第10話 割烹着

 予定通りあたしのアパートの荷物を運び(と言っても殆ど無いけど)、その足で八王子の市役所に行った。転出届を出して、今度は多摩市役所へ向かう。

 本当にあっという間だった。アパートを出るときに軽く掃除をして、外に出たところで神代先生のところのスタッフの人を見かけた。思わず背中を向けて知らん顔しちゃったけど、気づかれちゃったかな。

 多摩市役所に転入届を提出したら、あとはマンションに戻って部屋を住みやすくするだけだ。と言っても、そもそもものが少ないからあっという間に終わっちゃうけど。


 マンションに戻る道すがら、カオルさんは意味深なことを言った。


「なるべく早く部屋を片付けろ。一刻も早くやっておいた方がいいことがある」

「え? じゃあ、部屋の片づけの前にやりますよ」

「そんなに簡単に終わることじゃない。片付けが終わって落ち着いてからすぐにかかって欲しい。仕事は明日からと言ったが訂正しよう。早いに越したことは無い、今日からだ。いいか?」


 断る理由もない、この兄弟の為ならできることは何でもしますよ。


「勿論です、帰ったら急いで部屋を片づけて、その仕事します」

「その方がいい。お前のためだ」


 はい? あたしのため?

 だけどカオルさんはそれ以上は何も言わなかった。だからあたしも聞かなかった。




 マンションに戻ると、カオルさんが「昼飯は俺が作る。綺羅は一刻も早く部屋を片付けろ」っていきなりエプロン付けて、何かを作り始めた。

 ていうか、エプロンじゃない、割烹着だ。こんな大きいサイズの割烹着ってあるの? まあ、カオルさんもメグル君も、身長はあるけど横幅が無いし、特に鍛えているわけでもなさそうだから肩幅も胸板も余程厚いわけじゃない。きっと料亭なんかで働いてる人や給食センターで働く男性もいるから、割烹着の需要はあるんだろうな。


「どうした? 何見てる?」

「あ、いえ、割烹着が珍しくて」

「そうか? 通販で売ってるぞ」


 そうなんだ……なんかカオルさんに通販って妙に似合う。ふふ。


「笑ってないで早く片付けて来い」

「はーい」


 ふふ。カオルさんが割烹着。凄いギャップ萌え。これはネタに使える。カオルさんとメグル君をモデルにして、何か一本書けそうな気がしてきた。


 二人をモデルにした設定とストーリーを考えながら、あっという間に部屋を住める状態に片付けて、リビングに戻ってみるとちょうどカオルさんが割烹着を脱ぐところだった。


「出来たとこだ。匂いがしたか?」


 カオルさんがふわっと微笑んだ。これは破壊力抜群だ。軽い眩暈さえ覚える。


「はい、つゆだくの匂い!」

「正解。簡単に親子丼にしておいた」

「わーい! あたし親子丼大好きー!」


 二人で席に着くと、カオルさんが手を合わせる。一緒に「いただきます」って言って箸をとる。何だろう、この家族感。素敵過ぎる。神代先生のところで使って貰ってた時よりずっとずっといいじゃん! しかも……。


「何これ美味しい、嘘みたい、どうやって作るの、これ何か魔法かけてる!」

「味付けはめんつゆ。具は鶏肉と玉ねぎと人参と椎茸。何も手はかかってない」

「めんつゆ!」

「出汁をとってもいいが、時間が勿体ない。俺は時短できるものは徹底して利用する。綺羅も手をかけて出汁なんか取らなくていいぞ。めんつゆとか白出汁とか使えばいい」

「いいんですか、そういうので」

「自分がやらないことを人にやれとは言わないよ」


 あ、なんか今語尾に「よ」がついた。それだけですっごく近づいた感じ。カオルさんの近づき難さが少しずつ薄らいでくる。


「美味しいです。あの割烹着を見たせいかな、おばあちゃんの味に感じる」

「これに三つ葉と柚子が乗れば『料亭の味』に感じるかもな」

「あー、それは言えてるかも」


 さりげない言葉の中にも創作のヒントがたくさん隠れてる。カオルさんとの会話は楽しい。全部ネタになる!


「どうした、今日はニヤニヤしてばっかりだな」

「だって嬉しくて。カオルさんと話してると、どんどんネタが浮かんでくるんです。あのまま風俗なんかに堕ちなくて良かった。メグル君が声をかけてくれなかったら、ほんとあたしヤバかったんです」


 カオルさんがふと、箸を止めた。


「メグが声をかけなかったら、綺羅は風俗に手を出してたか?」

「多分。そうでもしないと生きていけなかったから」

「バカだな、ホントに。もっと自分を大事にしろ」


 不思議な人。ぶっきらぼうで、物言いも冷たくて、とっつきにくさ最上級なのに、妙に安心する。割烹着みたいな温かさ。

 いや、割烹着は決して防寒着じゃないんだけど、そういう温かさじゃなくて、なんていうのかな、十津川村みたいな安心感がある。

 お父さんもお母さんも元気かな。田中のおばちゃんもハルヱ婆も元気にしてるかな。

 ぼんやり考えていると、カオルさんのバリトンが思考に割り込んできた。


「ご飯食べ終わってからの仕事だが、小説投稿サイトって知ってるか?」

「知ってます」

「それなら話が早い、俺が使ってるサイトに綺羅のアカウントを取れ。綺羅のペンネームでだ。アカウントを取ったら、そこに『神代先生にパクられた』っていう話のあらすじを下書きで書け」

「はぁ……」

「下書きしたら推敲して俺に見せろ」

「まさか、パクるの?」


 思わず条件反射で言ってしまう。


「何のために綺羅のペンネームで書かせると思ってるんだ。第一、俺はBL漫画家だぞ、パクるわけないだろ」


 それはご尤もでございます。


「それでどうするんですか?」

「一度アップして今の日付を確定させて、即非公開にする」

「はぁ……それ、何のために?」

「綺羅と神代エミリー先生の尊厳を守るためだ」


 全然つながりがわからなかったけど、とにかくあたしはカオルさんの言う通りにすることにした。

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