君の忘れた時間と
新木稟陽
第1話 まきもどし
きりー、れー。
あーあーしたー。
号令係の気の抜けた号令。それに続けてクラス一同もまた気の抜けた挨拶。しかし担任の教師も特に文句は言わず、「はーい二班掃除よろしくねー」とだけいって教室を去る。
今日も授業が終わり。ようやく帰れる。毎日この時間がそれなりに待ち遠しいものだ。
「りょーやー。カーラーオーケー」
「いーこーおーぜー」
両サイドからガシッと肩を組まれる。友人の山田恭太と橋島勇正だ。二人とも高校からの仲だから大して長い付き合いでは無いが、同じクラスで一番仲の良い人間だ。
「おっけー。いこいこ」
掃除のために机を移動したり、友達と他愛ない話をしたり。そんな囂しい教室を三人でさっさと抜け出す。俺ら三人は皆帰宅部。こうして遊ぶことは毎日、とまではいかないがしょっちゅうだ。稼いだバイト代もこのメンツでの遊びにかなり消費されている。
「今日は98点取るわ」
「どうせ演歌だろ」
このメンツでのカラオケだってしょっちゅうだが、Jポップ、洋楽、アニソンに演歌。引き出しが多いからいくら行っても飽きなかった。やっぱカラオケは歌いたい曲を気にせず歌える仲間と行くのが一番だ。
「ドアの横に座ってた人めっちゃかわいかったな。超タイプだった。」
「マジ?言えよ」
学校の最寄りから電車で三駅、目的地に到着した。高校生の寄り道は勿論定期圏内だ。都内まで遊びに行こう!みたいなタイプでない俺にとって自分の世界と言えばその程度だ。
「早く早く!俺さっそく入れちゃうよ!この何も入れてない時の映像ウザイから!」
部屋に入って早々、恭太の引くほどバカうまい演歌によって火蓋は切って落とされた。
「やべえな、本当に出たな、98点。」
「自分でもびっくり」
あれから二時間と少し経ち。俺らは恭太の演歌の余韻に浸りながら帰りの電車に揺られていた。家の方向は皆同じ。各人の最寄り駅は狙ったように二駅ずつ隣だ。俺は一番奥。
各々ぼーっとしていると、スマホを眺めていた勇正が突然「うおっ」と小さく声を漏らす。
「どした?」
「いや、ニュース。ついさっき、十五分前だって。やばくね」
見ろ見ろ、と差し出された画面を恭太と同時に覗き込む。
『渋谷スクランブル交差点で大型トラック暴走、死傷者100人超か』
大事件だった。スクランブル交差点で大型トラックが暴走、人を次々に轢きながらその後も歩行者を轢き続けた、と。
「え!?やべえな、テロ?」
「なのかな……」
俺らの会話を聞いたのか、周りの乗客も何人かスマホを取り出して恐らくニュースを確認している。勇正にスマホを返して俺も自分のスマホでツイッターを確認する。「暴走トラック」「スクランブル交差点」など早速いくつかがトレンドに上がっていた。
元々人が相当に多い場所だ。現場に居合わせた人間の撮った生々しい写真も多く上がっていた。
俺の家も首都圏。渋谷なんて電車で一時間程度で行ける程近い。だが、位置的にはそれだけ近くても『自分の世界』の外側で起きたこの事は、随分と他人事のように感じていた。
まじか、そんなことがあったのか。
精々、その程度にしか感じなかった。
「たでーまー」
「おけーり。遅かったね」
「兄ちゃんおかえりー」
家に着くと既に夕飯の準備は進んでいるらしく、ぶり照りの良い匂いが漂ってきた。両親は共働きだが、母親はもう帰ってきていたらしい。父親は毎日遅くまで帰ってこない。毎月絶対に過労死ラインを越えている。
一方で二つ下の弟はソファーに座ってテレビを眺めている。いつもなら「つまらねぇ」とか言いながら民放をローテーションしているのだが、今日は違った。殆どどの局でも例のニュースをやっていたからだ。
「兄ちゃんこれ知ってる?」
「ああ、スマホで見た見た。」
「怖いねー。最後は自殺を図ろうとしてコンビニ突っ込んだらしいよ。一人で死ねって感じよね。」
母親は台所から少々過激な言葉を飛ばしてくる。過激ではあるがその通りだ。
コンビニの中にいた客の安否など詳しいことは分かっていない、らしいが、被疑者は大怪我はしているものの生きたまま確保されたようだ。折角拾った命だ。出来るのならば鎮痛剤や麻酔無しで治療してなるべく苦しんで欲しい。
「ご飯だよー」
「うーい。腹減ったー」
「はいはーい!」
先から漂っていた匂いによって俺の腹の虫はずっと絶叫している。ようやくそれが腹に入ると知ったヤツは更に叫んでその喜びを表す。照り焼きの飯テロ度はマジで恐ろしいな。
と、すっかり俺は目の前の飯で頭がいっぱいになっていた。
恐ろしい出来事。凄惨な事件。だがそれもきっとすぐに忘れてしまうのだろう。自分が当事者にでもならない限り。
最近のスマホというのは侮れない。端末自体のスペックもどんどん上がり、遊べるゲームも次々に増えてゆく。恐ろしい時間泥棒、いくらでも遊べる自信がある。最近ではゲームハードで展開されてきたシリーズの移植版なども出て来ている。スマホゲーム黄金時代といっても過言では無いだろう。
そんな事を考えながら遊んでいると、不意にふわぁと欠伸が出る。時計を見ると短針は一の手前、長針は十の手前だった。
「ん…まだ一時前なんだけどな…カラオケで疲れたかな?」
流石に父親も帰ってきてそろそろ眠るくらいの時間。普段は二時過ぎまで遊んでいるのだが、今日はなんだか突然眠くなってきた。
「んー、充電器…だ…け……」
先の欠伸をきっかけに、押し寄せるように強烈な睡魔に襲われる。朦朧とする意識の中、俺は最後の力を振り絞って充電ケーブルに手を伸ばすが、それも叶わず。アプリもつけたままに意識を失った。
「……ぃ…ーい!僚哉!おい!」
はっ、と気が付くと、目の前には不思議そうにこちらを覗き込む男が二人。片方は俺の顔の前で手を振り、片方はこちらへ呼び掛ける。
ここは、俺の高校の、俺の教室。ホームルームが終わった後の、教室だった。
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