第15話 襲来

 カオルさんがあたし専用のパソコンを買ってくれて一週間くらい経った頃、夕方にとんでもない来客があった。それもあたしが買い物に行ってる間に、だ。

 あたしが一玉百五十円の白菜(先着五十名様限り)をゲットしに近所のスーパーへダッシュして戻ってみると、玄関に明らかに年配の女性のものと思われる靴がきちんと揃えられていたのだ。

 誰だろう。カオルさんが他人を家に上げるなんてこと、まず無いのに。


「ただいま……」


 恐る恐るリビングに顔を出して……あたしは絶句してしまった。


「綺羅。あんたほんとにここにったん?」

「お……かあさん?」


 あたしの母だったのだ!


「ちょっと何やってんの、なんでこんなところに来てんの、って言うか、なんでこの家がわかったの、てか何しに来たの?」


 ブレスも無しに捲し立てるあたしに、母は魂が抜けるようなことを言い放ったのだ。


「この薫さんが、うちに連絡くれたからに決まっとるやん!」

「は? カオルさんが?」


 つまりこういうことだった。

 契約書のコピー、もう一通は実家に送られていたのだ。それも漫画家・風間薫名義で。現在風間薫のアシスタントとして働いている事、あたし専用の部屋がある事、どういう契約で何をして働いているのかがわかるように契約書を付け、風間薫のプロフィールと名刺、それに三人で撮った写真と、責任を持ってお預かりしていますという手紙を添えて、実家の母を安心させるために書類一式を送ったらしいのだ。

 それでも心配なら見に来ていただいて結構です、と付けたら、本当に母が見に来たという事だった。っていうか、来るかフツー?


「あんた良かったねぇ。風間先生はきちんとしてらっしゃって」

「そうなんだよ、カオルさん、あたしの為に専用のパソコンまで買ってくれてね、あっち、あたし専用の部屋なの、仕事詰めじゃなくて、ちゃんと休みもくれるし、遊びに行くって言えば軍資金もくれるし、漫画を描く以外の仕事は絶対するなって言ってくれるし、ご飯もおいしいし、メグル君も優しいし、とにかく全部全部最高なの!」

「それにいい男だねぇ」


 この母は……シバくぞ。


「とにかく、あたしのことは一切心配いらないから。カオルさんのところで働いてる限り、なーんにも問題ないから。ってゆーか、お母さん、ここまで十時間くらいかかったでしょ? 今夜どうすんのよ」

「大丈夫、ビジネスホテルに泊まるから!」


 やだもう、全く何考えてんのよ、これで会えなかったらどうする気だったんだろう?


「綺羅、今日はお母さんと一緒に食事して来たらどうだ? もう何年も会ってなかったんだろう?」

「え、でも、仕事が」

「そんなものはいくらでも取り戻せる。親子の時間はなかなか取り戻せるものじゃない」


 あ、そうか。カオルさんたちはお母さんの顔を知らないんだった……。


「たまには親孝行して来い。雇い主の命令だ」

「雇い主の命令は絶対でした。行ってきます。カオルさん、ありがとうございます」


 あたしはお母さんとの数年間の空白を埋めることにした。




 お母さんが来てから数日後、風間家に大きな段ボールが届いた。送り主はお母さん。なのに宛先はあたしじゃなくてカオルさん。なんでよー?

 あたしとカオルさんが見守る中、メグル君が段ボールを開けると、あたしには懐かしく風間兄弟には謎のものがぎっしり詰まっていた。


「何これ?」

「メグル君、ゼンマイ見たこと無いの?」

「ゼンマイ?」

「ナムルに入ってるじゃん。茶色いの」

「だってこんなに針金みたいに細くないし、もっと柔らかい茶色だよ?」

「干してあるからだよ、戻すとナムルの奴みたいになるんだよ」

「へ~、初めて見た」


 横から眼鏡をかけ直したカオルさんが割り込んでくる。ぐはぁ、萌える。


「綺羅はこれ料理できるのか?」

「はい、できます!」

「じゃあ、これは綺羅に任せる。俺は使ったことは無い」

「ねえ、こっちは何?」

「あーっ、モロヘイヤの干したやつ!」

「これも干したの?」

「そう。うち、野菜作るとなんでも干すの。そうしたら冬場も食べられるでしょ? これはモロヘイヤ、こっちはバジル、あ、これ干瓢だ。お餅も入ってる。もうお正月だからちょうどいい! あっ、このあられ、うちで揚げたんですよ。お餅を乾燥させて油で揚げてお醤油かけるの」


 ってあたしが説明してたら、後ろでカオルさんがクスッて笑うのが聞こえた。振り返ると、眼鏡男子モードのカオルさんが核兵器並みの破壊力を持つ笑顔を見せている。死ぬ……萌え死ぬ。


「綺羅ちゃん、すっごい嬉しそうに話すね。お母さんと実家の事、大好きなんだね」

「うん、あたし十津川村大好きなの。十津川村って日本一長い路線バスが走ってるだけあってね、日本一面積広い村なんだよ。人口密度は下から数えた方が早いくらい過疎ってるけど」

