第34話 期待したのはそっちじゃなくて

  家に帰るとリビングは真っ暗だった。


「ただいま~」


 小声で呼んでみるけど返事はない。部屋で寝てるのかな?

 部屋の灯りを点けて覗いてみると、いつも通り開けっ放しのカオルさんの部屋が見渡せる。あたしと彼のパソコンが並ぶ机を背にして、反対側の壁際にあるカオルさんのベッドが、人型に盛りあがっている。返事しないからきっと寝てるんだ。

 音を立てないように静かにシャワーを浴びて戻ってみると、カオルさんがリビングに起きて来ていた。


「お帰り、綺羅」

「ただいま。ごめんなさい、起こしちゃいました?」

「いや、音で起きたわけじゃない。勝手に目覚めた。メグは打ち上げか?」

「はい」


 VネックのTシャツにスウェット姿で、髪を無造作に一つに束ねたカオルさんは、まだ熱があるのかなんだか赤い顔をしている。毎日見てる姿なのに、ちょっと顔が赤いってだけで凄い新鮮で、変に色っぽく見えてドキドキする。


「なんで綺羅は行かなかったんだ?」

「カオルさんが心配で……熱、下がったんですか?」

「わからん。測ってない」

「ダメですよ。ちょっと待っててください」


 あたしは救急箱を取りに行った。あたしがお皿を割ってしまったあの日、カオルさんが絆創膏を貼ってくれた時、確かこの辺から出してたはず。


「こっちだ」


 カオルさんがあたしの後ろから、というか上から(?)顔を出して、戸棚の上の方の扉を開けた。


 と思ったら! 突然カオルさんに後ろから体ごと戸棚に押し付けられた!

 両肩をガシッと掴まれて、思わずビクンとしてしまう。


「カオル……さん?」


 カオルさんはそのまま何も言わない。やだ、どうしよう、凄いドキドキする。メグル君もいなのに。今、あたしとカオルさん、二人っきりなのに。


「綺羅、すまん」


 耳元に低音が響く。背筋がゾワッとする。カオルさんが頭をあたしの肩に乗せてくる。これって、どういうフラグ? このまま固まらないでよ、ヘビの生殺しじゃん、いっそこのまま後ろから抱きしめてくれちゃっていいんですけど。っていうか、寧ろそうしようよ!


「あの、カオルさん」

「そのまま。目が回ってて。今動かれると困る」


 えっ? 眩暈? そういう理由? 後ろからガバッとかじゃないわけ?

 あたしは思いっきりカオルさんの方を振り返り、そして全身で踏ん張ってカオルさんを支えた。


「あたしにつかまってゆっくり座ってください。カオルさん大きいから、こんなところでひっくり返られたら家具が壊れます!」


 ここは家具よりカオルさんを心配すべきところだよなぁ。


「すまん。急に立ったから脳に血が回らなかった。その上に救急箱が……あ、そうだ、体温計さっき俺のベッドのところに持って行ったんだった」


 もう、何やってんのよー。救急箱要らないじゃん。ドキドキして損した。ちょっと(ってゆーかいっぱい)期待したのに、カオルさんのバカー。


「いいですか、ちゃんといい子にして寝ててください。ベッドでお熱測って。もう立てますか? 連れてってあげますから、あたしにつかまってください」

「綺羅」

「はい?」

「あ、いや、なんでもない」


 そう言うとカオルさんはあたしの肩に手を回してきた。あたしも彼の腰に手を回して支えると、そのままベッドまで連れて行った。

 このままベッドに引っ張り込んでくれたり……しないよね。という想像通り、カオルさんは「すまん」とか言いながら勝手に体温を測り始めた。

 もう! あたし、何期待してんだー。カオルさんのバカー!




 カオルさんが再び眠ったころに、メグル君が帰ってきた。……のはいいんだけど、酔っ払ってる?


「ふあ~、綺羅ちゃん、僕、飲みすぎちゃったよ~」


 珍しい。巡君って、結構お酒強かったのに。友華ちゃんにたくさん飲まされたのかな?


「あーん、もう、ちょっと玄関で座り込まないでよー。ほら、靴脱いで。もう、なんでハイカットスニーカーなんか履いてんのよ。脱がすの大変だしー!」

「えへへー。綺羅ちゃんが脱がしてくれるー」


 全身からピンクのハートオーラ出して言うのヤメロ。


「こら、甘ったれてないで自分で脱ぎなさい」

「綺羅ちゃん大好きー」

「もー、無駄に抱きつくな」


 なんかもう酔っぱらっちゃってるし、仕方ないから靴を両方脱がして、肩から斜め掛けにしたボディバッグを下ろさせる。手のかかる子だなぁ全く。


「ほら、立つよ。立てる? あたしにつかまって」

「うにゃー、無理でしゅー、綺羅たーん」

「もう。カオルさん寝てるんだから、騒がないの」


 ブツブツ文句を言いながらメグル君を立たせて、なんとか彼の部屋に引きずって行く。細身だしカオルさんより小さいけど、それにしたってあたしより二十センチ近くデカいんだ、こんなの引きずるのだって大変なんだぞ!


