第壱幕 『境界』

 秋も深まり始める10月下旬の早朝、

清々しい程の快晴が広がる。

空はどこまでも高く、そして儚げに蒼い。

肌寒くも心地よい秋風が

季節の移ろいを告げていた。

まさにドライブ日和だ。

この日のためにピカピカに仕上げた

5年連れ添う愛車の助手席には

久しぶりの旅行に

いつも以上にご機嫌のアヤカの姿がある。

そんなアヤカに、

こちらまで、自然と顔が綻んだ。

いつもより少し高揚する気分のまま、

紅葉&秘湯巡りの小旅行が幕を開けた。

今回の旅行は、互いの運試しも兼ねて

敢えて行き先も泊まる場所も決めずに

その時の互いの直感と

思いつきで動こうと話していた為、

ちょっとした冒険気分だった。

そんな中、最初に向かったのは、

アヤカが前から行きたいと言っていた

隣県にあるメジャーなスポットだ。

燃えるように色付く紅葉と

それを堪能できる露天風呂が売りだ。

肌寒い早朝だったこともあり

客は数えるほどしか居なかった。


「いらっしゃいませ~

 寒い中、ようこそお越しくださいました」


およそ、旅館かホテルのような応対だ。

オープンして7年位経つらしいが

二人して初めての場所だ。

情報誌にリピーターが多いとあったが

綺麗に清掃された館内と落ち着いた雰囲気、

そして愛想の良いスタッフを見れば

それも頷ける。

トイレを済ませ、館内の売店を見て周った。

お土産グッズがわんさかあり

二人してテンションが上がったところで、

早速、アヤカと上がる時間を決め、

それぞれの暖簾を潜った。

脱衣所も広く綺麗で清潔感があった。

大浴場の湯船に数人の人影があったが

露天風呂にはまだ人影が無かった。

一通り身体を洗い流し、

取り敢えず大浴場の湯船に浸かった。

朝早かったせいか、若干熱く感じた。

温度に慣れてきた湯船に浸かりながら

湯煙漂う情景に『極楽、極楽』と

自然と口から毀れた自分に少々笑えた。

それにしても、なんとも贅沢な時間だ。

そう思えることに大人な自分を感じた。

身体が温まったところで

露天風呂に目をやると誰も居なかった為、

期待を胸に露天風呂への扉を開いた。

が・・・思った以上の冷気に

温まった身体が一瞬で鳥肌を纏い硬直、

人影が無い理由をすぐさま理解できた。

しかし、開けた以上、止めるのも癪に障る。

意を決して外に踏み出し、扉を閉めると

露天風呂の湯船に小走りで雪崩れ込んだ。

体が冷えたせいか余計に熱く感じたが、

慣れるまでの我慢と歯を食いしばっていた。

ところが、いつまで経っても慣れない。

どうやら、元々熱めに設定されているようだ。

試行錯誤の末、浸かったり足湯にしたりと

交互にすることでそのうち慣れてきた。

体も気持ちにもやっと余裕が生まれ、

無事、極楽へと辿り着くことができた。

極楽に到達するまで気付かなかったが

身体が極楽へと達すると同時に

目の前に赤みを帯びた極楽浄土が広がった。

情報誌で見て想像はしていたが

立体感と遠近感そしてそのスケールに

完全に気おされた。

あまりの光景に言葉も無く

ただただ見入っていた。


「うわぁ~」


「すっごいねぇ~」


「アヤカ?」


「うんっ」


「今一人か?」


「うんっユウキも?」


「あぁ」


「同じもの見てるんだよねぇ」


「そうだな」


寒さを差し引いても余りあるその

シチュエーションに二人して大満足できた。

約束の時間5分前に上がると

待合室に満足そうに火照った表情で

ちょこんと座るアヤカが目に留まった。

何だか、そんなアヤカが

無性に可愛く見えたため

コーヒー牛乳という神がかり的な

飲み物をご馳走してやろうと

自販機に向かうとアヤカに呼び止められた。


「ユウキ~

 じゃ~んっ」


アヤカのバッグからそれが2本

御成りになった。

アヤカの方が一枚も二枚も上手だった。


「気が利くじゃんっ」


「出来たおこさんでしょ」


「おこさんじゃないけどなっ」


「えへっ」」


「さんきゅっ」


「うんっ」


初日早々、かなり幸先の良いスタートに

この旅行に対する期待がさらに膨らんだ。

その後、いくつかの紅葉を見て周り

夕方に、また温泉を見つけ

ゆっくりと身体を癒した。

その夜は、途中で目に付いた

小洒落たペンション風のレストランで

食事を取り、その後、

車中泊できそうな場所を探した。

途中、コンビニで翌日の朝食を買い、

車を走らせていると、

多目的公園の看板が目に入った。

標識に従い走ること5分程で

その公園に着いた。

駐車場には、数台の車影があったが

他の車と距離を取り

入り口傍の壁際に車を停めた。

タオルで目張りをして着替えを済ませると

用意してきた毛布に包まり

布団を被って暫く話をしていたが

いつの間にか寝落ちしていた。

