フラウ・レーヴェと黒獅子
江城凪沙
一 緋色の学園
一章 国立士官学校(1)
その日、士官学校の訓練場では野次が飛び交っていた。
訓練場の丁度中央のあたりに人垣が出来ている。真ん中をぐるりと囲むように作られたそれを構成しているのは、年の頃は様々だが全員が男子だった。彼らは皆一様に黒と赤を基調とした制服を身に纏っており、彼らの目は輪の中心で行われていることに夢中になっていた。
彼らの中央にいるのは、制服は制服でも上着を脱ぎ、周囲に比べて動きやすそうな格好をしている二人の生徒だった。一人は燃えるような赤い髪を持つ美青年、もう一人は夜闇よりも深い黒髪を一つに結った少女である。ともすれば告白現場を茶化されているようにも見えるが、よく見れば二人の手に持つものがそのような甘さを綺麗に消し去っていた。
「ローゼンタール様! こんな無礼者さっさと倒しちゃってください!」
「負けるなノイマン! 俺の全財産がかかってんだぞ!」
人垣の中から不意に聞こえた野次に、ぎょっとして振り返ったのは少女の方だった。
「はぁっ!? ちょっと待ちなさいよ、賭博は校則で禁止でしょう!?」
「俺もお前に昼代賭けてるから!」
「この辺りで勝ち星あげてくれよ!」
「なっ……あんたたちほんっと勝手ね!」
少女がハシバミ色の瞳で睨みつけるが、野次馬は物ともせず言いたい放題である。寧ろ彼女が抗議すればするほど調子に乗っている節さえあって、少女は苛立ちに顔を顰めた。
「随分と余裕があるようだな、ヒーロー気取りか?」
「あら、嫉妬ですか? 男の嫉妬って醜いんですよ知ってます?」
少女は苦虫を噛み潰したような顔で言い返す。
挑発に挑発で返してきた少女に、青年はにやりと楽しそうに笑った。オニキスのような鮮やかな黒色をした瞳には好戦的な光が煌めいている。他人から見られることに慣れているようで、その佇まいは幼いながらに堂々としていた。
「あんたこそお貴族様なんだからこの野次馬どうにかしてよ、邪魔」
「気にしなければ良い話だろう。私には無理だ」
「毎回毎回こうも盛り上がられると困るんですけど……」
「諦めろ。どうせ次私が勝てばすぐ終わる」
「まあそうですね、私が勝てば終わりですもんね?」
睨み合う二人。その背後には会話とは裏腹に隠しきれない対抗心がめらめらと燃えていた。
互いから目を離さず、手にしているものを構え直す。光を受けて鈍く煌めいたそれは、刃を潰した片手剣だった。
「えーとお二人さん、そろそろ始めて良い?」
「どうぞ」
人垣に埋もれるように立っていた青年の言葉に、二人は同じタイミングで言葉を返した。
方や楽しそうに、方や心底嫌そうに。同じ言葉であるにもかかわらず背後に含まれた思いは天と地ほどの差があり、そんな二人の姿を見て呆れたように肩をすくめると、青年は声を張り上げた。
「それでは——はじめ!」
合図とともに、二人は地を蹴る。
二つの銀色が甲高い音を立ててぶつかり合い、その激しさに周囲から歓声が上がった。
※※※
エルツ共和国は、大陸北東部の山岳地帯に位置している。領土の北側は海に面し、西はフォーマリエ公国、南東はクェンステッド王国とそれぞれ隣接するこの国は、周囲の国と比べて厳しい自然環境に晒され、決して豊かとはいえない国であった。国土の多くが標高の高い山岳地帯であり、緯度が高いこともあって年間を通じて降雪量が多い。
そんな恵まれない国ではあったが、エルツはその分人材教育に力を入れていた。環境というのはどう活かすかが肝要である。そしてその人材教育の良い例が、首都ゲーサイトにある国立士官学校だった。
「またローゼンタール様に絡まれてたわね、ロッティ」
「あの武術馬鹿、容赦っていう言葉を知らないよね!」