「ほら、ちゃんとベッドに寝て!」


 薄暗い部屋でメグル君をベッドに座らせながら、ついうっかり口が滑った。


「なんだか今日はこんなのばっかりだなぁ、もう」

「こんなのばっかり?」

「え?」


 いきなりメグル君があたしを引っ張った。中途半端な体勢でいたあたしは、そのままメグル君の懐に飛び込んだ格好になってしまった。


「うわ、何すん……えっ」


 メグル君があたしをギュッと抱きしめて、そのままベッドにひっくり返った。あたしは成す術もなく、メグル君の上。


「こんなのばっかりって何? カオルと何があったの?」


 えええっ? さっきのポワーンとしたピンクのハートオーラはどこ行ったのよ!


「ねえ、カオルと何したの?」

「何って」

「こんなことしたの?」

「やっ、ちょっ……」


 メグル君が急に体を反転させて、あたしの上に乗ってきた。重い。細いくせに重い。


「そんなことカオルさんがするわけないじゃん」


 ドアが開いたまま。リビングの光がこの薄暗い部屋に射し込んでる。カオルさん起きてたらどうしよう。声が聞こえちゃうかもしれない。


「カオルがじゃないよ。綺羅ちゃんがだよ」

「なんであたしがそんなことすんのよ」

「僕がいない時でないとカオルとこんなことできないからね」

「だから、なんでそんな事あたしがカオルさんにすんのよ」

「綺羅ちゃんがカオルのこと好きだからだよ」

「そんな――」


 唇を塞がれた。反論は許さないとばかりに。

 両手でメグル君を押し返してみたけど、びくともしない。逆に手を恋人つなぎみたいにされちゃって、動けなくなった。


「綺羅ちゃん、好きだよ」

「ね、ダメだよ、おうちでしょ? こういうの、違う」

「おうちでなければいいの? カオルがいなければ綺羅ちゃんは何でもできるの?」


 メグル君の顔があたしの首筋に潜って来る。うああ~。


「綺羅ちゃん、僕とカオル、どっちを選ぶの?」


 首のところで喋るな、変な振動が来る!


「どっ、どっちも選ばないよ。あたしはカオルさんのアシスタントで、二人のマネージャーで」

「二人のマネージャーなのに、カオルだけのアシスタントなんだ。僕だけの何かには、なってくれないの?」

「何かって何?」


 彼の膝があたしの脚を割って間に入って来る。これは絶対にヤバいフラグ立ってる!


「僕じゃなくて、カオルの事、好きなんでしょ?」


 その時、ドアに大きな影が映った。


「……メグ」


 カオルさん!


「そーゆー事はドア閉めてやれ」

「カオル」

「呼んでくれればカメラ回すぞ」


 そうじゃないでしょっ! どこまで寝ぼけてんのよ!


「だが」


 そこまで言って一旦言葉を切ったカオルさんは、あたしを見て続けた。


「綺羅が喜んでいるようには見えんな」


 それだけ言って、彼はドアを閉めて出て行った。

 っていうか、出て行くなよっ! ドア閉めるなよっ! 暗いじゃん!


「ごめん」


 メグル君があたしの上から起き上がった。窓から差す月明かりに、メグル君のシルエットが浮かぶ。ぽかんと見てたら、あたしの手を引っ張って起こしてくれたんで、なんか二人してベッドの上でぺたんと座った。


「ごめん、僕。綺羅ちゃんのことが好きすぎて」

「あ、うん、ありがと」

「カオルに渡したくなくて」


 それって一緒? カオルさんをアイナに渡したくないあたしと。

 あたしは思わずメグル君の両手を取った。


「あたしはカオルさんのアシスタントじゃん。そんな仲になったりしないよ。メグル君もだよ、マネージャーなんだから、そんな特別な関係なったりしたら、メグル君がこの後困るんだよ?」

「僕は困らないよ」

「じゃあ、あたしが困る」

「え?」


 メグル君がぽかんとして。一呼吸の間があって、二人で一緒に吹き出してしまった。


「そうだね、綺羅ちゃんが困るよね。こんな酒臭い男にキスされたら」

「今日、日本酒飲んだでしょ?」

「うん、バレた?」

「だってメグル君、ビールで酔うほど弱くないもん。それに日本酒臭い! シャワー浴びて来なさい」

「はーい」


 メグル君の部屋を出ると、リビングにカオルさんの姿は無かった。相変わらず彼のベッドが人型に盛りあがっていた。

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