ブルー・ライト・ブルー
道人
第1話 序章
仕事を終えて会社から外に出ると寒風が吹きすさび、反射的に身を堅くした。
俺は鞄を脇に挟み両手をコートのポケットに突っ込んで駅へと急いだ。
12月になった途端、街は赤と緑に彩られ、ショウウインドウには赤と白のオッサンが「買ってくれよ」と手招きしている。
バカ言うな、俺んちの家計はそんな誘いに付き合うほど余裕は無のだよと思う反面、嫁と産まれたばかりの娘の笑顔が脳裏を過ぎる。
さて、どうしたものか・・・。
僅かばかりのボーナスの使い道は保留したまま嫁に預けてあるし、それに関しての権限を俺は放棄した。
そう、俺は親父とお袋の恩に報いる為に、嫁の両親に認めてもらう為に一切の我侭を捨てると決めたのだ。
電車から駅に降り立ち、改札を抜けた。
喧騒渦巻くアーケード街をとぼとぼ歩いて行くと中央に首が痛くなる程のどでかいツリーが往来の邪魔をしている。
俺は毎年、そのチカチカ光る電飾の天辺に鎮座している星を見ると一瞬で熱く、痛い彼女の手の感触とともに五年前の記憶が蘇る・・・。
「綺麗ね」
彼女の顔を横目で見ながら「そうだね」などとしたり顔で俺が言う。
「私ね、この青い電飾、好きなんだ」
無機質なLEDの白と青の光。
「そうか?俺はなんだか冷たい感じがする」
彼女は白い頬を鴇色に染め俺を見て眼を細めた。
「色にはね、温度があるんだよ。知ってた?」
俺はわざと知らない振りをして「へぇ、そうなんだ」と言うと彼女は得意げに話し始めた。
「ベテルギウスよりシリウスの方が熱いのよ」
俺はベテルなんとかの事が本気で分からなかったから「なんだよそれ」と思わず口走ると彼女は「既成概念や見た目で判断しちゃいけないってことよ」と言い放ち、俺の手を引いて歩き始めた。
俺はコートのポケットから左手を抜き出してその時の感触を確かめる。
「そういえば最近、あいつと手を繋いで街を歩いてないな」
そう呟いて俺は家族となった彼女の待つ家へと急いだ。
アパートのドアを開けると橙色の光と味噌汁の匂いが俺を包み込んだ。
「お帰りなさい」
台所に立っていたあかりはその場で身体を反らして俺を迎えた。
「ご飯先にしてね。マーちゃんお風呂に入れなきゃいけないから」
俺は着替えを済ませた後一人でテーブルに座って夕飯を取っていると風呂場からはあかりとケタケタ笑う愛美の声が聞える。
「いい子ねぇ、マーちゃん、お風呂好き?そう、好きなんぁ・・・」
ガラス戸で仕切られている居間のテレビでは豪勢な料理に舌鼓している芸能人の姿が映しだされていた。
俺は「なんだよ、そんなもん。こっちの方が美味いぜ」と呟きながら飯をかっ込んだ。
「キレイキレイになりましたねぇ、マーちゃん」
あかりが愛美を抱えて居間に戻って来ると床に敷いたバスタオルの上で産着を着せた。
「ねぇ、どお?」
ベビーベッドに寝かしつけながらあかりが俺に話しかけた。
「何が」
「鰤よ」
油の乗った鰤と出汁が染み込んだ大根は俺の腹を充分に満足させていた。
「美味かったよ。おかわりある?酒の摘みにもう少し欲しいな」
「それでおしまいよ」
俺は意気消沈して皿をシンクの底に置いた時、パックを包んであったラップに気づいた。
(天然 ブリ 630円)
「630円って、ひとパックか!」
「そうよ。私もびっくりしちゃった」
「びっくりするなら買ってくるなよ!」
俺は今日何の記念日だったっけ、と必死で頭の中を探りながら冷蔵庫から発泡酒を手に取った。
「買うわけないでしょ。お母さんよ」
「え?お袋?」
あかりはタンスに向かって手を合して眼を瞑っていた。
その上には蝋燭立と線香立があり、そして俺とあかりの最初の子供の位牌が立っている。
昼白色の蛍光灯が照らす居間に座った俺の前であかりは供えてあった紙包みを開いた。
「今日ね、お母さんが来てくれたの」
そう言いながら鯛焼きを一つ俺に差し出した。
「何しに」
と言っては見たが孫の顔を見に来る他に用事が無い事は分かっている。
天井からぶら下がってぐるぐる回っているやつ。
ガラガラ。妙に豪華なおしゃぶり。
お袋がやって来るたび何かしら物が増えている。
俺が居間中を見渡すと・・・。やはりあった、何の動物か分からない縫いぐるみ。
「まったく・・・。よっぽど暇なんだな、お袋。どうせなら現金置いてってくれりゃぁいいのに」
「そんなこと言わないの」
あかりは鯛焼きを尾っぽの方から一口食べて「あ、粒あん」と嬉しそうにもう一口噛んだ。
「あれ?ユウちゃん、頭から食べる派だった?」
そう言われた俺は思わず食べかけの鯛焼きに見入った。
「別に気にしたことないけど・・・大体、頭から食うな」
「ええ?そ、そんな・・・。可哀想でしょ・・・」
冗談なのか本気なのか知らないが、あかりは大げさに俺を非難する。
「鯛焼きに可哀想もクソもあるかよ。アホか」
「嫌よねぇ。だからO型は・・・・」
「鯛焼き食うのに血液型関係あるのかよ!」
俺は咀嚼した鯛焼きを発泡酒で流し込んだ。
「ああ・・・。あかり、お茶くれ・・・」
あかりはくすくす笑いながら台所に立った。
「あ、ごめん。ポットにお湯ないよ。ちょっと待ってね」
ガチャガチャ音を立てながらガス台の摘みを回す。
「最近、調子悪いのよ、これ・・・・」
爆発するように飛び出したガスの炎は若く、生きの良い青いそれではなく、メラメラと揺らめく赤い炎で薬缶の底に黒い煤を吹きつけた。
俺は「そろそろ買い換えるか」と言いながら居間を見渡し、思いにふける。
そう・・・。このアパートの中にはあかりの両親から贈られた物は何も無い。
愛美を抱くどころか、その寝顔さえ見てくれたことがないのだ。
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