学校内にある中庭に、二人の少女の声が響いていた。
友人であるエルザに話しかけられ、シャルロッテは呻きながら手元から顔を上げた。その手には冷やしたタオルが握られている。
「見てこれ! 痣できたの! あいつ貴族の癖に女の子に優しくって習わなかったのかな!?」
「でもロッティも剣で思いっきりローゼンタール様の脇殴ってたわよね」
「やられたらやりかえすって決めてるの」
「あらそう……」
自身の脛を指差して憮然とした表情をするシャルロッテに、エルザは乾いた笑みを浮かべた。
「でもローゼンタール様貴女も飽きないわねえ。もう何年打ち合いしてるっけ?」
「六年前からかな」
「もうそんなになるの……。武術の授業のたびにやってるけど、疲れない?」
「疲れるけど……あいつ、勝つとすっごい馬鹿にしたような顔するのよ」
「あの人ロッティには結構子供っぽいというか……」
「武術馬鹿だからね。私に負けたときよっぽど悔しかったんでしょ」
はあ、と呆れるシャルロッテは、初めて打ち合いをした時に思いを馳せた。
「ほら、六年前って私たちまだ十二歳でしょ? 丁度生意気な頃というか、調子に乗りだす頃っていうか」
「わかるわかる。うちの弟とかまさにそんな感じよ」
「でしょ? あいつの家って軍関係だし、どうせ英才教育も受けてるだろうし、まぁ私みたいな平民上がりの女子に負けるなんて思ってなかったんだろうねー」
吹き飛んだ木剣と、それ越しに見た彼の呆然とした表情は、今も忘れられない。面白すぎて。
「あれは私もびっくりしたわー。まさかロッティがお貴族様に勝っちゃうと思わなかった」
「練習とはいえ実戦形式だよ? 隙ができたら突くに決まってるよ」
運悪く一本取ってしまったシャルロッテが、その後その少年に付きまとわれるようになってしまったのは、ある意味仕方のないことであった。
「とは言っても最近じゃ私が負けることの方が多いのにさー」
「しょうがないわよね、身体のつくりが違うし」
「そうなんだよねー。なのにあの馬鹿男、毎回全力で挑んでくるから……」
「馬鹿に馬鹿と言われる筋合いは無いが?」
不意に聞こえた声にシャルロッテはぎくりと肩を強張らせた。思わず「地獄耳」と呟いた彼女とは裏腹に、エルザは「あらあら」とどこか他人事のような顔をしつつ、落ち着いた様子で声の主に礼をした。
「こんにちは、ローゼンタール様」
「こんにちは、ヴェールマン嬢。ここは学校だからそう堅くならないでくれ」
「お心遣い感謝致します。シャルロッテに用ですか?」
「ああ。すまないがこれを少し借りる……逃げるなよ」
二人のやり取りの合間に逃げようと後退りしていたシャルロッテは、チッと淑女らしからぬ舌打ちをした。そんな彼女の様子を呆れた目で見ているのは、先ほどまで彼女と派手な打ち合いを行っていた青年だった。
「貴様そのまま期末まで逃げようなどとは思っていないだろうな」
「そんな……ことは……ないですとも……?」
わかりやすいシャルロッテの様子に溜息を吐くと、彼は近づくなり彼女の襟首を問答無用で引っつかんだ。
「ちょっ、な、何するんですか!?」
「なんだその敬語は。気持ち悪いにも程がある」
「人が敬意を払ったのに! 降ろしてよ!」
「今更貴様に敬われても有難くもなんともない。そら行くぞ」
愛玩動物のように連れ去られていくシャルロッテだが、エルザ含め周囲の人間はそれを止めようとしない。それどころか「またやってるのかこいつらは」という呆れたような視線すら向けられる始末。
自らの扱いや周囲の反応が解せず、シャルロッテはどうしてこうなったと自らの学校生活を思い返した。
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