一巡した回廊の先に死霊術に関する、古い書物の棚はある。

 バールとミンシカは目的の本棚に向かいながら、会話を交わした。


 ––––ミンシカは図書塔にいつから、住んでるの?


 ––––ずっと。


 ––––魔法は誰に教わったの?


 ––––誰にも。教わってない。


 ––––図書塔にミンシカが住んでるって誰も知らないの?


 ––––知られちゃいけないの。


 ––––どうして?


 ––––知られちゃいけないの。


 ––––どうして、オレは君に会えたの?


 ––––あたしが会おうと思ったから。


 ––––どうして……オレなの?


 ––––どういう意味?


 ––––図書塔に入って行方知れずになった人がいるらしいんだよ。何か知らない?


 ––––どうして、あたしが?


 ––––ずっとここにいるなら、君は図書塔で起こる事には詳しいんじゃないか?


 ––––別に、好きでここにいるんじゃないわ。


 ––––ごめん。嫌なことは答えなくていいんだ。


 ––––一昨日、この階層でウロついてる化け物なら、見たわ。


 ––––化け物!? って?


 ––––ここよ。


「鏡?」

 表示が死霊術の書架に切り替わって、しばらく歩いた先に、大きな姿見が立てかけられていた。

 書架が途切れた壁の、通常なら長椅子が置かれている場所である。


 歳の割に背の高い自分と、その腰くらいまでしかない、小柄な少女が並んで映っている。バールはミンシカの髪が、白だと思っていたが、淡い水色なのだと気が付く。

化け物モンスターに遭遇したら、オレ食べられちゃうのかな」


 ネリーも食われてしまったのだろうか。


 鏡の中で、ミンシカの赤い瞳が笑った。

「あの子達は人は食べないわ」

 食べるのは、と続ける。

「魔法よ」


 パチリとバールの中で事件の輪郭が、垣間見えた気がした。

「それは図書塔の管理機能なんだね」

 言いながら、バールは本棚の「I」の項目に移動する。

「彼がいなくなったのが、いつかは知らないけど、それが一昨日なら、ここで魔法を使う事態が起こったことになる」

 ミンシカはバールの後をついて行く。

 吸魂の書インキュベーターはほどなく発見できた。鏡の近くにある「I」の棚の下段に入っている。

 しかし、

「この本、場所が少しおかしいね」

 バールはその書名を眺めて言った。

「上層の近現代書は作家名順に配架されていて、オレたちのいる中層は書名の順になってるって、さっきようやく気付いたんだ」

「その本に触ってみないの?」

 ミンシカがそそのかす。

「……」

 バールは無言で吸魂の書インキュベーターを抜き取った。

 黒い革表紙の装丁。ずしりと重い。

「頭文字は合ってるけど、その後の綴りに従うと、正確には場所が違うよ」

 自分に潜在するかどうかもあやしい魔力を、吸われている実感はない。

 ただのちょっと立派な本だ。

「この綴りの通りなら、本来あるべきは」

 バールはその場所に目を向けた。

 鏡に近い書架の上段の端、棚に取り付けられた魔晶石に明々と照らされているそこに、ぽっかり隙間が空いている。

「ここから、抜いたんだね」

(多分、師匠が)

 バールは手にした本を元の場所へ戻した。


 何も起こらなかった。


「何が足りないのかな」

(もう師匠が確かめた後か…)

「ねぇ、何してるの?」

「再現だよ。他に一昨日と違う所はないかな」

 バールはいつから置いてあるとも知れない、年代物の姿見が目に入って仕方がなかった。

「なんでこんな所に鏡があるんだ?」

「見ればわかるじゃない」

 ミンシカの声を聞き終える前に、耳障りな音がした。


 ジジ…ジ…


 同時に辺りの明かりが弱まり、ついには消えた。


 本棚に取り付けた魔晶石一つが消えただけなのに、閲覧用の長椅子があるはずの場所が鏡で、その鏡の前を照らす照明がないため、黒革の本のある書架は闇に落ちた。


 慌てずにバールは手元の龕灯カンテラを高く掲げて、今消えた魔晶石を照らした。

 同時に吸魂の書インキュベーターの背表紙も照らし出された。


「バール」


 ミンシカの声に振り向こうとした時、バールの手元の明かりがかき消された。


「ミンシカ? なんか変だ。君だけでも明かりのある場所に移動して」


「それよりバール、気を付けた方がいいわ。見えているの? やつらはすぐそこよ」


 ミンシカの声が遠ざかって聞こえた。


 バールはてっきり化け物モンスターの事だと思った。


「なんで? オレは魔法なんて使ってないのに?」


 本棚の中央の闇の中、白いミンシカの髪だと思って目を向けると、それは、

「あれ、師匠、来てたんですね?」

 白いものの混じった黒髪に濃紺の長衣ローブをまとったマクシミリアンだった。

 

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