21 狡知の魔女

 冷凍庫は市場の建物全体に組み込まれる形になっていたが、現在は僕とイブキが無理矢理独立させ、周囲を鉄で補強している。

 イブキの魔力が切れるとこの牢獄は崩壊するだろうが、それより流石に市警が来るほうが速いはずだ。


「いったい、何やってるんだクヨウ捜査官は!!」

「あ、あの……マスター・ヒナガ……」


 イブキは扉に向かって剣を向けながら、青ざめた顔をしている。

 ルビアの叫びは最初、僕への罵り言葉という形をしていた。

 出せ、ここから出せ、という。

 しかししばらくたつと様子が変わって、それは啜り泣きになっていた。


「おねがい、おねがいです、許して……ここから出して……! 狭いよ、暗いよ、怖いよ! 出して、出してお願いぃ!!」


 懇願と狂乱というに相応しい響きが鼓膜に届く。

 それはどんな拷問より、キツイ。精神的に。

 イブキは少々ひねくれてはいるが、竜鱗騎士になろうというだけあって正義感や良心がある。

 いたいけな少女を閉じ込めて平然としていられるような人間性は持ち合わせてないのだ。


「市警への連絡は終えたよ」


 シキミが通話を切り、疲れきった表情で言う。

 彼の瞳も、金属製の分厚いドアのむこうを見据えている。


「お願い、お願いお願いお願い! お、お父様!! もう、もうルビアのことを叩かないでぇ!!」


 もう叩かないで。ぶたないで。

 ひどいことをするのはやめて。

 絶対に罠だ、とわかっていても、その狂乱ぶりは堂に入りすぎている。


「…………シキミさん、ルビアは、その、まさかとは思うけど……」


 わざわざ訊ねるのは気まずさからだが、馬鹿馬鹿しい問いかけだと自分でも理解はしてる。

 その悲痛な願いの羅列が何を示すのか、僕にはわかる。

 この世の誰もが理解しなくても、ほかならない自分だけは……。


「そうだ。ルビアは実の父親から暴力を受けていた」


 イブキは苦虫を噛んだような表情で、魔術を使い続ける。


「できれば、助けたかった」


 きっとシキミは本気で、彼はルビアを助けようとしてたんだろう。だから事務所に鍵もかけずに、彼女のもとに向かって犯行現場を目撃し、捕まったんだ。

 助けたかった……でもできなかった。

 誰にも救えなかった少女の悲鳴が響く。


「教えを守りますから! もっと、もっといい子になります。使徒ヘデラ……何故、なぜ私を助けて下さらない、の、のですか……!?」


 きっといい子になっても、使徒ヘデラは彼女に鞭を振るっただろう。

 でもそのことを、ルビアは信じられない。認識すらしないだろう。


「きっと……あの魔人は、使徒ヘデラなんだな……」


 スケラトスの物語の中には、三人の登場人物がでてくる。


 ひとりは魔法使いの父親。

 ひとりは洞窟に閉じ込められ、ありもしない魔物に殺された兄。

 ひとりは兄をだまし、幽閉した弟スケラトス。


 彼女はそのうちのふたりの魔法を使っている。

 スケラトスと、その兄の魔法だ。

 スケラトスの兄は騙されて暗い洞窟に閉じ込められ、魔物に襲われて死んだ。

 だが魔物がいる、というのは父親がついた嘘だった。


『兄を殺したのは恐怖そのもの』


 オルドルが囁く。

 暗がりに何かが潜んでいる。父が隠した恐ろしいものが――己の魂を砕くほどの恐怖が。


 ルビアは物語に語られなかった兄の死の真相をそう《解釈》した。

 そして共感した。深く、とても深く。


 なぜなら彼女も脱出不可能な牢獄で、父という名の化け物に襲われていたからだ。


 それがスケラトスの兄が使った魔法だ。

 密室の中に《恐怖の対象》を映し出す魔法。

 だから、魔人はその外には出られない。彼女自身を閉じ込めていなければ、使えないんだ。


「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」


 虐待されたトラウマがぶり返して、現実と過去の体験の区別がつかないでいるのだろう。冷凍庫の中で、ルビアの恐慌は激しくなっていく。

 市警はまだか?

 なぜはやく来ないんだ?


「――ますから、ら」


 ルビアの叫びが最高潮に達する。


「し、死にますから、許して」


 その言葉が放たれた瞬間、僕とイブキが同時に凍りつく。

 それも罠だ、と直感する。

 でもその勘を信じきれない。


「せ、先生……!」


 もしかすると、あまりの恐怖に耐えきれず、彼女は最悪の方法を選ぼうとしているのかも。

 その疑念を捨てきれない。


「神よ、いま、おそばに…………! うっ……ひぐぅ…………ぐッ!」


 どうする、どうすればいい?


