4-8.虚構の王子様
ヘンルーダの部屋は、その華美な格好とは裏腹に装飾品の類が殆ど無かった。もし何も知らない人間が足を踏み入れたなら、第一王子の部屋と気付くかどうかも怪しい。
「僕と言う最高の美があるのに、どうして他の装飾品が必要なのかな」
自信満々に言い切ったヘンルーダを前に、リリィは呆れながらも同意を示した。自信に満ち溢れ、堂々とした態度のヘンルーダは、恐らくそこが貧民窟の中でも同じ振る舞いをするに違いなかった。
「パピルスは?」
「父上の所に行っているよ。彼女に用事だったのかな?」
「うん。海の王様から貰った剣を見たかったの」
「それなら僕が持っているよ。見るかい?」
大袈裟な仕草で純白のマントを払ったヘンルーダは、左の腰に下げた剣をリリィへ見せる。成人男性が扱うのと同等の大きさの剣は、銀色の鞘に収められており、柄は蒼石で彩られていた。
「美しいだろう。人間には扱えないのだが、僕が持っていないといけないようでね。パピルスを召喚してからは、ずっと僕が所持しているんだ」
「いつも?」
「流石に寝る時などはベッドの傍に立てかけているが、起きている時は常に腰に提げているよ」
誇らしげに言う様子に、リリィは「ふぅん」と感心したような声を出した。
「手に取って見てもいい?」
「人間相手なら断るが、君はパピルスと同じ人魚だから問題ないよ」
腰から剣を外したヘンルーダは、両手でそれを持ってリリィに手渡した。見た目よりも存外軽く出来ており、身体の小さなリリィでも容易に支えることが出来る。
「これで魔物退治するの?」
「あぁ、そうだよ。魔物が出ると、パピルスはこの剣を抜いて浜辺へ空間移動するんだ。どんなに足の速い獣でも、彼女より先に駆けつけることなんて出来やしない」
「もし、この剣が壊れちゃったら大変だね」
「そう簡単に壊れるものではないが、この剣は二本あってね。もう一本は浜辺の松明の中に置いてあるんだ。戦っている最中に折れでもしたら大変だからと、これもパピルスに言われて僕がそうしたんだよ」
剣が二本。
その事実を聞いて、リリィは目を少し細めた。
「じゃあ何があっても大丈夫だね」
「あぁ、安心してくれたまえ。可愛い人魚君」
「うん! 見せてくれてありがとう」
満面の笑みで剣を返したリリィに、ヘンルーダも嬉しそうな顔をする。
だがそれは、リリィが続けた質問によって呆気なく崩された。
「名前、覚えてないの?」
「え?」
「昼間に、名乗ったばかりなのに」
ヘンルーダは、その指摘にあからさまに狼狽えた。王族らしい堂々たる態度は身を隠し、両目が落ち着きなく左右を見回す。その姿は、何処かローテムに似ていた。
「それとも人の顔や色がわからないの?」
「な、なんで……」
「別に、ただの勘だよ。服装や性別だけで人を見分けてるから、兄弟全員と一度に顔を合わせることが出来ない。だから一人ずつ大広間に呼んだのかなって」
蒼ざめた顔のヘンルーダに、リリィは悪戯っぽく微笑む。
「ナルシストで過剰な自信家の振りをしていれば、人の名前を間違っても煙に巻くことが出来るもんね。「おっと、僕より美しくないから忘れていたよ」とか言ってさ。もしこれが皆にバレたら大変だね」
「ま、待ってくれ!」
取り乱した様子で、ヘンルーダはリリィの肩を掴む。ハシバミ色の瞳は小さくその瞳孔を震わせていた。
「確かに僕は人の顔が認識出来ない。そのせいで名前もすぐに忘れてしまう。でもパピルスがいれば、僕の代わりに人の顔と名前を覚えて貰えるんだ。だから」
「このまま隠し続けるってこと?」
「そうすれば何度も何度も人に名前を聞かなくて済む。人に会うたびに怯えなくて済む。パピルスはそう言ってくれたんだ」
リリィはそれを聞いて、不快そうに眉間を寄せる。
「それでいいの?」
「……仕方ないんだ。努力してもどうにも出来ないことはある」
「別にそこを努力しろなんて言ってない。出来ることと出来ないことがあるのは当然だもん。まして人間風情が何もかも完璧に出来るとも思ってない」
肩を掴む手を強引に引き剥がし、リリィは相手の胸を軽く突き放した。
「人魚に最大の弱みを握らせて、助けてもらうのがお前の考える「王族らしい振る舞い」だと言うなら、それを他の兄弟達にも言えばいいよ。それが第一王子の務めなんでしょ」
「僕は、ただ……皆に失望されたくなくて」
「今、大いに失望してるけどね。虚構の王子様」
悪魔であるリリィには、人間の感情の機微は理解出来ない。理解出来るのは、その弱い心のみである。
嫉妬、憎悪、羨望、絶望。人間が抱えるその弱点を、悪魔達は愛している。だからこそ惑わしたくなる。悪魔は人間が元から持っている悪しき部分を刺激して、道を踏み外させる。この国の人魚のように、人間そのものを操るようなことはしない。
「パピルスがいなきゃ人と関われないのなら、お前は王子様どころか人間ですらないよ」
人魚に支配された心など、リリィにとって何の価値もなかった。
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