ラプソディ イン ゴールド!Ⅱ 週末のゴールドスミス
真竹 揺音
第1話 序曲(オーヴァーチュア)は密やかに
「オーナー」
声をかけられ、慌てて周りを確認する。
「田辺社長!会社でその呼び方はしないでくださいってお願いしたじゃないですか!誰かに聞かれたらどうするんですか!」
抑えた声で返事をすると、社長の田辺さんが申し訳なさそうに低頭する。
「そうでした。では、西原くん。ちょっと打ち合わせ部屋に来てもらえるかな」
ここ『株式会社 匠美鎖』には会議室が2つあるが、どちらもそれなりの広さを持っていて、少人数のちょっとした打ち合わせには向かない。その為、5階には2~3人の来客や外注さんなどに対応する時に使用する“打ち合わせ部屋”と呼ばれる小さな部屋が並んでいて、そのうちの1つに呼ばれたのだ。
――ここ、初めて面接に来た時も使ったっけな。
スペースに見合わない応接セットを押し込んだような狭さは相変わらずだ。
責めるつもりはなく何の気なしに聞いてみる。
「もっとスリムなサイズのソファを選ぶ事はできなかったんですか?」
「前社長が社長室のソファを新調するたびに、古いものをこの部屋に下げていたので……」
それで立派なソファのせいでテーブルに膝が当たるのか。
確かに座り心地はいいのだが、打ち合わせには向かないのでは、などと考えていると、田辺社長が口火を切った。
「オーナー、――今は2人だけなのでそう呼ばせていただきますが――まず大まかな数字が出ましたので前期の報告から……」
ちなみに社長である田辺さんが、社長室ではなくこの打ち合わせ部屋をわざわざ使用しているのは、僕みたいな一介の高校生アルバイトが社長室に呼ばれる事はまず無いので、彼なりに気を遣ったという事だろう。まあ、普通なら社長とバイトが、2人で打ち合わせ部屋に入るのも不自然極まりないのだが。
――そう、普通なら。
3週間ほど前、匠美鎖では劇的な社長の交代劇があった。
そしてそれを仕掛けたのは、匠美鎖創業者の番匠前会長と僕の祖父――西原 浩樹だったのだ。
じいちゃんは最初僕に、“春休みだけのバイト”としてこの会社を紹介してくれたが、その在職中に社長と2人の部長による不正と負債が発覚し、倒産の危機に陥った。
不正の事実自体は事前に田辺さんたちが掴んでおり、番匠会長を説得、知己であったじいちゃんに匠美鎖再建の助力を仰ぐ事ができないか交渉しているうちに、僕の心構えを測るいい機会だと考えたのだそうだ。
まんまとじいちゃんの掌の上で踊らされた僕――西原 浩之は、この会社を買い取り、新社長に田辺さんを任命したというわけだ。
もちろん前社長の番匠と宗藤・底山の前部長ら3人は逮捕され、オーナーとしてその場に立ち会ったが、たとえ軽蔑に値する人間であってもその人の人生が終わる瞬間に立ち会うというのはツラいものだった。いや、終わりではない。罪を償えばやり直す事だってきっと出来るはずだ。できれば今度は真面目に生きてほしいと心から願う。
一方僕の方は、家族で話し合った結果、実家を出てそのままじいちゃんの家に居候する事になった。
ジュエリーメーカーの社長2人が同じ家というのはまずいだろうという結論からだったが、父はともかく母が何も言わなかったのには驚いた。
何も知らされていなかったにも関わらず、この急展開に取り乱すどころか黙って最後まで話を聞くと、一言、「ま、頑張んなさい」と言ったきり。
信頼しているというか達観しているというか、器の大きさを改めて実感させられた。
ジュエリーメーカー大手『JEWELEY SAIHARA』の創業者の孫・社長の息子として、漠然と3代目を意識してきた僕だったが、匠美鎖で働く事で知った現場の現実や芽生えた責任感と、SAIHARAの大株主から下ろされた事で、逆に吹っ切れた。
ともかく今は僕が匠美鎖のオーナーで、これからのこの会社を何とかしなければいけないのだ。
それに、じいちゃんの譲渡の条件もある。
あの時、じいちゃんがSAIHARAの持ち株すべてを売却して用意した金額を僕に譲渡するにあたって出した条件は、“匠美鎖の売上総利益を3年で2倍にする事”だった。
それがどれだけ実現の厳しい数字かを確認する為、金曜日の放課後、ここに寄ったのだ。
もちろん、ただの報告だけなら書面をFAXかメールで送ってもらえばいいが、僕の場合まったくの素人の為、その内容を理解するのに説明が必要だった。
「遅れてしまい、申し訳ございません」
ノックの音に続き、顔を覗かせたのは瀧本さんだ。
父さん――西原 浩人の元秘書だった瀧本さんは、今は僕の秘書として働いている。
倒産騒ぎの直後に、”高校生がオーナーになった”では従業員の不安を煽ってしまうだろうという事で、瀧本さんがオーナー代理として立ち回る事にしたのだ。