『バカ! 相手が誰だかわかってるのか!?』


 決めるのは自分だ。

 冷酷になりきれず、優しくもない自分自身だった。


「――イブキ! 扉を開けてくれ!」


 もしそれが、ほかの誰かだったら、結末は違っていたのかもしれない。


 扉を押さえつけていた魔術の枷が離れる。

 拘束が弱くなった扉の鍵が吹き飛び、鞭が放たれる。

 僕に、直接だ。

 激しく胸を叩き、青海の魔術とは違う力が流れこんでくる。

 冷凍庫の中では、自らの手で首をしめながらも、僕を捕えたことに歓喜の涙を流す少女がいた。


「み、《自ら死ぬ》がいい、師なるオルドル」


 僕の、自分自身の両手が意志に反して持ち上がり、首を絞め始めた。


「な、なんっ……!」


 なんだこれ。

 まったく抵抗できない。自分の両手が両手じゃないみたいだ。


 これは、魔術を無効化する力じゃない。――――《他者に命令する力》、《支配》の力だ。


 指が頸動脈を締め上げ、呼吸が困難になる。

 酸素が、酸素がたりない。

 このままでは、死ぬ。

 他の数多の犠牲者と同じに。

 死ぬ――――。


「おおゆうしゃよ、しんでしまうとはなさけないっ……って、オルドルが言っていたのだけれど、どういういみなの?」


 そんな、朗らかすぎる声がきこえた。

 こう言っては何だが、なんとなく展開は読めてた。

 隣に、幼い女の子が佇んでる。オーロラの髪をなびかせた、そう。マージョリー・マガツだ。

 彼女の周囲で、世界のすべては時間が停まったように動かない。

 イブキは剣を抜いていたが、僕が死にかけてる仕組みが謎すぎるため攻撃にうつれず、一般人のシキミは驚愕するばかりだ。そしてルビアは勝利を確信した表情のまま動きを止めている。

 そして世界の半分は、マージョリーのものだった。


「なにごれっ、夢……!?」

「そう、ゆめ。あなたが死にかけたので、精神だけをはこんだの。ここでの時間の流れはとおってもおそくって、ほんとの世界では一瞬なのよ」


 マージョリーのそばには、ピンクのフリルとレースだらけの寝具が置かれて、誰かが寝かされている。

 死んだナマズみたいな顔でぐったりしているのは、オルドルだ。

 口には体温計、額には氷嚢の病人スタイルが悪夢みたいだった。


「何ソレ、いったいどーなってんの?」

「鹿さんはびょうきなのよ。だからマージョリーがかんびょうしてるのです!」

『……………………いっそ、殺して欲しイ』


 あの居丈高で頭がおかしくて僕の肉を食いまくってる食人鹿がこういう目にあっている、というのは報復絶倒のギャグそものだ。


『あ、そうだ。キミがそのままスケラトスに騙されて死ねば、ボクも一旦消えるよね?』

「怖いこと言わないでなんとかしてよ……!」

「あのね、やばい、とおもってつれて来はしたんだけど……マージョリーは肉体がないから、いかんともしがたいのです……ごめんなさい、ツバキ」


 マージョリーはしょんぼりした表情だ。僕もしょぼんとしている! 死亡時刻がゆるーく引き伸ばされてるだけなので今にも死にそうだ!


「オルドル、君の力で、あの鞭の力に抵抗できないのか!?」

『ボクは魔法を使ってる間、肉体も精神もかぎりなくキミと同化する。キミに抵抗できないなら、ボクにも無理だ』

「じゃあ……マージョリー、きみなら……!?」

「わたし?」


 マージョリーの、夜に輝く星の瞳がぱちぱちと瞬く。

 オルドルがマージョリーを睨みつけ、言った。


『ムシロ、キミにしかデキない。ボクがツバキと同化すると、その瞬間支配されてボクは動けなくなる、どころか自死の命令を受ける。でもマージョリー……キミが、ツバキの体をコントロールできる可能性がアル……ほんのチョットだけ』