 朝、周りを見ると3台の車影が見えた。

ホッとしつつ軽めの朝食をとり、

一通りの準備を済ませ、早々に出発した。

二日目、天気にも恵まれ

規則性を帯びたひつじ雲漂う秋空の下、

自然の音をBGMに車を走らせていた。

元々、ほぼ行き当たりばったりだったため、

道に迷うことも楽しみの一つだと

互いに気にも留めていなかったが

私自身、方向音痴な上に、

カーナビなんてハイカラなものも

付けていなかったため、

本当の迷子状態の2日目となった。

迷ったにしろ、

自分たちで選んで進んできた道。

走っていれば、そのうちどこかには着く。

目的地なんて自分ら次第。

そういうノリで楽しんでいた。

「ユウ~キっ」

「うわっ」


「えへっ驚かせちゃった?」


「ぜんっぜんっ」


「運転、代わろうか?」


「ノーサンキューだっ」


「ん~?・・・

 また、迷っちゃった?」


「『また』言うなっ

 これは計画的犯行だ」


「犯行なんだっ」


「反抗じゃないぞっ犯行だぞっ」


「ん?

 良くわかんなぁ~い」


「・・・気にしないでくれっ」


いつの間にか

知らない山道に迷い込んでいたなんて

格好悪くて言えないが、

実際、アヤカにはバレバレだ。

ただ、アヤカは天然な上に

細かいことはさほど気にしない為

喧嘩になるようなことはまず無い。

こんな些細なことが

相性の良さを感じさせた。

迷ったとは言え、まだ、昼前だった為、

気持ち的には余裕があったが、

長い山道、強制蛇行な道に

運転してる自分が酔ってきた。

運転手が酔うなど聞いたことが無い。

勿論、自分自身初めての経験だ。

途中、休憩できるスペースを見つけては

気分転換と偽り、外の空気を吸いながら

車酔いをごまかしていた。

その度に、

アヤカから運転交代の話が出たが

助手席に乗ろうもんなら

確実にやらかしそうだったため

都度都度、理由をつけて断った。

走り抜ける樹々の単調な景色のなか、

やっと変化が訪れた。トンネルだ。

「古そうなトンネルだねぇ」

「うわっ

 何だよっ起きてたのかよっ」


「うんっ運転大丈夫?」


「あぁ大丈夫だよ。

 そんなに気を遣わなくていいぞっ

 疲れたら遠慮なくお願いするからっ」


「わかったぁ」


アヤカの小気味良い返事と同時に、

トンネルの入り口に差し掛かった瞬間、

若干の違和感を感じた。

トンネル内に入った途端に、

空気が重苦しく一変したことで

その違和感が不安へと変わった。

窓も開けてないのに、生ぬるい風を感じ

その生ぬるさが車内に留まった気がした。

アヤカは感じてないのか、

何のリアクションも無かった。

トンネルに入ったばかりとはいえ、

さっぱり出口が見えない。

ただ単に長いのか、曲がっているのか。

はたまた、勾配があるのか。

古いトンネルなせいか、

内部に常設されてるようなライトもなく

真っ暗だった為、ヘッドライトを点けると、

古びた中央車線のようなものが

うっすらと浮かび上がった。

かれこれ5分くらい走っているが

出口らしき兆しすら出てこない。

「長いねぇ」

「うわっ

 何で耳元で言うんだよっ」


「えへっ

 びっくりしたぁ?」


「一切せんっ」


「えへっ」


「この天然めっ」


そんな会話の中、えらく長かったトンネルに

やっと終わりが見えた。ほっとしたものの、

最初に感じた違和感が消えないままだったが、

何事もなくあっさりとトンネルを抜けた。


「長かったね」


「長かった」


「これはいいんだ?」


「今のは平気」


「平気?」


「何でもないっ」


「えへっ」


トンネルを抜け

また、単調な景色の中10分くらい走り、

峠に差し掛かったところで、

山に入ってから初めて看板を見た。


 『刻冥館』

 概ね百メートル進むと左側に

 木製の手作り看板が・・・

「なっげっ

 読みきれないっつ~のっ

 しかも、概ねって何だよっ」


「何ぃ?

 どうしたのぉ?」


「古びた看板だよ。

 何か書いてあったけど

 停まらないと読みきれないくらい

 長々と書いてあったんだよ」


「それ用の看板だったんじゃない?」


「そんな風には見えなかったけどな~

 駐車できそうなスペースもなかったし」


「気になるなら引き返せばぁ?」


「それはそれで面倒臭いっ」


「ユウキらしいっ」


「やかましっ」


「えへっ」


看板にあった通り、

百メートル程走ると左側に看板が出てきた。

確かに手作りの木製看板だ。

その大きさと、周りへの溶け込み具合で

注視してないと見落とす程のその看板に

不思議と目を奪われた。

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