第16話 非常に気の毒な訪問者
「……誰だろう、こんな時間に。珍しいな」
今はもうとっくに九時を回っている。
普通であれば少し非常識な訪問時間だ。
勧誘って線はないだろうし、集金関係は口座引き落としにしているから来ない。
友人とかの知り合いならたぶん事前に連絡を寄越しているはずだ。
それとも何か緊急の用事だろうか?
サクラも声を発さず、僕同様ちょっとだけ警戒心のようなものを覗かせている。
応答に
――ピンポーン。
もう一度、催促するように呼び鈴が鳴った。
僕もサクラも一言も発さず、無意識に息を詰めた。
電気が点いているから訪問者ももう一度押してみたんだろう。
僕だって一応はそうする。
何かで聞こえていなかったなんて事もあるからね。
いつまでも居留守染みた真似をしているのも本当に急用なら良くないなと思い直して、僕は緊張を解くように息を吐き出した。
「はいはーい、今出ます。どちら様ですかー?」
声の調子も敢えて呑気なものにすると
…………。
返事はない。これが近所の人が回覧板なんかを回しに来てくれたなら誰それですって返ってくるし、押し売りでも何かを名乗るだろう。
それなのに、無言。
もう諦めて帰ったとか?
思わずサクラと顔を見合わせた。
聞こえていないのか帰ったのか、それともそれ以外の理由で敢えて黙しているのか。
「まさか……さっきの怪しい法衣の男?」
僕が呟くと、
「法衣……?」
「ああ、さっき外に法衣を着ていたおじさんがいたんだよ。神父さんかなあれ」
「神父……そうですか」
サクラがやや顔色を変え、玄関へと明らかな警戒の眼差しを送った。
彼女の著しい変化は僕にある種の確信めいた疑念を植え付けた。
あの男はもしかして本当に彼女の知り合いなのか?
「一応ウィッグ付けますね」
僕の心中なんて知らない彼女は立ち上がると壁に掛けてあるウィッグを手に取った。
ちょうどいい収納場所がなくて帽子みたいに壁に掛かってたけど、暗闇で見たらわかっていてもきっと一瞬ギクリとなるだろうなあ。
「どちら様ですー?」
一応もう一度だけ、僕は問いを投げかけた。
すると外からは「ひょえっ、あああええッと、エ、エンジェル新聞でーす。新聞読んでますか~?」とか聞こえて来た。
え、予想外に勧誘だったの?
声は若そうで、高さはハイトーン男子のそれだ。
声の低かった先程の男ではないのに安心して「間に合ってまーす」と返す。
「ふぉえええっ、そんなぁ、あの、あのあのどうしよう、ガブリエルちゃんに怒られちゃうよおぉ」
「……あら?」
サクラが何かに気付いたようにしたけれど、僕の意識は玄関外に集中していた。だってさあ、めっちゃ怪しい。
「ええっとー、いや、そっそんなこと言わずに開けて下さいお願いします!」
「いえ、間に合ってますって」
「ひえッ? ど、どうしよどうしよ不法侵入は怖いし、どうやって調査すれば……」
不法侵入とか調査とか、何やら駄々漏れだけど、内容は穏やかじゃない。もう不審人物確定だ。通報……するべき?
「帰って下さい間に合ってます!」
「えええッお願いしますここ開けて下さいっお願いしまあああーす!」
終いには大声に加えてドンドンドンとドアを叩き始めた。
「き、近所迷惑……」
僕はこめかみを押さえて嘆息。
やっぱりこんな時間に訪ねて来る相手なんてろくなもんじゃないらしい。
「居座られるのも迷惑だし、きっちり断ってくるよ。危ない相手だったら構わず警察呼んで? あと一応台所に隠れてて?」
「あ、その……」
サクラは何かを言い掛けたけれど、僕は有無を言わさずに彼女を台所に押し込んで玄関に行くと、覗き穴から覗いて相手が手には何も持ってないのと一人なのを確かめるとカチリと鍵を開けた。
「あのっ、ちょっと待って下さい。外に居るのはっ」
「え?」
台所から駆け出して来て制止するサクラの言葉も虚しく、僕はもうドアを開けていた。
「い゛いいいっ!?」
外の相手が奇声を上げた。
僕とサクラは瞠目する。
覗き穴からじゃ魚眼レンズ作用で気付かなかったけれど、玄関先には見るからに絶世の金髪美少年が立っていたから……と言うよりは、
「――ひッッッぎゃああああああああーっ!!」
相手がそれを台無しにするような崩れた泣き顔を浮かべたからだ。
極限に震え上がった少年は、天を衝くような絶叫を上げながらついには白目を剥いた。
ぶくぶく泡を吹いて硬直したまま後ろに傾いていく。
「は!? ちょっ大丈夫ですか!?」
気絶する少年を慌てて支えると、傍に居たサクラが気がかりそうにした。
「持病持ちだったんでしょうか?」
「……いや、君のせいだと思うよ」
「私?」
僕は責任の所在を確信している。
確かに少年はサダコサクラを見た瞬間に失神した。
……幸い失禁はしてない。
意識を飛ばしてくたっとなっている少年を腕に、僕は疲れた心地になった。
今夜はマジにどうかしている。
「外に放置は気の毒だし、とりあえず中に運ぶね」
「そうですね」
今の悲鳴でご近所さんが窓を開けたりする音が聞こえてきている。
僕たちは気まずい面持ちで少年をさっさと部屋の中に運び込むのだった。
「…………あんっのバカミカエルがっ」
近くの屋根の上で顔半分を手で覆いながら麗人が毒づいた。
ただ、表情は複雑そうで、単なる罵倒だけではないものが感じられた。
「危害が加えられることはないとは思いますが……迎えに行った方がいいんでしょうね」
全く、と苦々しそうに呟きながら、天使ガブリエルは美しい大きな翼で屋根から舞い降りた。
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