第6話 ベッド
アパートに戻ってしばらくすると、リサイクルショップの軽トラックがアパートの前に停まった。
「カオルさん、もしかしてアレ」
「ああ、俺が呼んだ」
カオルさんはリサイクルショップの兄ちゃんに見積もりをさせ、その間にメグル君に布団や今晩の着替えなど、今から二人の部屋に運び込むものをワゴン車に積ませる。あたしは搬出に立ち会い、カオルさんは金額交渉をしている。
見積もりから交渉、搬出まで僅か十五分。あっという間に家電とベッドは無くなって、部屋の中はそれだけでガランとしまった。
一通り積み込みが終わると、カオルさんはあたしたちにワゴン車に乗るように言う。訳が分からないまま二人でワゴン車に乗り込むと、カオルさんはリサイクルショップの車の後について行く。
「どこ行くの?」
「リサイクルショップ」
「終わったんじゃないの?」
「いや」
これ以上質問しても一瞥を食らうだけだとわかっているらしいメグル君は、それ以上は何も聞かない。そしてあたしも後部座席で何となくその雰囲気をキャッチしている。
リサイクルショップに着くと、カオルさんはさっさと入っていき、しばらくその辺を物色していたかと思うと、急にあたしを呼んだ。
「なんですか?」
「これでいいか」
「え? 何が?」
「お前のベッドだ。運び込むのが大変だから折り畳みのパイプベッドにしたい」
見ると確かにシンプルな折り畳み式のパイプベッドである。
「さっきの家電の買い取り額はなるべく吊り上げといてやったから、あとはお前のベッドをその金額内でやりくりしろ。残りは全額お前の資本金だ。百七十円じゃ何も買えないだろう」
なんですと!
「え、いいんですか! それならこのパイプベッドにします! 安いし!」
それを聞いてメグル君はヤレヤレと溜息をついている。
「カオルそんなことまで計算済みかよ」
「当たり前だ。骨の髄まで貧乏人だからな」
あれ? 骨の髄まで貧乏人?
二人の住んでいたマンションは3LDKだ。浴室もユニットバスなんかではなく、洗面所、脱衣所共に分離していた。しかも南向きだった。決して安い物件ではなかっただろう。『骨の髄まで貧乏人』が、あんなマンションに住めるだろうか。しかもカオルさんはメグル君を大学に行かせてやっている。つまりカオルさんの稼ぎが二人の主な収入源という事だろう。そこに両親の援助の影は見えなかった。
あたしが二人の家庭の事情などをぼんやりと考えている間に、カオルさんは店員に価格交渉をしてさらにパイプベッドを割引させると、さっさとワゴン車に積み込みんでしまった。
「乗れ。家に戻るぞ」
「ういーっす」
「はい」
なんだろう。あたしはこの短時間にカオルさんに命令されるのが当たり前になってしまっている。でもよくよく考えたら、今朝初めてカオルさんに会ってからまだ六時間も経っていない。それなのに、もう自分のこれからのことをほぼこの男に任せてしまっている。
もしかしたらあたしは何かの犯罪的なものに巻き込まれつつあるんじゃないか、逃げられないようにしてから変な事をさせる気じゃないだろうか、といろいろ余計な思考が頭の中にぐるぐると渦巻き始める。
どうしようかと思い悩んでいるうちに車は兄弟のマンションに到着し、二人は荷物を下ろし始めた。
「あ、あの、カオルさん」
「お前は自分の荷物を持って鍵を開けろ。これが部屋の鍵。カードキーだからそれをスリットに通して暗証番号を打つ。暗証番号は3776だ」
「へ? 3776?」
「富士山の標高」
そんなもので決めるのか、と思いつつも、確かにそれは個人情報に全く関係ないなと納得もできる。
「メグル布団行けるか?」
「おっけー!」
「じゃ、俺はパイプベッドだ。行こう」
荷物を運びながら、あたしはさっきの物騒な思考が完全に飛んでしまっていた。知らぬ間に勢いで流されてしまっているといっても過言ではない。
「そこのスリットに通して、右のテンキーで暗証番号」
言われたとおりにキーを通し、富士山の標高を入力すると赤いランプが緑に変わって、エントランスのドアが開く。朝出るときには出るだけで全く気にならなかったけど、入り方をちゃんと覚えておかないと締め出しを食らってしまう可能性がある。
「カオルさん、部屋番号、何番ですか」
「710号室」
「もしかしてこれも何かの番号?」
「平城京に遷都した年ね。カオル、こういうのこだわるんだ」
ロックを解除し、エレベータに向かう。
「メグが三歩歩くと忘れるから、忘れない数字にしてやったんだ、感謝しろ」
「大体その富士山の標高がまず覚えてないんだけど」
「あたしもです」
一瞬立ち止まって憐れむような眼差しをあたしたち二人に送ったカオルさんは、再び何事も無かったように歩き出す。
「部屋に入るときも同じ要領。カードを通して暗証番号」
「はい」
部屋に戻ると、さっき出るときには何かいろいろ入っていた六畳間が、ものの見事に綺麗さっぱり片付いていた。
「一応掃除機と雑巾がけはしておいた。このまま搬入できる。明日またベッドの位置を変えたくなったらいくらでも変えてやる」
と言いながら、カオルさんはパイプベッドを部屋の隅に設置し、メグル君に布団を持って来させる。
「あとは俺と綺羅の間の雇用契約を交わすから、部屋が落ち着いたらリビングに来い。まずは布団を出した方がいいだろう」
「あ、そうですね、そうします。お布団出したらすぐ行きます」
それだけ言うとカオルさんはリビングの方に戻って行った。それを見てついついふぅっと大きなため息が漏れてしまう。
「綺羅ちゃん、手伝うことある?」
「大丈夫。ありがとう」
「あのさ、カオルあの調子だから、言いにくいことあったら僕に言ってくれればいいからね」
「うん。大丈夫。言いにくいことは無いんだけど」
「ん? 無いんだけど?」
布団のかかっていない裸のままのパイプベッドに腰を下ろして一息つくと、なんとも言えない安堵感が襲ってくる。
「言う暇が無い」
「それは言えてる」
一瞬の間があって、思わず二人で吹き出してしまう。
「カオルってば、意見するどころか、こっちが理解する前にどんどん次に行っちゃってんだもん。ちょっと考える時間くれよっていつも思うよ」
「メグル君でもそうなの?」
「二十四時間三百六十五日だよ」
「ちょっと安心した」
「そりゃ良かった。あ、コーヒーの香り。きっと待ってる」
「うん、布団広げたらすぐ行く」
メグル君は笑顔で頷くと、部屋を出て行った。
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