9―12

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「ふぅーっ……」


 僕は、『ハーレム』の大浴場にある湯船の中で息を吐いた。


「あぁ、気持ちいいわねぇ……」

「お湯に浸かるのは久しぶりだわ」

「はぁーっ、最高ですわ……」


 僕の正面に腰を下ろしたレーナたちが口々に感想を述べた。


「ねぇ? ご主人様? 本当にあたし達を抱かなくてもいいの?」

「うん、僕は未成年だし、そういうことをするのはまだ早いよ……」

「あぁーん、残念ですわぁ……」

「ホントよぉ……ユーイチ様、あたし達が欲しくなったら、いつでも呼んでくださいね」

「ありがと」


 僕も何故、貞操を頑なに守っているのか自分でも疑問に感じるときがある。

 しかし、こんなに大勢の使い魔たちと関係を持ってしまうと、大事なものを知らないうちに失ってしまうのではないかという不安もあった。

 他にも自信がないということもある。もし、フェリアとそういうことをして、彼女に失望されてしまったらどうしようとか考えてしまうのだ。

 彼女は、僕のことを一人前の男ではなく子供のように見ているフシがある。彼女の年齢から考えたら、僕なんて子供みたいなものなのだろうけど、自分が情けなく感じるのだ。


「じゃあ、そろそろ上がろう」


 そう言って、僕は湯船から立ち上がった――。


 ◇ ◇ ◇


 僕たちは、『ロッジ』の扉から『カチューシャ号』の船室へ出た。

 全員が出たのを確認してから、『ロッジ』の扉を『アイテムストレージ』へ戻す。

 そして、船室から廊下へ出た。


「あっ、ユーイチ殿!」


 階段の近くに居たシンイチが声を掛けてきた。


「何かありましたか?」

「いえ、ユーイチ殿が見あたらないので、探しておりました」

「ああ、すいません。ちょっと船室でくつろいでいましたので」

「しかし、先ほど覗いたときには居られませんでしたが?」

「魔法建築物の中に入っていたので」

「そうでしたか……」

「上のデッキに上がってもいいですか?」

「勿論です」

「船の上から海を眺めるという経験は滅多にできませんからね」

「私たちは、もう見飽きていますよ」


 僕は、階段を上ってデッキに出た――。


 ◇ ◇ ◇


「面舵ー!」


「おもぉぉかぁじ!」


「おもぉぉかぁじ!」


 船が右に旋回していく。

 乗組員たちが、マストの近くでロープを引いたりしている。


『そういえば、下の階でマストを見なかったな?』


 階段を降りた少し先にマストが無いのはどう考えてもおかしかった。


『つまり、下の階は魔法建築物になっていたのだろうか?』


 そう考えると照明の件などが頷ける。しかし、階段部屋の左右にあった丸い窓は異空間ではなく外が見えていたようだ。

 船室には、窓が無かったので、階段を降りた先の廊下から異空間になっていたのかもしれない。建物をそんな風に作ることができるとは知らなかった。

 考えてみれば、僕がこの世界に来てから、まだ数ヶ月しか経っていないのだ。この世界のことを分かっているつもりになっていたが、僕が知らないことなんてまだまだあって当然だった。


 船の舳先へさきのほうへ行きたかったのだが、操船をしている乗組員たちの邪魔はしたくない。

 落ち着くまで『シルフの像』がある上部デッキで待つことにした。


 階段を上って上部デッキへ移動する。

 上には、数人の冒険者と船長のギルシュが居た。

 先ほどの指示は、ここからギルシュが出していたようだ。

 しかし、この位置からでは帆が邪魔になって前が見えない。


「針路3―2―0! ヨーソロー!」


「アイサー! 針路3―2―0!」


「針路3―2―0! ヨーソロー!」


 ギルシュの指示が伝言ゲームのように伝わっていく。

 船の上は、風や波の音で聞こえにくいためだろう。

 セーラー服の襟も立てて音を聞こえやすくするためのものだという話を聞いたことがある。セーラー(Sailor)とは、船乗りや水兵のことだ。


 ギルシュは、僕たちが近づくと、こちらを向いた――。


「暫くこのままの針路で真っ直ぐ進みますよ」

「この船は、『シルフの像』が吹かせる風で自由に航行できるのですよね?」

「向かい風ですと、あまり進めませんがね」


 帆船は、完全な向かい風の方向には進めないはずだ。ジグザグに風を受けて向かい風の方向へ移動するため効率が悪い。しかし、この船は『シルフの像』のおかげで、向かい風に向かっても進むことができるようだ。

