4-6.賢い悪魔とズル賢い王子

 ヘルベナの部屋を後にしたリリィは、まず最初に大広間に向かった。

 中には誰もいなかったが、ヘンルーダの座っていた椅子とワイングラスだけが、そのままの状態で取り残されている。


「ヘンルーダが呼んだ時、パピルスはすぐに姿を現した。凡人なら「わぁ、すごい」で終わるけど、リリィは可愛くて賢いから、ちゃーんと考えるんだもん」


 姿を現したということは、つまりそれまでは違う場所にいたと考えられる。だとすればそこは何処か。

 ヘンルーダはあの時、大声で人魚を呼んだ。その声の届く範囲にいたと考えるのが普通である。恐らく隣の部屋などに姿を隠していて、名前を呼ばれるのを確認してから移動した。


「派手好きな王子が考えそうな演出だね」


 リリィが床を見下ろすと、そこに小さな水滴の痕が残っていた。

 パピルスの髪は雨のために濡れていた。もし自由自在に転移が出来るのであれば、雨に濡れない場所に転移をすれば良い。

 つまり、パピルスの転移能力には制限が存在する。いつでもどこでも好きなように転移出来るわけではない。


「問題はそれがどういう制限なのかってことだけど……」

「リリィ、此処にいたんだね」


 不意に後ろから声を掛けられて、リリィは少し驚いて振り向いた。其処に立っていた人間を見て、数秒考え込み、やがて若干不安そうに声を出す。


「ローテム……?」

「うん、僕だけど」

「何その格好」

「ナルド兄様に色々いじられたんだよ」


 数時間前までは後ろに束ねただけだった髪型に、細かな編み込みとウェーブが施され、小さな銀細工と革紐で出来た髪飾りでまとめられている。

 服装は普段から着ている白い上着から赤いビロードのコートに変わっているだけだったが、平素より堂々とした印象を与えることに成功していた。


「そんなに変かな?」

「変じゃないけど、ビックリした。王子様みたいだよ」

「うん、一応前から王子様なんだよね。何かしてたの?」


 リリィが説明すると、ローテムは腕を組んで考え込んだ。上等な仕立てのコートは、袖口に白いレースがふんだんに使われている。腕組をしたその隙間からレースが覗いて、一輪の花のようだった。


「何かの目印があるのかもしれないね。移動するための」

「うん。でもそれが何処にあるのかわからないんだよね。お城の中に沢山あるとしたら、リリィのやりたいことが出来ないし」

「城の中にはないと思うよ」


 だって、とローテムは虚空を見上げながら推論を述べる。


「もし城の中にあるなら、馬車の中から移動出来たはずだからね。まぁ小雨ぐらいなら濡れて城に入るかもしれないけど、今日はこの雷雨だ。おまけにパピルスは金属製の装飾品を山ほど身に着けている。雷が落ちてもおかしくない」

「お城の中に移動するための目印はない……。じゃあどうしてさっき、ヘンルーダのところに移動出来たの?」

「兄様の身に着けている物に目印がついてるんじゃないかな。例えばあの白いマントは、お気に入りで常に身に着けているからね。良かったら僕が調べてきてあげようか?」


 頷きかけたリリィは、しかし平素のローテムらしからぬ積極性に眉を寄せる。

 髪型や服装が変わった程度で性格が変わる様な、そんな殊勝な人間ではない。それは短い付き合いの中でも身に染みてわかっていた。

 リリィはローテムの髪型を見て、顔を見て、コートを見て、そして足元を見る。それから視線を元に戻すと、細い肩を竦めた。


「途中で逃げて来たね、ローテム」

「う……っ、何故それを」

「靴がさっきと同じだよ。コートに全然合ってない。ナルドが靴を見繕っている隙をついて、出て来たってところだね」


 リリィの言葉が正解であることは、ローテムの冷や汗を見れば一目瞭然だった。大広間の外から異母弟を呼ぶナルドの声が聞こえてくる。


「ナルドは良い王子様だと思うよ。お前の腐った根性、叩きなおして貰えば?」

「やだ……僕は怠けて暮らしたい」

「じゃあ心臓抉るよ」

「それはもっと嫌だ。何も煩わしいこともなく、平穏無事に一生を終えたい」

「あぁ、もう! 煩い!」


 リリィは尾鰭を思い切り振ると、ローテムの顔を殴打した。小柄だからこそ威力のある攻撃に弾き飛ばされたローテムは、受け身すら取れずに床へ倒れ込む。


「酷い……」

「お前、本当にダメ王子だね。怠惰で無能なら、せめて黙って苦労してなよ」

「苦労しても報われないかもしれないのに?」

「報われるかもしれないでしょ。リリィは忙しいんだから、さっさと戻ってよ」


 しっしっ、と尾鰭を動かすリリィにローテムが何かを言い返そうとする。だがそれを遮るように大広間の扉が開いた。


「ローテム、此処にいたのか」

「ちょ、ちょっとお手洗いの場所を間違えて……」

「そうか、では次はこの城の建築様式について話してやろう。毒を飲んだ後の割に、随分動き回れるようだしな」

「結構です。本当に結構なんで……うわぁぁぁあああ!」


 入ってきた兵士たちによって強制的に退場させられながら、ローテムが悲痛な声を出す。しかしそれも、規則正しい足音と共に遠ざかっていき、一分ほどするとリリィの周囲に静寂が戻った。


「さてと、ヘンルーダのところに遊びに行こうかな」


 悪魔の笑みと呟きは、外の雷の音で掻き消された。

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