人魚を殺して王になれ
淡島かりす
ep1.始まりのはじまり
1-1.ローテム王子とリリィ
それは圧倒的なまでに強く、そして文句のつけようがないほど美しい力だった。
黒い尾鰭が宙を打つと、砂浜から無数の棘が突き出した。
海から這い出てこようとした、鮫のような姿をした魔物を貫き、断末魔を響かせる。魔物が耳障りな悲鳴と共に砂浜に倒れると、周囲から歓声が上がった。
「素晴らしい!」
「あの大きな魔物を一撃で!」
砂浜に立ち、海の方を見ていた若い男は、その歓声に我に返った。
身なりはよく、赤みがかった金髪を首の後ろで束ねてリボンで飾り、毛先を潮風に任せている。顔立ちは上流階級の気品に満ちているが、短く吊り上がった眉と、少々目尻の垂れた大きな緑色の瞳が彼を特徴つけていた。
「ローテム王子、流石でございます」
「いやはや、御見それいたしました」
褒め讃えながら近づいてくる家臣達に対して、ローテムと呼ばれた若者は微笑んで見せる。そろそろ二十歳になるが、それよりも幼い印象を与える笑顔だった。
「その称賛は僕ではなく、リリィに頼むよ。魔物を倒したのは彼女なんだからね」
その言葉を待っていたかのように、砂糖菓子のような甘ったるい声が響く。
「リリィ、頑張ったよー!」
人間達を見下ろすかのように宙に浮いていたのは、黒い鱗と尾鰭を持つ人魚だった。
銀色の長い髪を高く結い上げ、そこに貝殻やサンゴが飾られている。零れ落ちそうな瞳は鮮やかな赤。それと同じ細やかな鱗が目元に少し浮かんでいる。腰から上だけを見れば、十代の前半。可愛らしい顔立ちと反する雄々しい色をした尾鰭が印象的だった。
「偉い? リリィ偉い?」
ローテムにまとわりつくようにしながら、リリィと呼ばれた人魚は尋ねる。尾鰭を左右に動かしながら懐いている様子は、仔犬のようで愛らしい。
「うん、偉いと思う。あとでお菓子あげるからね」
「やったぁ」
はしゃいでいる人魚はひとまず放置して、ローテムは家臣たちに告げる。
「魔物の始末はお前たちに任せる。僕はリリィを休ませないといけないから、先に城に戻るよ。何しろ、リリィはまだ僕のところに来て、一日しか経っていないんだからね」
「畏まりました」
ローテムは人魚に合図をして、優雅に砂浜を歩きだす。夕暮れ時の美しい浜辺からは、丘の上に作られた城が夕日に照らされる様子がよく見えた。壁の素材として使っている石に細やかな起伏があり、それが陰影を作って魚の鱗のよう見えることから、近隣国からは「人魚の城」と呼ばれている。
「ねぇ、チョコレートパイ食べたい」
「うん、もう少し待って」
家臣達から離れていくにつれて、ローテムの足は速くなっていく。歩幅を広げるところから始まり、早足になり、前傾姿勢となり、そして最終的には全力で駆けて、浜辺を抜けた先にある雑木林に駆け込んだ。
高鳴る胸を押さえ、何度か肩を上下させて息を整える。それは運動量のためではなく、主に緊張によるものだった。
「な、なんとかバレなかったかな」
「それは知らなーい。リリィ、人魚のことなんてなんも知らないもん」
宙に逆さ吊りになって、笑顔で答える相手をローテムは睨み付けた。
「さっきのは美しくない。人魚はもっと華麗に攻撃をするべきだ」
「甘いこと言わないでよ、人間。魔物は一発で倒さないと意味がない。魔物とダンスを踊る趣味は、リリィにはないもん」
「魔物はお仲間じゃないのか?」
「魔物なんかと一緒にしないでよ」
可愛らしく頬を膨らませたリリィは、怒りを示すように尾鰭で宙を叩いた。
「リリィは誇り高き悪魔なんだからね!」
「わぁっ! 声が大きい!」
ローテムは慌ててリリィの口を塞ぐと、辺りを見回した。人の気配がないことを確認すると、大きな溜息をつく。
「あぁ……最悪だ。なんで人魚を召喚したのに、悪魔が出てきちゃったんだろう」
「素質の問題じゃない? というか、呼び出して契約した後で「間違いました! ごめんなさい!」って言われても」
「だって、人魚だと思ったから……」
リリィの外見は、この国に代々いる人魚や、それについて描いた絵画と寸分変わらない。鱗が黒く、よく見ると魚類というより爬虫類に似た質感であることを除けば、人魚そのものだった。
「あのね、人間。被害者みたいな顔してるけど、リリィだって困ってるんだよ。お前が我儘言うから、おうちに帰れないし」
「人を殺してやるから心臓寄越せ、なんて契約は僕は結んでない!」
「結んだよ」
「あれは事故なんだってぇぇぇええ!」
頭を掻きむしって叫ぶローテムに対し、リリィは涼しい表情で続ける。
「まぁ、お前が誰か殺せって言うなら、リリィはちゃんと殺してあげるから。たっぷり吟味しておいて」
「僕は人を殺すのが目的じゃない。王位継承候補になりたかっただけなんだ」
「それ昨日も聞いたけど……。なんで?」
「……戻りながら話そう。此処にずっといても仕方ないし」
一通り叫んで落ち着いたローテムは、雑木林から出て帰路に着く。叫び声で夜でも呼び出したかと思うほど、辺りは暗くなり始めていた。
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