22


 純白の風が吹いた。

 勇気と暴虐が一陣の風になって、この追いつめられた部屋に吹き込んでくる。

 きっと僕以外に、それは見えないだろう……。

 その白さを。

 その無垢さを。


 ぱきり、と氷の薄片を踏み割るような音がして、密室を形作る壁の一面を切り裂いていく。


 それは剣の切っ先だった。


 刃が床まで到達し、そして剣筋を伝って白い結晶が鉄筋コンクリートの壁を覆い、急成長していく。

 ものの数秒で壁面が純白に染まり、脆く砕け散る。

 かけらが花弁の如く宙を舞い、待ち望まれて勇者の到来を告げた。


 みずから創り出した雪原の世界に踏み入って来たのは、幽霊のように白い髪と、そして服をまとい、二刀を手にした美貌の戦鬼だ。


 彼の名は天藍アオイ。

 あの一瞬――マージョリーを使い、カフスからメッセージを送った相手だ。


「何をやってるんだ、お前ら。あと副班長」


 天藍は美貌を思いっきり顰め、さらにぞんざい過ぎる台詞を口にした。

 少女めいた美貌を台無しにしながらイブキが閉じ込められてるコンクリの立方体に近づく。


 次の瞬間、彼の姿も立方体に呑み込まれていた――が、秒とたたずにその表面に亀裂が走り、コンクリが瓦礫になって崩れ落ちた。

 怪力まかせにしては断面があまりにも滑らかだから、斬ったんだ。

 サイズ的にはぎゅうぎゅうの状態でどうやったかは知らないが、そういうことだ。


「妙な魔術だ。椿、お前の」


 使う魔術に似ている、と発言しようとした瞬間、さきほどよりも大きな密室が台詞の続きごと飲み込んだ。

 そしてやはり次の瞬間には三太刀ほど浴びせられ、寸断させられた密室が崩壊した。

 見事な天丼だけど、絶対絶命の大ピンチすぎるので笑うに笑えない。


「鞭の攻撃、食らったか!?」

「避けた」


 変わらぬ無表情で敵を睨みつけながら、また密室に呑み込まれる。

 でも何度やっても、同じことの繰り返しだ。ものごとの単調さは、修練を積んだ戦士にとってはその技の冴えの曇りにすらならない。


「な、なんなの……? あなた、だ、誰……!?」


 風向きが変わったことを感じ取り、ルビアが後ずさる。


「この魔術……そっちの女は連続密室自殺事件とやらの犯人か。そこのポンコツ魔術師と同じ青海文書とやらの使い手だったとはな……」

「説明いらずで助かる」

「事情は知らんが無視もできまい。最後に名を聞いてゆけ」


 天藍は剣を抜き、構える。


「私は竜鱗騎士団団長、天藍アオイ。いざ――参る」


 深く腰を沈めた姿勢から、動揺すら許さない神速で踏みこむ。

 竜の脚力と瞬発力で、疾風そのものとなって少女の背後に回り、柄を首筋に叩き込む。

 天藍は無感動に失神して倒れたルビアを見下ろし、剣を鞘におさめた。


「相変わらず、情がなくて助かった……」

「バカにしているのか?」

「本気で言ってるんだよ」


 彼の冷徹さが、勝負を決めるのにどうしても必要だった。

 イブキにも、僕にもない鋼のような心が。

 助け出されたイブキが、その姿を見てぎょっとしている。


「班長、なぜここに!?」

「椿からコレが送られてきたのだが、仔細を確認したい」


 天藍アオイは藍色の鉱石が飾られたカフスを操作して、ある写真を空中に投影する。

 それは僕と天藍がキスしている……ようにしか見えない写真だ。

 いや、一応唇は触れ合っているのだが、あれは救急救命措置だし、あの時点で僕は死体である。深くは考えまい。

 そして写真はイブキが校内戦のときに撮影し、売り捌いていた《商品》でもある。

 窮地を悟ったイブキは地面に土下座していた。

 さすがだ、謝罪のスピードだけは速い。


「とりあえず、この場の処理を先にしようよ」


 僕はルビアに駆け寄る。

 助けるためでなく、拘束するためだ。


「近寄るな」という天藍の注意は、ちょっとだけ遅かった。


 失神したはずの彼女が、瞼を開けている。

 そのことに気づいた瞬間、僕の視界は闇に閉ざされた。

 密室に飲まれたのだ。でも、どうして。


「ど、どうすれば、こ、この娘を助けられる?」


 闇の中で声がする。

 ルビアの声だ。震えているが、いつもの喋り方とはちがう。

 恐怖と狂気のどちらも感じない。どちらかといえば優しい喋り方だ。


「ど、どれだけ救いを願っても、私は見ているだけしかできなかった。わわ、私の力では、彼女を解放できない……」

「な、なに…………なんのこと?」

「わ、わたしはスケラトス、その兄」


 背筋に冷たいものが走る。

 そうか……ルビアは力を使い過ぎたんだ。

 青海文書は使用者に代償を求める。

 そしてその代償を支払いきったとき、読み手と魔術師は一体になるのだと、オルドルが言っていた。


「お、おねがいだ、師なるもの。こんなのは、残忍すぎる。はやく勇者を選定してくれ。物語を終わらせてくれ。青海の魔術師を解放してくれ、おねがいだ」

「何を、何を言ってるんだ?」

「すまない、も、もう、弟を押さえることができない」


 閉じ込められた立方体が切り崩されるのと、ルビアの両手が僕の首を折らんばかりに締め上げるのと、それは同時だった。


「その手を離せ」


 涼やかに、天藍が命じる。

 凄まじい剣の技と三海七天の魔術に裏打ちされた強い命令だった。


「邪魔者どもめ、等しく滅びろ!」


 歯を剥き、鼻に皺をよせ、狡猾そのものの表情で怒鳴りちらす。

 おそらくこれはスケラトスだ。ルビアの意志ではない。彼女の意識は残っているのだろうか……わからない。

 天藍は豹変を意を介さなかった。

 彼はイブキよりも冷酷で、戦いのルールに忠実だからだ。


 やめろ、と僕は心の中で言った。

 やめろ、やめてくれ。

 そんな結末をみせないでくれ。


 最後の剣は、僕には見えなかった。

 音を置いて行くほどの速さの抜刀が、彼女の首だけを両断し、背中から心臓を貫く。


 その結果だけが僕の目の前に現れる。


 頬に熱い血の雫がふりかかって……。


 音のない静かな夜に、心が塞がり、固く閉じていくのを感じる。


 ほんの少しだけ、ルビアを苦しみから救わなかった者たちのことを考えた。

 それは他ならない、僕自身のことだ。

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