並み黄色いお花、エンゼルトランペットをぶら下げて。


 のたのたと歩く姿に、揺れる七つのトランペット。

 本日もバカ丸出しなのです。



 さて、穂咲がこんなものに興味があったとは気付きもしなかったのですが。

 放課後になると俺の手を引いて、音楽室へやって来た。


 ここは吹奏楽部の部室を兼ねるわけで。

 真剣に練習していた皆さんが、その手を休めて熱烈に歓迎してくれて。

 恐縮しているところ、二年生の先輩がトランペットを二つ抱えて近付いてきた。


「じゃあ、これを吹いてみましょう!」

「待ってください。俺がそれを吹いたら、ラッパの先からプチトマトがコロコロ飛び出してしまうので」

「なにそれ可愛い! え? どういうこと?」

「お昼に大量のトマトブリトー食わされたんです。吐きそう」


 この返事に、せっかく笑顔で満たされていた教室がドン引いた。


 満腹で楽器を吹くのはご法度ですよね。

 俺は丁重にお断りしながら教室の端へエスケープ。

 メインのお客はそいつですので、どうぞお構いなく。


 そんなお客様は、いつになく真剣な表情で説明を聞いているけども。

 一体どの程度理解できているのやら。


 初めてのトランペット。

 音が出なくて当然だと思うけど。

 それでへこまれても面倒だな。


 でも、逆に音が出て調子に乗られても面倒だけど。

 穂咲は調子に乗ると容赦ないからね。

 このブリトーについてもそうだ。


 大量注文ならいつでも配達するよと、優しい言葉をかけてくれたハンバーガー屋の店長の言葉に調子に乗って。

 二百五十円のブリトー十個という中途半端な量で、何駅も先の、こともあろうに学校の教室に直接届けさせて。

 挙句に二個食べたらおなか一杯とか言い出す始末。

 残り八個も食べさせられる身になって下さい。


 ……そう、穂咲は調子に乗るとめんどくさい。

 なので音が出ても出なくても、俺が面倒な思いをするのは確定なのです。


 さてさてどちらに転ぶのやら。

 一通り説明を受けた穂咲がトランペットを構えると。


 …………予想すらしていなかった、第三の答えを導き出した。



 デロデロデロデロデ~♪



「おどろおどろしいわ! 食い過ぎで気持ち悪いんだから酔わせるなよ」


 三半規管が直接揺すられるよう。

 ただただ気持ち悪い音が音楽室へ響き渡る。


 吹奏楽部の皆さんも、ひきつり笑いを浮かべてる優しい人は一握り。

 ほとんどの人が顔を背けて口元を手で覆ってる。


 ですよね。

 吐き気をもよおしますよね、これ。


「……うーん、思ったような音が出ないの……」

「ううん? 才能あるよ! 低い音を出す方、が、難しい……、うっぷ」

「おだてるのはやめてください先輩。毎日お隣から今のが聞こえて来るようになったら、俺の口からトマトが出っ放しになります」


 そんな言葉もなんのその。

 この先輩の優しさと、吹奏楽に対する熱意は底抜けだった。


 彼女だって青い顔をして気持ち悪がっているのに。

 優しく穂咲の肩を叩いて、再チャレンジを促している。


 立派な方だ。

 この方がいる部活なら、穂咲を任せられるかも。


 ……そんな爽やかな感情を、穂咲も確かに芽生えさせたのだろう。

 さっきよりさらに真剣な表情。

 俺も知らない眼差しでトランペットを見つめると、背をしっかりと伸ばして息を吹き込んだ。



 デロデロデロデロデ~♪



「さっきよか気持ち悪くなってどうするのさ!」

「ま、まあ、最初はそんなものよ……、うぷっ」

「ほんと凄いですね先輩。……ほら穂咲。こんないい方に迷惑かけちゃダメだよ」

「でも、ほぼ狙い通りなの。ちょっとだけ、半音の半音くらいずれてるの」


 絶対嘘だ。

 ほんとは、ぱんぱかぱーんみたいな音を出してるつもりなんだろ?

 変なとこで見栄っ張りなんだから。


 でも、優しい先輩はこの言葉に食いついてきた。


「ほんとに!? すごい音感じゃない! じゃあ、低い音じゃなくてもっと強く息を吹き込んで、派手な音を出してみて!」

「無理ですって。こいつ、いい加減なこと言ってるだけです。漫画とかで読んだ知識に決まってます」

「むー! そんなこと無いの! 見てるの!」


 穂咲はそう言って、今度は少し胸を反らせて、たっぷりの空気を肺にため込んでから再び楽器を構えた。



 デロデロデロデロデ~♪



 ……才能あるよ。

 さっき、これ以上あるまいと思っていた気持ち悪さを越えて来るなんて。


 俺は、とうとう床に膝を落とした先輩に深々と頭を下げて。

 口を押えて教室から逃げ出す皆さんと共に、穂咲の首根っこを引いて外へと連れ出した。



 デロデロデロデロデ~♪



「うっぷ! それは置いていきなさい!」



 ……ああ、先が思いやられる。

 この調子で部活見学を繰り返したら、きっと後に『穂咲の部活荒らし』とか呼ばれる珍事になることだろう。


 明日の被害者に同情しつつ、俺はトイレへと直行した。



 デロデロデロデロデ~♪


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