第16話 割れない杯
金髪の少女に連れられてやってきたのは、目抜き通りの商店の中でも一際大きな建物だった。扉の前には重装備の守衛が立ち、店に入る客を品定めするようにチェックしている。どうやら金持ち以外の人間は店内に入れないようだ。
「ここは商業都市レリック最大の塩商人ギルドですの」
「塩以外のモノも扱っているようだぞ」
俺が店内に並ぶ高価な食器を指さすと、納得したような表情を少女は浮かべる。
「どうやらこの街のギルドについて詳しくないようですわね」
「どういうことだ?」
「塩商人ギルドとは、許可制商品の塩を販売できるギルドという意味ですわ。つまり食器のような許可制商品以外の商品ならギルドに入らなくとも販売できますの」
「そういうことか」
納得したと告げると、そのまま少女は俺の手を引いて、店の中に入っていく。守衛の男はちらっと俺を見たが、少女の顔を見ると、すぐに普段通りの業務に戻った。
「これは、これは、アリスではありませんか、今日は何用で?」
針金のようなピシっとした印象を与える男が店の奥から姿を現す。品定めするような視線を俺へと向けると、ニヤリと口角を歪めた。
「お客さんを連れてきましたの」
「それは、それは。では店の奥へと行きましょう」
針金のような男に案内されたのは、机と椅子がポツリと置かれただけの窓もない部屋だった。蝋燭の炎だけが照らすこの空間は、密談をするにはうってつけの場所だった。
「私の名前はアルフォード。塩商人ギルドの長をしております」
「新庄だ。旅の商人のようなものだ」
「アリスが連れてきたということは、我が塩商人ギルドへ加入したいということでよろしいですか?」
「条件次第だがな」
「ちなみに塩はどのようにして手に入れるのですか? いや、疑っているわけではないのです。ただ塩は手に入れるのが難しい高級品。本当に安定供給が可能か、そしてどれほどの質の塩なのかを知りたいのです」
「仕入れルートは秘密だが安定供給は可能だ。質については実際に見た方が早いだろう」
俺は懐から何かを取り出すような仕草をしながら、塩のたっぷり詰まった袋入りポテチを生成する。
「これが塩だ。中を見てみろ」
「これは……」
アルフォードはポテチに詰まった塩を見て、驚愕の表情を浮かべる。この時代の塩の精錬技術は現代と比べると遥かに低く、砂が混じった粗悪品が一般的だった。にも拘わらず不純物が一切ない真っ白な塩を目の前に出されたのだ。驚くのも当然だった。
「こんな上質な塩を私は今まで見たことがない。これをどこで?」
「秘密だ。というより、知ったところで意味がない。俺以外には手に入れることができないからな」
「企業秘密というわけですか」
「他にはインダスの塩も入手可能だ」
インダスの塩という言葉に、アルフォードは、ただ息を呑む。塩商人ギルドの人間ならきっと知っていると思っていたが、男の表情から察するに、どうやら予想は的中していたようだ。
「インダスの塩は幻の食材ですよ。なぜあなたが知って……いや、そうではありませんね。入手可能というのは本当ですか?」
「本当だ。ちなみに一キロいくらで売れる?」
「少なくとも金貨一万枚はいくでしょうね」
金貨一万枚とは現代価格で、約五千万円だ。これほどまでに法外な価格になる理由は、インダスの塩を手に入れるためには遠いアジアの地まで行かなければならないことと、砂糖が当時のインドでも高級品であり、仕入れ価格の時点でかなりの高額になるからであった。
「さらには世にも珍しい杯もあるぞ」
「それはいったい……」
「落しても割れない杯だ」
俺は事前に用意していた空のペットボトルをアルフォードに投げる。男はキャッチできず、床にペットボトルを落すが、何度か跳ねるだけで、傷一つ付いていない。
「本当に割れないのですね。いや、それよりもこの杯は透明なのですね。ですがガラスなら割れるはずです。さらにこの杯は持っても重さを感じないほどに軽い」
国宝級のお宝ですと、アルフォードは喜びを交えた声で言葉を続ける。現代人から見れば無価値なペットボトルもこの時代なら黄金以上の価値を生む。男は何としても欲しいと、眼を輝かせながらペットボトルを見つめていた。
「もし売れば金貨一千枚、いや三千枚は固い。貴族や王族相手に上手くやれば、それ以上の価値で売ることも可能」
「なんだったら売ってやろうか?」
「はたしていくらですかな」
「インダスの塩一キロを金貨五千枚。落しても割れない杯を金貨一千五〇〇枚。合わせて金貨六千五〇〇枚でどうだ」
「なるほど、利益の五割ですか」
アルフォードは悩むような素振りを見せる。駄目押しとばかりに言葉を続けた。
「塩も出た利益の五割をやる。つまり俺たちの取り分は利益の五割だ。どうだ? 良い取引だろう」
事実、塩商人ギルドにとってかなり良い取引であると云えた。通常の取引で塩職人から塩を購入し、販売したとしても、塩商人ギルドに入ってくるのは利益の三割が関の山だ。そう考えると、すぐにでも首を縦に振るべき案件だ。だがアルフォードは口角を片方だけ釣り上げると、首を横に振った。
「この取引は飲めませんね。我々の利益が八割、あなた方の利益が二割なら飲みましょう」
「随分とぼったくるんだな」
「いえいえ、これは正当な価格ですよ。この街では塩商人ギルドの許可なしに塩を販売できない。その杯は別としても、塩を金に変えるためには、我々の要求を呑むしかないのです」
「なるほど。だが他の町に行くという手段もあるぞ」
「それはありませんよ。ええ。ありませんとも」
妙に自信ありげな表情でアルフォードは告げる。男が交渉に応じないと判断した俺は、男の言葉を無視して、塩商人ギルドを後にする。最後まで男はいびつな笑みを浮かべ続けた。
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