第35話 黒幕

 八月下旬の暑い日、あたしとカオルさんはグローバル・アース本社一階の商談スペースで、上杉さんと何故かアイナと四人でテーブルを挟んでいた。


「ちょっと、意味が解んないんですけど、それは『よんよんまる』の放送が関東テレビからG-TVに移行するってことですか?」

「簡単に言えばそういう事になります。事後承諾になってしまいまして申し訳ないのですが、先に関東テレビさんと話を付けなければならなかったものですから」


 相変わらず上杉さんは、ネイビーにピンストライプの入ったオシャレなスーツを隙なくサラリと着こなして、爽やかな笑顔を見せた。恐るべしアラサーイケメンの破壊力。


「関東テレビさんでは『よんよんまる』の扱いが深夜枠ですよね。あれはゴールデンタイムに持って来ても十分視聴率が取れる作品です。ですから、いっそG-TVの方でアニメ制作権と放送権を買い取ってしまおうという話になりまして……というか、ほぼ私の独断ですが」


 独断でアニメ制作権と放送権を買い取れる上杉さんって、何者?


「あのー、それはすっごくありがたいんですけど、随分思い切ったことをしますよね。これで視聴率取れなかったら、責任重大なんじゃないですか?」


 あたしが少々ビビりながら上杉さんに確認をとるのを、カオルさんは顔の前に落ちてきた髪を耳に掛けながら黙って聞いている。


「そもそも、こんなとんでもない事、よく思いつきますよねー」

「ああ、それは私の思い付きではないんですよ」


 ん? 上杉さんがなんだか嬉しそうな顔になった。何かいいことでも?


「実はあれからメールが来たんです」

「誰から?」

「いや、まあ」


 っておい、そこで躊躇うか。フツーに言いなよ。何照れてんの?


「……ぇさんから」

「え?」

「ハ、ハルヱさんから」


 …………。


「いや、そこ照れるとこじゃないですよね」

「てっ、照れてなんかいませんよ!」


 横でカオルさんが小声で「図星」と呟いたのをあたしの地獄耳が捉えた。


「『よんよんまるをG-TVのゴールデンに差し込んで、シーズン2以降を全部引き取れ』と。バックアップは彼女の方で一手に引き受けると仰いまして」

「それで買い取ったの?」

「そうです」

「ハルヱ婆の一通のメールで?」

「そうです」

「即断即決?」

「そうです」


 黒幕はまさかのハルヱ婆!


「ねえ、上杉さん、何がそんなにあなたを衝き動かすんですか?」


 そこで彼は背筋を伸ばしてあたしを正面から見てこう言い放ったのだ。


「彼女は今までで一番信頼できるビジネスパートナーです。正直申し上げまして、ここまで惚れ込んだ人は今までおりませんでした。一目惚れですね」

「ええっ! でもハルヱ婆は未亡人だけど、一応旦那さんいたし! もう米寿だし! 老いらくの恋とかそういうの違――」

「綺羅、そういう話じゃない」

「巡さんのスタジオ撮影の時にハルヱさんとお話させていただきまして、とは申しましても僅か五分ほどでしたが、彼女がどれだけ優秀な方かよくわかりました。彼女の提案を受けてすぐにシミュレーションしまして、関東テレビさんにかなりの額を払っても余裕で回収できるという自信があったので、相場の倍額を提示して全ての権利を買い取りました。もう関東テレビさんは九月から『よんよんまる』に関しては一切口出しできなくなります」


 そこで今まで黙っていたアイナが口を開いた。


「それで、BLコミック編集部『よんよんまる』担当の私のところへ連絡が来たのが昨日。こっちとしては関東テレビさんでもG-TVさんでもどっちでも問題は無いんだけど、深夜枠での放送とゴールデンの放送だったら当然ゴールデンを優先するに決まってるでしょ? だからこっちは即OK出したって事なの。編集長もニッコニコだったんだから」

「はあ。それで、今日になって原作者に話が回ってきたという事なんですね」

「そういう事です。現在八月放送分の『かくれんぼ』で風間巡さんにご出演いただいておりますが、巡さんのあと引き続き九月から薫さんの『よんよんまる』をスタートするという事になれば宣伝もしやすいですし。ハルヱさんの方でも『よんよんまる』ファンクラブサイトと『風間兄弟応援団』サイトで取り上げてくださるという事で、既にファンサイトの方ではイベントやグッズ販売がどんどん企画されているようです。その辺りは蛍雪社BLコミック編集部さんとも連携を取っていければ、どんどん売り込みをかけられると思っております」


 そこからアイナが引き継ぐ。


「つまりね、本とグッズ販売は蛍雪社BLコミック編集部のこの武田愛菜が、映像はグローバル・アースG-TV敏腕ディレクターの上杉さんが、そして宣伝・広報は『よんよんまる』ファンクラブと『風間兄弟ファンクラブ』のサイト管理人である斉藤ハルヱさんがそれぞれ引き受けるから、薫君はどんどん描いてくれればいいって事なの。綺羅、自分の仕事理解した?」

「はい? あたしですか?」

「またこの子は寝ぼけたことを! 薫君に漫画描かせるのがマネージャーの役目で、薫君が漫画を描く手伝いをするのがアシスタントの役目でしょっ!」


 はい、その通りでございます……。


「それじゃあ、細かい話を詰めていきましょうか」


 あたしはアニメ制作権と放送権をとっても聞きたかったけど……我慢した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る