「――私も今回の一件ではすべてが後手に回ってしまい、浩人様からの評価がだいぶ下がってしまいました。つきましては転職を考えておりますので、差し支えなければ私を秘書としてお雇いくださると、大変ありがたいです」
オーナー就任直後、真面目くさって提案した瀧本さんに、思わず吹き出したものだ。
「それ、父さんの差し金?」
「さあ、どうでしょう」
眼鏡を直した瀧本さんの口元は、微かに笑っていた。
不正の発覚と逮捕者が出た事、会長の辞任とオーナーの就任、そして社長の交代で大騒ぎだった匠美鎖も、ようやく落ち着きを見せていた。
僕はそのままアルバイトとして在籍し、週末にはこうして研修がてらここに寄っているのだが、コンビニのバイトなどのように学校が終わってから勤まるような職種ではない為、バイトが社内でフラフラしていても不自然ではない状況を確保する事が1番の課題だった。
「……というわけで、具体的な数字は月末には出ます」
「あ、はい。よろしくお願いします。ところで田辺さん、僕の立場というか身分の事なんですけど……」
「ああ、それなんですが、妙案を思い付きました」
田辺社長と瀧本さんが頷きあう。
「3階の検品と在庫管理室があるのはご存知かと思いますが――」
「えっと、田辺さん、敬語はやめてください。やっぱり変ですよ、僕みたいな子供に敬語なんて」
「そうはおっしゃいますが……」
田辺さんは昔、SAIHARAに勤めていた事があるそうだ。その時じいちゃんに色々世話になったとかで頭が上がらず、それに加えて倒産の窮地を救った恩のようなものも感じてくれていて、僕にも慇懃に接してくれる。
とはいえ――
「この会社では僕は田辺さんの親戚という事になっているんだし、普段からそうしていないと、その態度、絶対にみんなの前でも出てしまうと思うんです。とりあえず、もっとこう、甥っ子に対するような感じで接してもらえませんか。なんなら僕も、“叔父さん”と呼びましょうか」
「そ、そうですね、努力しますから、叔父さんはよしてください」
「浩之様、意地悪はそのくらいに」
「え?意地悪のつもりはなかったんだけど……」
他人が見たら奇妙でしかないやりとりの後、田辺社長は咳払いをして話を続ける。
「西原くんを、3階に新しく開設した『リペア課』に配属しようと思う」
リペア、つまり修理専門の部署を新設し、昨今の消費者主義(コンシューマリズム)へ対応する為に、リフォーム(家の改築を意味して使用される事が多いが、正しくは作り直すの意)・オーダーメイドも受け入れて売り上げに貢献しようというのだ。
加えてこれまで修理は自社製品のみだったところを、他社製品も柔軟に受け入れ、対応する事で、顧客に対応力をアピール、信頼を得る事が目的だ。
今まではハンドメイド課で作業の片手間に対応していた修理だったが、営業からの要望で、“他社製品の受け入れはできないか”というのがあり、自社他社問わずに受け入れれば数量的に見込めるという事でリペア課の新設に踏み切ったのだった。
「ところが、どの部署も手一杯でリペア課に割ける人員がなくってね。何とか4人ほど確保したのはいいが、軌道に乗るまでは元の部署を優先しないと難しいという事で、午後の半日だけリペア課で作業するという事で落ち着いた、んだがね」
「試験的に稼働してみたところ、時間が足りないようなのです。そこで土曜日も稼働し、そこに浩之様にも参加していただこうと考えたわけです」
土曜日であればまる1日、問題なく参加できる。
「分かりました。ところで他の部署は…?」
「もちろん休みです。社内ではかなり特殊な就業形態になるので、土曜日に出てくる分は休日出勤扱いにし、平日交互に振り替えて休んでもらいます」
「平日に休んだんじゃ意味ないんじゃ……」
「いえ、元の部署とリペアとも平日休んだ分はお互い半日分減るだけですから」
「そう……です、か……?」
何かおかしい気がするがどこがおかしいのかよく分からず、狐につままれたような気持ちでとりあえず頷く。
とにかくこれで、土曜日だけはここにいても変には思われない。
それに修理という事は、春休みに経験した同じ作業をただひたすら繰り返す量産作業とは違い、1度にいろいろな製品を見る事ができるという事だ。それも、自社製品だけでなく他社製品まで。
お、なんかわくわくしてきた。
「土曜日であれば確認や問い合わせの電話などに邪魔されず1日作業に集中できるので、効率もいいと思います」
「分かりました。では手配をお願いします」
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