 勿論、強い向かい風に向かっては進めないのだろう。『シルフの像』が吹かせる風速よりも弱い場合の話だ。

 帆掛け船に扇風機のようなファンを置いて帆に向けて風を送っても基本的に船は進まない。帆に当たる風が完全に推力に転向されることはないし、船に固定されたファンにも後に進もうとする力が働くからだ。

 そのため、『シルフの像』は、像から風が吹いているわけではなく、魔法で像の上部に風の流れが発生するような仕組みなのだろう。


「ここからでは、前が見えませんが、どうやって指示を出しているのですか?」


 僕は疑問に思っていたことをギルシュに聞いてみた。


「ああ、ほらあそこ……」


 そう言って、ギルシュはマストの上を指さした。

 マストの上には見張り台があり、そこに船員が立っていた。


「あの見張りが旗でタイミングを教えてくれるんですよ」

「なるほど、毎回同じようなルートを航行しているからですね」

「その通り。こっちも時間でだいたい分かるんですがね。風向きで多少変わるので見張りが必要というわけです」

「この船は、前方にマストが2本立ってますが、『シルフの像』で風を送るならマストは1本でもいいのでは?」

「それは、ワシらには分からんです。設計したお偉いさんがそう考えたのでしょう。たぶん、『シルフの像』が無くても航行できるようにしたのではないかと……」

「ああ、『シルフの像』に使われている魔法石の数によっては、使える時間が限られているでしょうからね」

「全速力だと、丸一日は持ちませんよ」

「通常のマジックアイテムだと約24時間で魔力が完全に戻りますが、『シルフの像』もそうなのでしょうか?」

「計ったことはありませんが、確かにそうかもしれませんな」


 改めて船の前方を見ると、ロープを引っ張ったりしていた船乗りたちがバラけていた。

 人数も半分くらいに減っているようだ。船室や食堂に引っ込んだのだろう。


「船首のほうに行ってもいいですか?」

「どうぞ、お好きに見てくだされ。ただ、海に転落しないよう注意してください」

「ああ、我々は飛行できますから大丈夫です」

「……のようですな。ハッハハ……」


 ギルシュは、僕の足下が宙に浮いているのを見て笑った。

 僕は、ギルシュから離れ、階段を降りて、船の舳先へ向かった。

 乗組員達は、僕たちを興味深げに見ているが、話し掛けては来なかった。

 船乗りの多くは、荒くれ男風の外見だが、刻印を刻んでいない一般人なので、冒険者である僕たちに絡むのは控えているようだ。

 僕は、乗組員たちに軽く会釈をして通り過ぎる。

 2本のマストを通り過ぎて移動する。

 そして、船の舳先に到着した。


 舳先に立つと前方と左右に海原が広がっている。

 舳先には、フィギュアヘッドが取り付けてあった。シルフの像とは別に設置してあるのだろう。

 フィギュアヘッドは、女神像のようだ。『女神教めがみきょう』で見た女神像に似たデザインのものが舳先に取り付けられている。勿論、サイズは違うが。


「うわぁ……凄い光景だね」

わたくしも船の上からこうやって海を眺めるのは初めてです」

「『エルフの里』を出たたちもこうやって海を見たのでしょうね」

「大陸で里を出たエルフに会ったらどうするの?」

「ご主人サマの奴隷に誘いますわ」

「いやいや、結婚してるかもしれないし、恋人が居るかもしれないから……」

「その可能性は低いでしょうね」

「どうして?」

「エルフと人間は……種族の壁は、簡単に超えることはできませんの」

「人間と結婚したフェリスがそれを言うの?」

わたくしは、変わり者でしたから……」

出奔しゅっぽんするくらいだから変わり者じゃないのかなぁ……」

「ふふっ、確かにそうかもしれませんわね。でも、相手がご主人サマのようにエルフを警戒しない人じゃないと上手く行かないと思いますわ」

「どうして、エルフを警戒するのかな? 友好的な種族だということは、人間にも分かっているだろうに……」

