魔王軍クレーム対応課の日常

黒井へいほ

第一話 こんな仕事をしております。前編

 私の名前はキース。

 魔王軍のとある部署。クレーム対応課の課長をしている。

 だが「課」というのも「長」というのも名ばかりで、部下もいなければ頼れる上司もいない。つまり、私一人だけだ。

 しかも魔王様の直属であり、とても微妙な権限を持っている。


 そもそも「課」なのであれば、上に「部」があるのが普通だろう。

 魔王様へそのことを聞いたこともあるのだが、「なら魔王部クレーム対応課でよかろう」と、なにが良いのか分からん感じで決められた。

 魔王軍魔王直属魔王部クレーム対応課。人員は私一人。魔王と付け過ぎ。ひどいものだ。

 ……さて、愚痴はこの辺りにし、今日も仕事を始めよう。


 魔法で封印されている扉を解呪し、室内へ入る。見られたらまずい物が多く、セキュリティは万全だ。

 室内には大きな執務机。少し固めのソファが二つ、間には机が一つ。壁にはいくつかの棚が置かれている。一人で使うには十分すぎる広さと言えるだろう。

 優遇されているとも言えるが、個人的には少し使い勝手が悪い。全て手に届く範囲にある。本来はそんな広さで十分だ。どうせ私一人なのだし。


 荷物を机の上へ置き、扉の横についている箱を開く。

 バサバサバサッと音を立て、物理的にこれほどの量は入らないだろ? といった紙束が流れ落ちる。本日もクレーム対応課は大人気なようだ。


 直接会ってでは言い辛いこともあるだろう、と考えてのことだったが、少しだけ後悔している。匿名と書けば誰かは分からない。なので困ったらとりあえず書いて突っ込んでおこう。そういった流れが気付けば蔓延していた。

 落ちた紙を拾い上げ、机の上へ置く。今日も中々の高さだ。仕事は無いよりは有ったほうがいい。……もちろんほどほどに、だが。


 まずは優先順位ごとに区分けをする。早く処理せねばならない問題、というものから片づけるのは当然のことだろう。


 魔王様、最優先、優先、それ以外。

 四つの区分を作る。人手が多ければもっと増やすのだが、一人ではこれで精一杯だ。

 ……では始めるか。

 鞄から愛用の水筒を取り出し、カップへコーヒーを注いだ。


 一番上の紙を手に取る。


『魔王様が訓練へ乱入し、毎日怪我人が多数出ています。これでは訓練もままなりません。なんとかしてください。匿名希望』


 魔王様の区分へ入れる。

 しかし、これは魔王様の崇高なお考えがあってのことだろう。

 日々、皆と交流をとる。自分の実力を見せつけ、さらに高みを目指させる。

 怪我人の治療で回復技術も上がるので、悪いことばかりではない。……毎日は問題かもしれないが。

 一つ頷き、次を手にした。


『毎日、魔王様に怪我をさせられた兵が大量に来ます。過労で倒れた者へ回復魔法を使い、また過労で倒れる。地獄のような悪循環です。人手を増やしてください。いえ、本音を言えば魔王様をどうにかしてください。匿名希望』


