第9話 九十九屋

 高速道路の上空は雨上がりの澄み切った青い空が広がっていた。

 仲村はロードスターの幌を上げ雨上がりの涼やかな風と空気を噛み締める。エンジンの音はこれ以上無いと言うほど機嫌の良い音を奏でていた。アクセルを少し踏み込む。回転計が跳ね上がり、心地よく勇ましいエンジン音の響きが増す。

隣には羽間が無表情で前方を真っ直ぐ見つめていた。

「気持ちが良いだろう」

「ああ・・・」羽間の返事はいつもと同じく肯定でも否定でもない返事らしきものが返ってくる。仲村は羽間と居る時は出来るだけ五感や情緒に訴えるように行動していた。少しでも羽間を人間に近づけたかった。もしかしたら感情が戻るかも知れない。無駄と思いつつも、何もしないよりいい。羽間もルーフのない車が好きだった。仲村や羽間にとってルーフの無い車は自由と開放の象徴だった。粋がって雨の中を羽間の幌無しのジープで走り回った事が昨日の事もあった。ここ最近、羽間といるとやたら感傷的になってくる。自分らしく無いと思う。歳のせいだろうか。羽間に感情が無い分、自分が情緒的になっているのだろうか。横目で羽間を見る。いつもと変わらず無表情で進行方向を見つめていた。おまえはもうオープンカーで走るこの爽快感を感じる事はないのか。そう思うといっそう感傷的な思いが胸にあふれた。その思いを打ち消すようにさらにアクセルを踏み込んだ。前方に広がる真っ青な空に浮かぶ大きな白い雲が目に痛い。

「羽間、ズラを飛ばすなよ」仲村の言葉に羽間は素直に頭に手を乗せた。

 都心から西へ一時間半程走っただろうか。田園の柔らかな緑に囲まれた静かな町へ着いた。人口が約三万人程度の小さな町だ。地味で長閑さを感じさせる町並みが続いていた。町のメインストリートを抜けしばらく走ると左手に竹林、右手に大きな池がある道に車を乗り入れた。仲村は車を池の畔にある駐車場に止めると竹林に沿って続く歩道を歩き始めた。足の下で落葉した竹の葉が騒いだ。

 右手ではそよ風が池の水面をゆらゆらと光らせていた。羽間は無表情で仲村の背中をだけを見つめ、足を引き摺りながらついて行く。古く大きな竹林らしく歩道まで張り出した太い竹が視界の半分を遮り仄暗い歩道が続いていた。昨晩、雨が降ったせいか老竹色の竹が爽やかな印象を受ける。竹林の間から溢れる光が空気を緑に染めていた。

 池には一面、薄紅の蓮の花が咲き乱れ、甘ったるい香りを辺り一面に溢れさせていた。とても静かな所だ。いや穏やかな所と表現した方がいい。人通りや車の往来が少ない訳では無い。耳を澄ますと竹の葉擦れの音に交じり、微かに騒音や町の音が聞こえてくる。だがとても静寂を感じさせる。竹林が街の喧騒を吸い取っているのだろうか、不思議な所だ。ざざざざざ・・・がさがさ・・・と竹の葉擦れが発する音が耳に心地良い。ここはでは時間まで穏やかに静かに過ぎて行くのだろうと仲村は思う。忙しなく行き交う人々や車の往来を見てものんびりとした風景に見える。町並みは古い民家が数軒、軒を並べているかと思うと、如何にも最近の住宅と言った洒落た家屋も見られ、中途半端な感じだが意外なほど古い物と新しい物が纏まり美しく見える。穏やかだ。何もかも穏やかだ。風も光も穏やかだ。

 仲村は一軒の古い家へ向かい歩いていく。その建物は昔の造り酒屋を改装し店舗にしていた。看板には古物店九十九屋とある。四連並んでいる引き戸のガラス越しに店中を見渡した。

 まず目を引くのは電笠だった。大正期から昭和初期の特徴をもったガラス製や陶器製の明かりの灯った電笠が幾つも垂れ下がり薄暗い店内を柔らかな光で満たしていた。花の形のものや、切子硝子細工を施してあるもの物、フリルの付いている物、色々な形の電笠があるものだと仲村は感心し、その美しさと懐かしさに見とれていると突然後ろで大きな声がした。

「あなたは、この世のモノではない。お帰りなさい!」

痩せた狐顔の女が羽間を指さし睨んでいた。

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