第41話 締め切り

 それから一ヵ月。あたしはアイナや友華ちゃんから完全に隔離された環境で、ひたすら漫画を描き続けた。


 勿論気にはなった。アイナはきっといろいろ勘違いしたままだ。あたしとカオルさんが付き合っていると思ったまま。そしてあの写真があたしとメグル君だと知っている。カオルさんの許可があって、あの写真が撮られたと思っているんだろうか。あの電話のニュアンスではそう受け取るしかない筈だ。

 友華ちゃんの方も、そろそろ気づいたんじゃないだろうか。あたしはどんな顔をして二人と顔を合わせたらいいのかわからない。


 そんなこともあって、あたしはこの一ヵ月ほど全く家から出ずにいた。買い物もメグル君がしていたし、とにかく描いていないと余計なことを考えてしまう。


 それに、日にちがあまりないのだ。神代エミリーのところにはアシスタントが六人もいたけど、あたしの方はカオルさんだけだ。カオルさんは一切あたしの作品には口出ししないし、頼んだことしかやってくれない。感想を聞いても一切答えてくれないのだ。

 漫画家って、こんなに孤独な仕事だったんだ。今更だけど、その過酷さに滅入りそうになる。


 そんな中、メグル君だけはいろいろとあたしに気を使ってくれる。だけどあたしの方が素直になれない。あのキスの責任を感じていろいろ気を使ってくれてるんじゃないかって、あたしが勝手に勘ぐってしまうから。

 そうやって自分で自分を孤独に追い込んでしまってる。悪循環。わかってるんだ。わかってるけど、そのループから抜け出せない。


 そしてついにあたしにも睡眠不足とストレスの限界が来た。十二月の二週目、まさに締め切り間際のギリギリで風邪を引いたのだ。あと一週間しかないのに。信じられない、漫画家失格だ。

 這ってでもパソコンの前に座ろうとするあたしに「仕事の邪魔だ、俺にうつすな」といってカオルさんは寝ることを強要する。あたしが言う事を聞かないと、メグル君を呼びつけて「コイツが邪魔だ」とか言っちゃって、結局あたしはまたメグル君にお姫様抱っこされてベッドに強制送還されてしまう。


 そのうちにガンガン熱上がって来て、何度かあたしの様子を見に来てくれるんだけど、それがメグル君なのかカオルさんなのか、夢なのか現実なのか、あたしの方が朦朧としててわかんなくなってきた。


「気分、どう?」

「うん、わかんない」


だとか、


「ゼリー食べれる?」

「要らない」


だとか。


 あとで考えたらメグル君だよなーって思うけど、その時は凄いぼんやりしててわかんなかった。


 だけど一度だけ、あれはカオルさんだったんだと思う。

「綺羅、早く治せよ」って、あたしのおでこにひんやりした手を乗せて……あの陶器のような感触、あれはカオルさん。あたしが手を切っちゃったとき、絆創膏を付けてくれた、あの冷たくて大きな手。

 条件反射で「はい」って返事した。メグル君なら「うん」なのに。


 かくしてこの締め切り前のクッソ忙しい時期に三日間も寝込んでしまったあたしは、四日目にして微熱ながらも復活し、病み上がりの体に鞭打って、最後三日をほぼ二時間睡眠状態でなんとか最後までやっつけた。

 ネームは上がってたし、とにかく絵さえ描けばあとはカオルさんがトーンやベタをかけてくれたから随分助かった。おかしなことを描いていればカオルさんが「あらすじと合わないぞ?」って即指摘してくれたし、辻褄の合わないところや説明の抜けなんかもきっちりチェックしてくれた。もちろんストーリーには一切口は出さなかったけど、あたしのプロットに沿っているかどうかに関しては厳しいチェックが入った。


 この家に引っ越してきて一番最初にやった仕事。この為だったんだ。小説投稿サイトにあらすじを下書きしておくこと。

 カオルさんは確か「綺羅と神代エミリーの漫画家としての尊厳を守るため」と言った。あの時その意味は分からなかったけど、もしかしたら完全にパクられたときの為の保険として残すように言ってくれたのかもしれない。

 そして今、カオルさんはあれを見ながら漫画の原稿をチェックしてるんだ。ああ~、カオルさんが居なかったらあたしマジでヤバかったよ。




 翌十六日はあたしの作品と神代エミリーの作品が同時にアップされている筈だった、というかちゃんとG-netでアップされていた。あたしが見ていなかったのだ。寝てたから!

 病み上がり(しかもちゃんと上がってない)の状態でほぼ三日間徹夜みたいなことをしたんだ、そりゃダウンもする。締め切りと同時に、再びあたしは三日間ほどベッドと仲良しになったのだ。


 痩せた痩せた、ゲッソリ痩せた。一遍に三キロも落ちた。食欲全然無くて、ゼリーとヨーグルトだけでなんとか頑張ったようなもので、そんな生活を一週間以上したんだから当然と言えば当然だ。

 やっとフラフラのていでベッドから這い出ると、メグル君が驚いて「大丈夫なの?」と聞いてきた。


「ごめん、何か作って。神代先生の漫画読みたい。だけどこんなフラフラの状態で読んだら失礼だから、ちゃんと脳がフル回転してる状態で読みたい」

「ああ、わかった。鮭雑炊なら作れるよ。それでいい?」

「卵雑炊にして」

「そっちの方が簡単。ちょっと待ってて」

「ありがと」

「綺羅。起きて平気なのか?」


 あ、カオルさん。


「はい、すいませんでした。もう大丈夫です。神代先生の漫画読みたくて、もうこれ以上寝ていられなくて」


 カオルさんがあたしの横に座っておでこに手を当てる。相変わらず冷たくて気持ちいい手。


「うーん、熱は下がったか。まあとにかく無理はするな。神代先生の作品を読んだらまた大人しくしておけ」

「はい。あの」

「ん? なんだ?」


 カオルさんが眼鏡のレンズを拭きながらチラッと視線だけをこちらに向ける。うがー……また熱が出そう。美しすぎるから、それ!


「カオルさんは神代先生の作品、読んだんですか?」

「ああ、読んだ」

「どうでした?」

「お前が読むまでは俺の感想は封印」

「そうですか……そうですよね」


 先入観を持って読むことになるのを避けてるんだ。流石、カオルさんだ。


「綺羅ちゃんできたよ。熱いから気を付けて」

「ありがと」


 あたしはメグル君の作ってくれた卵雑炊を食べて、元気一万倍になったところで、勇気を出して神代先生の作品のページを開いた。

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