「それでも種族が違うというだけで警戒するのが普通なのです。ご主人サマが特別なのですわ」

「それって、危機感が薄いってことだよね?」

「いいえ、ご主人サマくらい強ければ、エルフなんて恐くも何ともないからだと思いますわ」

「お母さん。ご主人様は、私と初めて会った時もハーフエルフの私を警戒しませんでした」

「あらあら、やっぱりご主人サマは特別ですわ」

「まぁ、この世界の人間じゃないからね……」


 その後、舳先で使い魔たちとタイタニックごっこなどをしたりして暫く時間を潰した――。


 ◇ ◇ ◇


 日差しは柔らかいが、まだ午後にもなっていなかった。


「ちょっと、飛行して海の上を探索してこようかな」

「危険よ。ご主人様。戻って来れなかったらどうするの?」


 レーナが僕にそう忠告した。


「【レーダー】の魔術があるから、船の位置を見失うことはないと思うよ」

「でも、【レーダー】ってそんなに広範囲に作用しないんじゃ?」

「拡大版を作ってあるから大丈夫」

「……分かりました。くれぐれも気をつけてくださいね」

「うん」


【ハイ・マニューバ】


 僕は、【ハイ・マニューバ】の魔術を起動した。

 船の進行方向に舞い上がる。フェリアたちも僕に続いた。


 ――高度を上げて加速する。


 おそらく、超音速で飛行していたが、10分程度では大陸は見えてこなかった。

 更に10分くらい飛行すると漁船らしき船が右前方に見えた。

 危険に満ちたこの世界では、遠洋漁業のように遠くまで漁に出ることはないだろう。つまり、陸地が近いということだ。

 飛行しながら、少し高度を上げてみると、前方に陸地が見えた。


【テレスコープ】


 視界を拡大する。

 海岸線の奥に街などは見あたらない。

 少し右へ旋回して、あまり海岸線に近づかないように飛行する。

 左前方に『エドの街』にあるような城壁が見えた。

 少し接近すると、街らしき建物が見える。

『エドの街』のように密集した感じではなく、広いエリアに分散しているようだ。

 面積だけなら、『エドの街』よりずっと広そうに見える。

 ここは、『ナホトカの街』ではなく『ウラジオストクの街』だろう。


 僕は右へ旋回して船の方へ戻ることにした――。


 ◇ ◇ ◇


【ワイド・レーダー】を使い『カチューシャ号』に到着した。

 船首に降りて【ハイ・マニューバ】をオフにする。


 1時間近く飛行していたと思う。

【ハイ・マニューバ】で1時間近くも飛行できるようになるとは思わなかった。

 MPを確認してみると、半分も減っていない。

 僕は、ユキコの【体力/魔力ゲージ】を確認してみる。

 残りMPは、1/3くらいだった。調子に乗って飛んでいたら、ユキコが海に墜落していたかもしれない。


『魔力回復薬』


 僕は、『魔力回復薬』を取り出してユキコに渡す。


「これを飲んでおいて」

「ありがとうございます。ご主人様」


 ユキコは、『魔力回復薬』を受け取って飲んだ。


「あっ、ご主人様。お帰りなさい。遅いので心配しましたよ」


 船室の扉から出てきたレーナたちが近づいてきた。


「ああ、『ウラジオストクの街』を見てから戻ってきたんだ」

「嘘でしょ? あれっぽっちの時間で『ウラジオストクの街』まで行って帰ってくるなんて……」

「城壁があったから、たぶん『ウラジオストクの街』だと思うけど……」

「確かにあのスピードなら……。あの飛行魔法は【フライ】じゃないですよね?」

「うん。僕が開発した【ハイ・マニューバ】という魔術だよ」

「ホント、凄いですね。あたしも鼻が高いですよ」

「どうして?」

「ご主人様がこんなに凄い魔術師なんだって思うとゾクゾクします」


 レーナが大きな身体を震わせた。


「魔術師のつもりはないんだけどね……」

「そうなんですか?」

「この格好は楽だからしてるだけだよ」