 先程の紙を戻し、一つに纏める。その後、魔王様の区分へ入れ直した。

 コーヒーを一口含み、額へ手を当てる。今日もこれか、と思わざるを得ない。


 送られてくる嘆願、要望の八割が魔王様に関することだ。私を魔王様の制御装置かなにかと勘違いしている節がある。

 そもそも魔王様が訓練に来て困るのならば、それは直属の上司なりに進言すればいい。いや、できないからここへ愚痴を入れるのか。


 ……まぁいい、これはそういう仕事だ。

 諦め、作業の続きへ取り掛かった。



 ―― 一時間ほどが経つ。

 本日分の区分けは終わった。次はクレームを一つずつ潰していかなければならない。とはいえ、ほとんどは似たような内容で魔王様に関することだが。

 まずは溜まっている仕事からと、ファイルから取り出した紙の日付を確認する。……三ヶ月前だった。

 すでに私の仕事は三ヶ月遅れている。これからもっと遅れていく。崖っぷちどころか、底の無い崖から落下し続けていた。頭が痛い。いや、遣り甲斐がある。


 息を吐くと同時に、ノックも無く扉が開かれ問題児が入って来る。クルクルと回りながらソファへうつ伏せに着地した。

 美しい腰まで届く銀髪。ボサボサだ。

 羊のような二つの角。タオルかなにかが引っかかっている。

 強さ、美しさは魔族でも随一。切れ長の赤い瞳には溢れんばかりの知性を感じさせる脳筋バカ。

 シャツに短いズボン。その両方がよれよれ、露出も多くはしたない。

 豊満な胸は自己を主張し、くびれた腰が少し見えている。とてもだらしない。


 私が呆れていることには気付いていないのか。彼女はそのまま片手を上げた。


「キーちゃんジュースー」

「おはようございます。水、コーヒー、紅茶しかありません」

「えー、魔王様に不敬だぞー、買ってこーい!」


 子供のように駄々を捏ねている彼女こそ、この城の長にして魔族たちの王。魔王タラネ、その人だ。

 私は作業を中断。いや、作業のためにと言うほうが正しいだろう。

 コップへ水を一杯入れ、机へ置く。そしてそのまま、魔王様が寝転がっている向かいのソファへ腰かけた。


「水―?」

「魔王様、大事なお話があります」

「……えっ」


 魔王様は飛び起き、手鏡を取り出した。そういったことは、ここへ来る前に自室でしていただきたい。

 少し悩んだ素振りを見せた後、魔王様は立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って!」


 私が頷くのと同時に部屋を飛び出して行く。

 まさか、察して逃げたのか……? いや、それならば少し待てとは言わないはずだ。

 なにか火急の要件があり、それを済ませてから、ということだろう。

 戻って来るまでの時間が空いてしまったため、クレームという名の紙束へ目を通し直すことにした。


 一時間ほど経ち、扉が静かに開かれる。

 ふむ、今日は誰かと会う予定でもあったのだろうか? 魔王様は黒いロングドレスに着替えており、しずしずとソファへ腰かけた。

 では話をと私も移動する。なにを言われるのか想像がついているのだろう。魔王様は緊張した面持ちで、両手を足の上で合わせていた。


「魔王様、話をさせていただきますがよろしいですか?」

「う、うむ……だができれば、こういうときはタラネと名前で呼んでくれ」

「まずこちらを」


 なぜか魔王様モードな話し方をしている。反省しているのかもしれない。

 しかし、呼び捨てにできるはずなどないため無視し、机の上へ紙束を一つ置く。魔王様が訓練場で暴れることへ対するものだ。

 魔王様がキョトンとした顔を見せる。私は内容について、怒らせないよう、敬意を忘れないよう、気を付けながら話した。


「――と、いうことです」

「てーい!」


 先ほどまでのお淑やかさはどこへ捨てさったのか。魔王様は、机の上に置かれた紙を全て払い落とした。集めるのは私なのにひどい暴虐ぶりだ。

 いつものことだ、と諦めつつ紙を拾い上げる。だがすぐにまた落とされ、溜息を吐いた。

 魔王様は机をバンバンと両手で叩いている。もしかしたら毎日訓練場へ出向くのは、ストレス発散の意味合いがあったのかもしれない。


「そうじゃないでしょ!? キーちゃん、大事な話だって言ったじゃん!」

「これだけクレームが上がっているのです。紛うことなき大事な話だと思いますが?」

「ちーがーうー! 普通、男女がする大事な話ってのは一つしかないでしょ!? ほら、男の女のあれとかこれとか……ね?」


 上目遣いに覗き込んでくる。視線を真正面から受け止め、淡々と話す。


「思い出話ですか? 申し訳ありませんが、私は公私混同する気はありません。いくら幼いころから知っているとはいえ、昔を懐かしむ話をするのでしたら、業務時間外に行うべきでしょう」

「むがー!」


 また紙が全部落とされた。屈んで集め直す。

 魔王様は怒り心頭といった様子で部屋を出ようとしている。すぐに追いつき、肩を掴んで振り向かせる。逃げられないよう、扉側の壁を強く突いた。


「あっ……」


 頬を少し赤らめ、村娘のようにもじもじとしている。か弱いところを見せれば見逃してもらえる、と考えたのかもしれない。

 私は眉根を寄せ、少し強めに告げた。


「まだ話は終わっておりません。魔王様へのクレームは無数にあります。その全てを解決してから退出を――」

「うがー!」


 逃げ道を塞いでいた腕を勢いよく下から上へ弾かれる。少し痛い。

 魔王様はもうこちらへ目を向けることもせず、なぜか壁を魔法で破壊して、穴から室内を出て行った。城内でも屈指の頑丈さなのだが、魔王様にかかればこんなものらしい。

 壁へ修復魔法を掛けつつ、小さく息を吐く。今日も魔王様関連のクレームは処理できなさそうだ。


 本日の魔王様へのクレームをファイルへ納め、本棚へ入れる。

 このファイルは棚をいくつ埋めるのだろうか。額へ手を当て、もう一度小さく息を吐いた。

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