09-05 それはいいです

「……にしても、チハはくさっても中戦車だぞ。可愛らしい戦車を上げるなら、なぜルノーFT-17が出てこないんだ」

「柳井さん、それも人の名前じゃないですから!」

「……あ、悪い悪い」


 ちばちゃんの必死の抗議に、柳井さんは我に返った。


「わたしの名前は戦艦からとったから、妹には可愛らしい戦車の名前にしたんだろう」


 いやいやその比較ひかくはどうなんだ?

 そもそも戦艦の名前の姉に、戦車の名前の妹……それって――


命名めいめい仕方しかたDQNどきゅんネームと大差たいさないぞ」

「いい名前だろうが。失礼だな」

「いい名前ではある」

素直すなおだな」

「うん」


 そういえば、ちばちゃんの名前の由来ゆらいもわかったことだし、


「ちばちゃん、これからは俺たちも、ちはちゃんて呼んだらいいの?」

「磯野さん! お願いだからやめてください!」


 いやいや、由来を気にしなければ可愛らしいと思うのだが。


「でも可愛らしい名前ですよー。チハもその手の人達には大人気の戦車ですし」


 タミヤロゴが日本人女性の平均よりも立体的に強調きょうちょうされたTシャツを着た、ミディアムヘアの眼鏡のおねえさんが、キャビネットからなにかを取り出しながら言う。


 ……あ、俺も模型研究会に入部していいです?


「チハは二次大戦の戦車の中でも小柄で装甲もうすくて、つまり貧弱ひんじゃくなんですね。そのか弱い存在から、『チハと女の子には優しくしなきゃダメ』って言われてるんですよ」

「……ニッチな市場ですね」

「チハちゃんは、チハで女の子なので最強ですね!」


 なんだこのネタなのか本気なのかわからない会話は。


「……お姉ちゃん、もしかしてわたしのこと呼んだのってこれだけ?」

「うん。そうだぜ」

「ええええええ」

「はい。チハちゃん」

「あ」


 眼鏡のおねえさんは、ちばちゃんに塗装済の1/35『九七式中戦車チハ』の模型を手渡した。

 塗装はダークグリーンにウェザリング――汚しをかけて雰囲気を出している。ちばちゃんは手に乗せて慎重に眺めた。


「このチハ……お父さんのより出来できいい」

「それは柳井さんが組み立てたチハだよ」

「え? 柳井さんが?」


 目を丸くして柳井さんを見るちばちゃん。

 柳井さんはどう反応していいかわからないのか苦笑いを返した。


「たまに組立てに来てるだけだ」

「柳井さんの戦車模型だったらこっちも……あ、ありました」


 模型研の女性はそう言って模型を取り出し、ちばちゃんに手渡そうとした。同じくダークグリーン塗装である、


「M4……初期型しょきがたシャーマンとM3スチュアートか」


 柳井さんはぼそりと言う。

 一方のちばちゃんは、なんとも言えない表情を浮かべ「それはいいです」と遠慮した。


「ところで榛名、素組すぐみでピンバイスなんてなにに使うんだよ」

「このザクキャノン、旧式キットだから素組みしても味気あじけないんだよ。だから、なんかれないかなって」

「榛名、MSVをなめるな。関節かんせつ可動域かどういき細工さいくするだけで完成度は高くなるはずだぞ。たしか、ニコイチであまった旧ザクのあまりがあったはずだが――」


 柳井さんは模型研の棚に積まれたガンプラの箱を探しはじめる。


「いいよ会長。わたしはこのプロポーションのまま、旧キットのあじを残したいし」


 素組みといえばガンプラが合うのはわかる。

 が、またマニアックな話をしているなこいつらは。模型研のメンバーもまたテーブルに、主にジオン水泳部のガンプラを並べていた。

 ちなみに眼鏡のおねえさんだけは、ガンプラとは別のロボットを組み立てているっぽい。


「あの、これはなんていうロボットです?」

「あ、これはイシュタルMk-Ⅱですよ」


 眼鏡のおねえさんは、にっこりしながら答えた。


 わからん。なんのシリーズだ?


「ご存じないですか? 戦場で能を舞ったりするんです」

「……そういうものがあるんですか」


 まあ、よくはわからないけど幸せそうならOKだな。うん。


 ふと榛名の横を見ると、作りかけの軍艦の模型が置いてあった。


「榛名、軍艦ぐんかん模型も作ってるのか?」

「なんだ、磯野も興味あるのか?」


「軍艦模型は敷居しきいが高いって、バイト先でよく聞いてたからな」


 榛名は軍艦模型を手渡してきた。

 うっかり壊してしまわないよう慎重に受け取る。なかなかきれいに組み上がっている。サフ――塗装とそう前に塗る下地したじ――もきれいに吹かれており、あとは本塗装のみの状態だ。


「これは、金剛こんごう型か。器用なもんだな」

比叡ひえいだぞ。伊達に模型研部員じゃないぜ」


 榛名は窓際に飾ってある軍艦に目を向けた。

 その先にはもう一隻いっせきの軍艦がすでに塗装済みで飾られている。


「金剛か」


 柳井さんは腰をかがめて窓際の模型を見る。


「だいぶ腕を上げたな。あと二隻の、おまえの苗字と名前は?」

「自宅で組み始めてるよ。霧島から手をつけて、わたしの名前は最後にするつもり」

「意味合いは変わるが、榛名にとってのネームシップだな」


 柳井さんは笑った。


 ちばちゃんを見ると、さっきまでいじられていたときとはかわって、優しさを帯びた目を姉にむけていた。

ちばちゃんは、俺に気づくと笑顔を返して、


「あとで少しいいですか?」と、耳元みみもとでささやいてきた。


 いいですとも!


 ちばちゃんとの会話はそれっきりだった。

 おそらく二人で話したいということらしい。気にはなるが、まあ後ほど話せる時間くらいできるだろう。

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