「武器を使った戦闘も得意なんですか?」

「どうかな? あまり考えたことないけど。でも、戦闘では魔法を使うことが多いかも」

「ご主人様に勝てる者など、この世に居りません」


 フェリアが口を挟んだ。


「フェリアのほうが、僕よりも強くない?」

「そんなことはございません。私に装備できない武器をご主人様は装備しておられます。それだけでもご主人様のほうが強いという証拠ですわ」

「でも、僕はフェリアに育てて貰ったようなものなんだけど……」

「確かにご主人様が刻印を刻まれたばかりの頃は、私のほうが強かったでしょう。しかし、召喚魔法は自分よりも格上の者に対しては作用いたしません」

「そうなの?」

「はい」


 それは新事実だった――。


 冒険者などの刻印を刻んだ者には、レベルのようなものが存在する。それは間違いなく事実だ。

 ただ、RPGのレベルのような大雑把なものではなく、非常に微妙な積み重ねによるもののようなのだ。

 モンスターを倒すと自覚がないくらい微妙にレベルアップしていて、それが積み重なると強くなったと実感できるのだ。

 例えば、HPやMPが実感できるほど増えていたり、装備できなかった武器や防具が装備できるようになったり、より高度な魔法を使えるようになったりすることで実感することができる。

 そして、レベルアップすることで【戦闘モード】時に思考を加速させる度合いが強くなるのだ。つまり、よりレベルの高い者は、レベルの低い者の動きがスローに感じるようになる。そのため、格下の冒険者は格上の冒険者に勝つのが難しい。格上の冒険者に対しては、攻撃が見切られてしまうため、攻撃を当てるのが難しく、相手の攻撃は速くて回避が難しいという状況になりやすい。勿論、攻撃速度などは筋力や敏捷性に依存するため、相手が格上だからと言って回避できない攻撃が来るとは限らない。


 そして、召喚魔法は自分よりもレベルの高い者に対しては作用しないらしい。

 しかし、僕はずっと前から召喚魔法が使えるフェリアに対して、召喚魔法が使えるようになったばかりのときに使ったわけで、にわかには信じられない話だった。


「でも、フェリアは召喚魔法が前から使えたよね? 僕がフェリアを使い魔にしたときは、召喚魔法が使えるようになったばかりだったわけなんだけど……」

「はい、まさか一度で成功するとは思っておりませんでした」

「どういうこと?」

「最初は、効かないのを覚悟の上で掛けていただいたのです」

「失敗したらどうするつもりだったの?」

「ご主人様がモンスターを倒して成長されるのを待つつもりでした」

「つまり、毎日狩りに出かけて、帰ってきてからテイムして駄目だったら次の日にまた同じことをするというのを繰り返すつもりだったの?」

「その通りでございますわ」


 確かに自分より強いモンスターをテイムするのは難しいというのは理に適っているように思う。

 ゲームなどでも自分のキャラより強いモンスターには、魔法が効きづらいものだし……。

 何か根拠があるのだろうか?


「でも、どんな根拠があるの?」

「それは、私から説明いたしますわ」


 フェリスが話に加わった。


「エルフの伝承者の間には、『召喚魔法は格上のモンスターには効果がないから使うな』と伝わっておりますの」

「エルフが代々、そう口伝で言い伝えているってこと?」

「そうですわ」


 ――う~ん、根拠としてはどうなんだろう?


 どうやって確かめたか知りたいところだ。

 そもそも、召喚魔法は滅多に成功しない欠陥魔術と言われていたはずなのだが……。


「まぁ、いいや。これからどうしよう?」

「あの……。あたしは、ご主人様の強さを見てみたいです」

「え? どうやって?」

「あたしと模擬戦をしてもらえませんか?」


 レーナが何やら面倒なことを言い出した――。


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