「日本では面積と人口密度は反比例するし!」


 メグル君、ナイスツッコミ。


「毎日山や川の中で走り回って、ドロドロになって遊びまわってた。カブトムシもクワガタもいるんだよ。こーんなでっかい蛾やクモもいるし、長ーいヤスデとか部屋に入ってくるの。夏場なんか蚊帳吊ってないと布団の中にムカデとか入って来るから、必需品なんだよ」

「やめてくれ……」

「カオル、蛾とクモとムカデが怖いんだよね」

「余計なことは言わなくていい」


 え、カオルさん、虫、苦手なの? 怖いもの無さそうなのに。そういえば絶叫マシンも苦手だって言ってたな。


「いいなぁ、満天の星空の下、静かに愛を語る……なんちゃって」

「全然静かじゃないですよ。カエルがゲコゲコ大合唱で」

「じゃあ、昼間にしよう。静かな木陰で愛を……」

「セミがシュワシュワとやかましい事この上ないですよ」

「そんな頑なに拒否しないでよ~」

「残念だったな、メグ」


 カオルさんのツッコミが容赦なくて笑っちゃう。しかも真顔でやるからおかしい。


「冬になると雪が積もって、みんなで雪合戦して遊ぶの。あ、お母さんこの前大変だっただろうなぁ。家の前凄い雪で、出るのも一苦労なんだ」

「いいね、お母さんがいるのって」


 あ……。そうだ、この二人にはお母さんがいないんだった。こんなに一人ではしゃいじゃって。


「あの、ごめんなさい、あたし」

「え、違うよ違うよ、ごめん、そうじゃなくてさ。お母さんの事とか実家の事とか、楽しそうに話す綺羅ちゃんを見てるのが嬉しいんだよ。僕たち親がいないから綺羅ちゃん見てるだけで嬉しいんだ」


 メグル君が慌ててフォローしてくれる。


「ほんとだよ。実家の話、いっぱい聞かせてよ」

「うん、ありがと」

「他に何が入ってるんだ?」


 後ろからカオルさんの声。マグカップを口元に持ってったまま話してるから、声がくぐもってる。


「えーと、これは赤ジソと、干しシイタケにキクラゲもある。あーこれ、うちの庭の柚子だ、やだ何これアハハ、キュウリの佃煮。キュウリってちょっと目を離した隙にヘチマサイズになっちゃうから、そうなったら佃煮にした方が美味しいんですよー」


「農家の知恵だな」

「あとはパウンドケーキ。お母さんパウンドケーキ作るの得意なんです。これって一ヵ月とか日持ちするから、よく作ってたんです」

「ラッキー! パウンドケーキ!」

「俺に届いた荷物だが」

「カオル~、分けてくれるよね?」

「さあな」

「ん? なんだこれ?」


 メグル君が何か小さな袋を取り出した。透明な袋に入ったそれは、ゴマくらいの大きさの茶色い粒々だった。見たことがある。が、何だったか思い出せない。

 暫く三人で頭を突き合わせていると、唐突にカオルさんがぼそりと言った。


「これ、大根の種?」

「それだ!」


 そう、お母さんはよく大根の種をスポンジに蒔いて、カイワレ大根を育てては収穫してた。ざっくざく入ってる、大根の種。

 ここなら確かに日当たりの良いところで育てればいくらでも育ちそうだ。この前ここに来た時に、カイワレ大根が育てられるって判断したんだな。


「メグル君の部屋か、カオルさんの部屋のベランダ側ならいくらでも育ちますよ。あたしの部屋は通路側だから無理かもしれないけど」

「いやいや綺羅ちゃん、こんなところで大根なんて育てられないでしょ?」

「第一、プランターでも無理だろ」

「違いますよ、大根は畑で育てればいいんです。そうじゃなくて、スプラウトですよ、カイワレ!」

「あ、カイワレ大根かー!」

「想定外」


 大袈裟に万歳するメグル君と、一言で片づけるカオルさん。


「僕の部屋はベランダから結構出入りするし、キッチンじゃ無理かな?」

「うーん、どうだろ」

「俺の部屋で育てよう。部屋に緑があった方がいい、酸素が増えるような気がする」

「えー、カイワレで?」

「気分の問題だ」


 脚組んでコーヒー啜りながらカッコよく言う台詞じゃないと思うけど、カオルさんが言うと変にキマっててますますおかしい。


「じゃ、そうしましょう! ペットボトルの下の方十センチくらいあればすぐ作れます」

「その前にこの荷物片づけないとな」

「あたし片づけます。乾物の収納はコツが要るんですよ」

「じゃ、僕段ボール畳む」

「俺はコーヒー淹れて、ケーキをカットしておく。おやつタイムにしたい奴は急いで片付けろ」

「はーい!」


 あたしとメグル君は双子のように元気よく返事をした。

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