30
サルイシアの魔術は、おそらくルレオリと似通ってる。
魔術の性質もそうだし、何よりもその読み手であるイキシアとキヤラたちの使い方が似通っている。
ただルレオリは術者の眠っている間に発動する魔術だったが、サルイシアの魔術は条件が微妙に違う。
青海文書の記述や秘色屋敷で手に入れた情報、それからルニスが断片的に出していたヒントから推測するなら、あれはおそらく、《物語を自分自身の肉体を使って具現化する能力》であり、それが具現化している間、術者の意識を《消す》。
あるいは、どこかに移動してるだけなのかもしれないけれど、使ったことがないからわからない。それがどんな感情なのかわからないから、僕が使えるかどうかも不明。
とにかく、風信子イキシアはサルイシアの魔術で《ルニス》をこの世に誕生させた。天恵で得たクトゥルフ神話由来の書籍を参考にしたんだろう。なぜイスの一族なのかは謎すぎるが、会話が通じそう、と思ったのかもしれない。
だからルニスは最初、イキシアの肉体でこの翡翠女王国で現れたはずだ。
しかし、イキシアには誤算があった。
秘色屋敷で僕とクガイが出会ったルニスは、屋敷の主であるイキシアではなく男性の体を使ってた。
イキシアの伴侶だった男性だ。
青海文書によって女王国にやってきたルニスはイスである自身の能力を使って体を乗り換えたんだ。
そのとき青海文書がどんな処理をしたのか、それはルニスに聞くしかない。
でもその後もルニスが存在し続けたのなら、サルイシアの魔術は解けなかったのだろう。ルニスは存在し続け一旦はイキシアの意識も戻った。
そしてそこでもう一度、魔術を使ったはずだ。今度こそ神格を呼び出したのだ。
そしてあの館が、縞瑪瑙の館が出現した。
そのはずだ。
ルニスはあの館を終わらせたがってる。
そしてその条件なら、彼は僕の協力者になり得る。
魔術学院を飛び出したヒギリと魔人は壮絶な空中戦を繰り広げながら、なるべく人気がなく戦闘を行っても被害が少ない海辺の公園へと着地した。
着地と言ってもヒギリは襤褸雑巾みたいに叩きつけられてるだけだ。
絵に描いたような猪突猛進で接近しての攻撃しか手段がないヒギリがそうなるのは見えてた話だ。むしろ、よく保ったほうだろう。
イチゲは援護射撃をしながらヒギリに駆け寄る。
「ヒギリ、逃げろ! 《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
地中から生え出した茨の檻が魔人を封じ込め、内側に向かって突き出した棘がその体を突き刺して拘束する。
茨や棘は黒ずんで鈍い色をしている。オルドルが出現させる輝かしい銀色を鏡として利用されたら堪らない。
ここから魔人を生かして逃がすわけにはいかないんだ。
絶対にマスター・サカキを殺させはしない。
イチゲやヒギリもだ。
「二人とも、僕の合図を待って」
残りの触媒を全て使って、魔人を封じ込める檻をさらに頑強にしていく。
「むやみに戦う必要はない。魔人はここで滅び、そしてもう二度とこの世界に出て来ることはないんだから……!」
檻に近づいていく者がいる。
白銀の髪を踊らせながら。
魔人の瞳が彼の姿に釘づけになる。
わかるだろう、クガイ。
意識を角に飲まれても、妹を殺し、サカキとして復活したミズメを殺し、自由を与えようとしていたおまえなら。
桃色の眼差しが誰のものか、忘れたわけじゃないだろう。
コチョウの中にいるルニスが魔人に触れれば、たとえどれだけ角が持つ莫大な呪力に侵されていたとしても、その精神は強制的に交換される。隙が生まれる。
結局のところ、僕もキヤラと同じだ。
彼女は知っていた。
人の心のいったいどこがいちばん弱く、柔らかいのか……。
それは孤独な人間が、孤独を忘れる瞬間にある。もう、それまでには戻れない、戻りたくないと感じる一瞬。
どれだけ強くても心は無防備になる。
すごく卑怯な手だ。だけど弱い人間は他人の弱さを利用しなくては生きていけない。正しくはあれない。
思ったとおりコチョウの差し伸べる手を魔人は振り払わない。
「マスター・ヒナガ……!」
イチゲが緊張した声で僕に忠告してくる。
それは確かに忠告だった。
言葉にしなくても僕にはその内容が見えていた。魔人を捕らえている鉄の檻が、見ている前で脆く崩れる。急速に錆が広がって土くれのように崩れていく。
それでも……魔人はコチョウを見つめていた。
自らを捕らえているものはもう何もないのに、攻撃することも、呪いを振りまくこともない。それどころかコチョウに呪いの影がかからぬよう、道を開けて受け入れているようでもある。
それほど大切な存在だったのだ。
そしてそれは僕ではなかった。どれだけ望んだとしても、僕ではあり得ない。
コチョウの体を借り、ルニスが魔人に触れる。頭部に指先が触れ、優しく頬を撫で、首筋に到達する。
コチョウの体が力をなくし、その場に倒れこんだ。
精神交換が成立した。
いま、魔人の、尖晶クガイの体を制御しているのはルニスだ。
「ルニス……核を魔人の体から取り出すんだ」
ルニスは魔人の体を覆っている、竜騎装を模した影を解除していく。
