第19話 見つけたい望み

 ――私は、必要なのでしょうか。


 そう呟いたサクラは、湯呑みを握る指に少し力を込めたようだった。


 これは、問いの答えというよりは迷いの中にある者の言葉。

 つまりは、彼女の弱音だ。


「今まで居た所では周囲の皆が私を褒め称えますが、私個人と言う存在は肩書きや能力に上書きされ、あってないようなものでした」


 僕には言葉を返せない。

 与り知らない事情だったから。


 存在の意味、居場所の有無、心の拠り所、そんないつの時代にも人を思い悩ませる言葉が僕の頭に去来した。


 そして、それは他者の口からだけじゃ決して納得するものは得られない。

 パズルのピースを集めるようにどうにかして自分で形を埋めて行くしかない。

 隙間なく埋まるか少々の隙間を妥協するかは人それぞれ違うけれど。


 彼女もそこはわかっているんだと思う。


 それでも自分一人で考え続けるのに疲れたのか、僕に救いを求めるような眼差しをぶつけてきた。

 心に刺さる、そんな目だ。


「だから、自問してしまうのです。私は私としてこの世界に必要なのでしょうか……と」

「サクラ……」


 今更ながらに思う。

 僕は、間違った。

 彼女にちゃんと名前を訊くべきだったのに。


「今までの君は知らないけど、君は自分自身を誰かにきちんと見て知ってもらいたいんだね」


 こくりと、頭の動きに合わせて繊細な長い髪が揺れる。


「変わらない現実に留まり続けるのが嫌で逃げ出したのです。何のために……という質問への答えとしては、自分勝手に心を護るために。または知らない景色の中で自分が何を思うのか経験してみたかったから。また或いはやはり必要の可否を見極めたかったからですが、それでもあなたへの答えとしては十分ではありません。感情がまだふっ切れないと言いますか、あともう少し何かが足りないと言いますか……」


「自分でもまだよくわかっていない望みがあるってこと?」


 思ったままを告げた僕の顔を凝視することしばし、彼女の瞳は新たな光明を得たように活きた光を煌めかせた。


「私の望み……ええ、きっとそれが足りなかったものだと思います。どうにか見つけられたら私はきっと元の場所に戻っても平気な気がします」

「そっか。力になるよ。僕で良ければ君が納得いくまで相談にも乗るし。事情を話してもいいかなって思ったらいつでも言って? たとえ君が元の場所に戻っても、どこにいても、君が望むなら僕は君の声を聞きに行くから」


 サクラは嬉しそうに頬を染めた。


「あなたは本っ当に神ですね……!」

「大袈裟な……。あ、でも匿うのは三日間だけだけど」

「……きっちりしてますね」

「そこはまあ」


 湯呑みをテーブルに置くとサクラは小声でくすくすと上品に笑った。

 その姿に安堵する。

 捻りのない言葉だけれど、女の子はやっぱり笑っている方がいい。


 ふわふわしている綿菓子みたいな彼女の中から、等身大の本当の部分を見つけた気がする。


「世の中嫌なことだらけじゃありませんよね」

「そりゃまあ」

「――だって、幸運にもあなたと出会えました」


 心に詰め込んでいた心情を吐露して少し気が晴れたのか、サクラが双眸に優しい色を戻している。

 誰が見ても魅力的な微笑だ。


「……そんな顔しながらのその台詞、何か口説かれてるみたいだなあ」

「あ……いえ、あの、そう言うつもりはないのですけれど………………まあ、それはそれでいいかも知れませんね」

「え?」


 ふと思考に沈んだ彼女は何を思ったか、今までとはどこか別種の響きを持つ声音と意味深なはにかみを見せた。


「ふふっ、これも天のお導きなのです」


 彼女は浮かれたように機嫌よく、深刻さなんてどこに行ったのかと思う雰囲気でお茶に口を付け、


「あらら、だいぶ温くなってしまいましたね。お茶、新しいものに取り換えてきます」


 二人分の湯呑みを手に席を立つと、新しいものに取り換えてくれた。

 二杯目も絶妙に美味しい。

 やっぱ美少女嫁(仮)は男の望外の幸せ!


 ゆっくりお茶を嗜む間は双方特に口を開かず、けれど心地よい空気が流れている。

 僕も彼女も場を繋げるテレビの音を必要としてはいなかった。

 静かな居間には湯飲みを啜る音と息遣い、そして近所の生活音だけ……。

 ああ、これぞび……。


「……いつか、私で良ければ神代君のお話も聞かせて下さいね?」


 空気を壊さない囁きを落とし、彼女が僕を眺めた。


「僕の……?」

「あなたがここに居る理由とか、悩みとか。役に立つかはわかりませんが、いつでもどうぞ」


 そんな事を言ってくれるなんて思わなかった。


 僕は何だか自分が情けなくなる。


「聞いても、別に面白みなんてないよ?」

「神代君は誰かの話を聞くのにそんなことを求めるのですか?」


 見透かされたように問われて、僕はバツの悪い思いで肩で息をついた。

 そんなわけない。


「だって僕の場合は、単なる反抗心だからさ」

「え?」

「ここに居る理由」

「まあ……。神代君が、反抗……? イメージできませんね」


 サクラ鳩が豆鉄砲を食らった顔になる。


 彼女にとっては全く別方向からの豆だったんだろう。


 そんな初めて見る可愛らしい顔をしたから、僕は意地悪にも込み上げた可笑しさについつい噴き出してしまった。

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