 最後の付け足しが不安すぎるが、やるしかない。


「《昔々》っ……!」


 ふと、誰のことを想えばいいだろうと考えた。


 僕は目の前のルビアを見つめ、彼女のしたことを想う。

 彼女の絶望のこと、そして使徒ヘデラの非道を想う。

 ルビアに妄想を植え付けた七使徒教団のことを考える。

 イブキを巻き込んでしまった上、なんとかなるだろうと考えた自分の甘さに思いを馳せる。


 憎悪する。

 憤怒する。


 八つ当たりでも自業自得でも構わない。

 その愚かさを、残酷さを、受け入れてしまった世界を僕は憎む。


 滅びよ、少女ひとりを救わない、僕自身。そして歪んだ世界よ滅びよ。


『「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!!」』


 夢から覚める瞬間、滑らかな指先が手首に触れた感触がした。

 ほんの一瞬。でもそれだけで十分だ。


 時間が動き始める。


 いきなり自分の腕の力が緩んだ。

 イブキの刺突がわずかに壁に穴を開けていた。それが援護となって、一瞬だけ魔人が消える。


「邪魔をする、なあああああああ!」


 狂気の叫びとともに、イブキの姿が見えなくなった。

 スケラトスの魔術によって、コンクリの立方体が拘束具になってイブキの体を取り囲んだのだ。

 僕はというと、必死に口を開けて酸素を取り込みながら這いつくばり、逃げることしかできない。


 足首に何かが巻き付く。


 穴を塞いだルビアが魔人を使い、鞭で僕を掴んだのだ。


「《黄金の力を以て、罪人を裁く剣を与えたまえ!》」


 オルドルの牙が小指の爪を食いちぎり、魔法が発動。

 天井を破壊しながら、剣が雨になって降り注ぐ。

 天井が破壊されたために、魔人が消える。

 だがルビアがすぐさま修復する。

 さらに魔法を使い、密室を構成させないことでしか、生き延びる手だてがない。


「ルビア、もうやめるんだ。八つ当たりは……!」

「や、やや、八つ当たり、だと? こ、これは、教えにしたがったからで、お父様のためになることで……!!」

「嘘だ。――だって、他人の命を奪うのは、楽しかったよね?」


 僕は必死に頭を働かせながら、詭弁を口ずさむ。


「楽しい……?」


 ルビアは戸惑っていた。鞭の動きが止まる。


「僕には君の気持ちがわかるよ。魔術を使えば何もかも思い通りになるもんね。誰もが自分に命乞いをするのが嬉しいんだ」


 僕は言葉を紡ぐ。

 不思議なことに、言葉は流れ出るように溢れて止まらなかった。

 目の前にいるか細い少女が、たった一度しか会話をかわさなかったその人のことが、まるで、まるで……あの日の、ただ呆然として自分の過ちを見つめることしかできなかった自分に重なった。


「だってそうだろう。どこにいて何をしていても、家に帰れば、僕らは無力で……何もできない人間だから。弱くて、痛めつけられていて。でも他人を苦しめている間は違う」


 これは言い訳にしかならないけど、僕は彼女を救いたかった。

 こんなことがしたかったわけではない。

 でも、そうしないわけにはいかない。――この苦しみは、きっとルビアに伝わることはないだろう。


「教団の教えなんかウソだよ。他人が苦しむ姿をみると胸が空くんだ。自分がこれだけ苦しい思いをしたんだから、他人もそうなればいいっていつも考えてたよね。自分を助けてくれないみんな、不幸になればいいって、ずっとずっとずっと起きて意識のある間中ずっと、そう思ってたはずだ」


「―――――――――ちがう!」とルビアが叫ぶ。


「違わない!」


 僕も叫んでいた。


「君は僕と同じだ! 卑怯で愚かで、他の何ものにもなれない、他人の足を引っ張ることしか知らない惨めな人間なんだ!」

「ち、違う、違う違う違う! あなたなんて知らない!」

「聞くんだルビア! これまでにどんなに酷いことをされたとしても、どれだけ可哀想でも、君にはほかのひとの幸せを奪う権利はない!」

「わ、私は! 私は――!!」

「君は天国になんか行けない! 他人の不幸だけを願い、妬み、憎み、正しいことや良い行いができない君は絶対に報われたりしない……!!」


 ルビアの体が、鞭で打たれたようにはねる。


「世界中の誰も君を救えなかったとしても、ほかの人々は幸せになり、世界はずっと続いていくんだよ! それを邪魔することなんてできないんだ!」

「だ、黙れッ!!」


 ルビアは怒りを露わにして、魔法さえ忘れて、杖を掲げて僕を殴りに来る。

 僕は待った。

 そして願う。


 来い。

 ――来い。


 そして、僕と彼女の間に、風が吹く。

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