そして魔人の腕を持ち上げ、左肩に触れた。
そこだけ影が分かれ、人間の体が露出する。魔人の腕は左肩に触れる。そして衣服を切り裂き、その下にある皮膚を破り、その奥へとめり込んでいく。
通常の人間の精神では耐えがたい痛みだろう。ただし、魔人からあふれ出すのは鮮血ではなく、どろどろした黒い液体だ。
ルニスの指先は筋線維や血管を破りながら、漆黒の塊を肉の下から引きずり出す。
黒一角獣の角の姿がようやく露になる。
闇色に染まりながらも、陽光の下で煌めく負の結晶を掌に載せ、こちらに向けて差し出してくる。
角が離れ、尖晶クガイにまとわりついていた闇の力が離れる。それと同時にその下に隠れていたクガイの姿が見え隠れする。
痩せて生気を欠いているが、過去と同じ紅色の瞳をした青年の顔がそこにあった。
懐かしい、という気持ちが浮かぶ。時間の経過としてはクガイと一緒にいたのはついさっきのことだ。
だけどこれから、懐かしくなるだろう。
これは、この瞬間しかない千載一隅のチャンスだ。
「イチゲっ! ヒギリ!!」
僕の合図よりも先に二人は動き出している。
銃よりも確実性を選んだのだろう。竜鱗でナイフを作り出したイチゲが、角をめがけて飛び掛かる。
ルニスはそれを受け入れるはず……。
勝利の瞬間を目前にしたそのとき、それは起きた。
「お客様っ!!」
魔人の足元で、美貌を驚愕に歪めながらコチョウが起き上がった。
「尖晶クガイは本物の魔術師だった!! あれは魔人ですっ!! 断じて私ではありません!!」
息が止まりそうなくらい驚いた。
精神交換は成立してない。
尖晶クガイはルニスの能力に対抗する手段を講じてた。
それどころか、僕らが立てた作戦を読み取って、それに乗った。
僕の見ている前で、イチゲの背中から鮮血が溢れる。竜騎装が解除され、制服の背中が真っ赤に染まり、その中心から闇色の刃が抜けているのが見えた。
ただ一点、角を狙っての攻撃は確かに必殺ではあるが、単調で読みやすい。狙いがひとつなら二人の連携などしようがないし、怖くもない。
跳ねのけられたイチゲの体が海と陸とを隔てる鉄柵に叩きつけられる。
続くヒギリの小刀による攻撃も呆気なく捌かれて、一瞬、魔人の姿が消える。
次の瞬間、迅雷の速さで叩きつけられた前蹴りが肋骨を叩き割った。
ヒギリの武器である《速さ》を体術に組み合わせたのだ。
同じ魔術の使い手でありながら、角に集中していて動きが単純になっていたヒギリには避けられない。
地面に叩きつけられて、これで僕を守っていた二つの大きな駒が落ちた。
魔人が放った闇の刃が、守る者がいない無防備な僕の体を貫いた。
「うぐっ!!」
胸と腹を、そして的確に両脚を。
地面に縫い留められたように、一瞬で逃走不能になる。
痛みにはだいぶ慣れてきたと思ったけど、魔人の攻撃は一味違う。肉体が破壊されたダメージと一緒に、何かが、僕の意志ではコントロール不能な魔術が皮膚の内側に入り込む異常な感覚がある。
傷口が麻痺したように痺れて、気持ちが悪い。
僕は突っ伏しながら、口から大量の血を吐いた。
これは魔人のせいじゃない。魔術の代償で奥歯を歯茎ごと持って行かれたからだ。
悲鳴やうめき声は、食われ損ねた肉片やあふれ出る血を吐きだす音響に塗りこめられていく。
これで終わりだ。
魔人は今なら、僕を容易く殺せる。
もう何もできることはない。
僕と彼とでは戦いに向けている覚悟が違う。その知性と才能の前には、誰もがひれ伏し、屈服せざるを得ない。
ただし。
本当に、僕の持ってる駒が二枚だったらな。
魔人の動きが止まる。
彼が角を捧げ持っていた掌を、その甲を下から貫く鮮烈な刃があった。
その刃は透明な氷でできている。
傷口から噴き出した黒いヘドロみたいな体液は空中に飛び散って制止する。
体液を浴びて姿を現したのは、短いズボンを履いた細い脚だ。
それから少年のような短い青い髪の毛。
菫青ナツメだった。
自身の体を透明化させて戦う異色の竜鱗騎士にして、イチゲとヒギリの大事な仲間だ。彼女なら、仲間を助けるために絶対来ると思ってた。いや、正確にはいると思ってた。イチゲとヒギリがいるのだから、ナツメがそこにいないはずがない。
彼女なら、魔人に姿を見せることなく戦える。
魔人に模倣されることなく、最後の、究極の瞬間まで潜伏し続けて、決着をつけることができる。
魔人の手から角が零れ落ちる。
当然、僕には見えていた。瀕死のイチゲが、地面に伏せながら、銃で狙いをつけてるのを。彼女の放つ光芒が魔人の核を、一角獣の角を粉々に砕くだろうことを。
そうしたら、ここにいるクガイの写しは死ぬ。魔人は滅ぶ。
僕はもう、何もしない。
僕ならば、僕と僕の魔術ならば、魔人を救うことができる。
だけど、何もしない。
僕は、魔人を救わないことに決めたからだ。
僕も、そうすると決めたんだ。
だれも選択の前にはもどれない。
もどれないんだ。
たとえ、ほかに選択肢がなかっただけだとしても。
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