全てを失ったとしても勇者は勇者なのだろうか?

八冷 拯(やつめすくい)

第1話 この街は地図上のどこに当たるのだろうか

 耳をつんざく喧騒が賑やかな電飾を伴った人ごみを助長する夜の街。


 甘いポマードの匂いと酒臭さが交わる十字交差点の中心にその筋骨隆々とした男は立っていた。


「ふむ。これは一体どういう事なのだろうか? こんなに賑やかな街は我が旅路にはなかったはずなのだが」


 きょろきょろと辺りを見渡しながらなんとか自分の置かれている状況を飲み込もうとする男。

 取り敢えず道行く人にでも街のことを尋ねようと適当に人当たりの良さそうな女性を探し「すみません」と声をかける。


 しかし、声をかけられた当の本人は「きゃっ」と短い悲鳴を上げて、男に汚らわしいと言わんばかりの侮蔑の篭った視線を押し付け、連れ添っていた女友達と肩を寄せ合いさっさとその場を立ち去って行く。


 「ふむ。私の人を見る目も堕ちたものだな。しかし何だ、この街の人間はやけに私と距離を取りたがるのだな」


 そう、今この交差点では男を中心として同心円状に、街を行き交う人々が老若男女を問わず手に手にカメラを持ってパシャパシャとシャッターを切っている。


 「くっ、眩しい……これがこの街の洗礼というやつか……でも私は勇者……この程度のことで屈するわけにはいかんのだぁ」


 男が咆哮を上げると周りを取り囲んでいた人々は一瞬、びくっとして退いたものの男が何もしてこないと分かると引き続きシャッターを切る。


 そして、その人混みの中からあどけない、でも誰よりも核心を突いた一言が投げ出されたことをきっかけに事態は動き始める。


 「ママぁ、あのお兄ちゃん真っ裸だよ。あれが露出狂っていう人種なの?」


 「しぃーっ!見て見ぬふりをしなさいっ」


 場に立ち込める静寂。これが集団心理というやつなのだろうか。みんなが気にしていなかったことを指摘されあちらこちらで悲鳴が上がる。


 中にはカメラがわりとして使用していた携帯電話でそのままどこぞやに通報している者まで出る始末だ。


 「むっ。私を見て何やら皆が騒ぎ立てているな。やっと私の正体に気づいたようだな。だが、こんなにも気づくのが遅いということはかなり辺境の地にあると見えるな」


自分が全裸であることに関しては一切の恥じらいはないようだ。


男が自分の観察眼の鋭さに浸っていると急に背後から声をかける者が現れる。


さっきまでいた野次馬のうちの一人が呼んだ警察官だ。


「あの、お兄さんちょっといいかな?」


警察官が柔和そうな雰囲気で男に声をかけ、優しく彼の盛り上がった肩を叩く。


瞬間、全裸の男は極太の筋肉が何本も張り付いている腕を高速で振り抜き鋼鉄の裏拳が警察官の頬を震わせる。


斜面を転がる丸太のような勢いで交差点を転げる警察官。その顔は怒りと恐怖に満ちており、その胸に付いていた無線機に手をかけると


「〇〇交差点にて全裸の外国人が暴れている模様。本官も先ほど右頬を殴打された。至急応援を頼む」


男はまるで何事もなかったかのように平然と交差点を流れて行く人々に詰め寄り、話しかけている。


程なくして応援要請を聞きつけた三台のパトカーが到着。中から出てきた車の二倍の数の警察官は直ちに男を取り囲む。


「動くな!警察だ」


「ケイサツ?それが君の名前なのかい?私の名前は……」


「お前の名なんて聞いていない。我々は警察という組織の者だ。しらばっくれおって」


「それは失礼した。して、何か用があるとお見受けするが。あいにく今はエドワード国王からの以来で姫を助けに行く最中なんだ。手短にして頂けると助かる」


「なんなんだコイツ。まあいい、お前を市の迷惑防止条例違反と暴行罪、それに公務執行妨害の現行犯として逮捕させてもらう」


「逮捕だと?今さっき急いでいると言ったではないか。あとでそのボウソウ罪?とやらの罪は受けるとしよう。しかし今はこの場を見逃してはくれないだろうか?」


「見逃すわけないだろうが!すぐにしょっぴいてやるから大人しく車に乗れ」


警察官は「あと、暴行罪な」と付け足す。


「すぐに……か。いいだろう。私も実はそなたたちの乗ってきた鉄馬車に興味があってな。またこれで一つ私の冒険物語が増えると思えば悪くもないだろう」


「……まあいいや。大人しく捕まってくれるのならそれで」


男はその大きな体を折り曲げてパトカーに乗り込む。その隣で先ほど裏拳を顔面に受けた警察官が目を光らせる中、何事もなくパトカーは中央警察署にまでたどり着いた。

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