9―13

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 レーナが僕の強さを体験するために自分と模擬戦をしてくれと言い出した。


「船の上で?」

「はい、船員たちもたまに階段下の広場で殴り合いをしていますから」


 確かにこの船の上では、上部デッキか階段下からメインマストまでの間の空間くらいしか広いスペースはない。


「でも、冒険者同士の戦闘だと船に被害が出るかもしれないし……」

「ええ、ですから素手の殴り合いにしましょう」

「女の人を殴るのは、ちょっと……それに簡単に殺しちゃうと思うから……」


 中級冒険者クラスのレーナが相手だと、僕が本気で殴ったら、おそらく一撃で殺してしまうだろう。

 拮抗した力を持つフェリアが相手だと凄く時間がかかると思う。というか、本気でやったら船が沈むだろう。


「はい、殺してください」

「えっ? 何を言って……?」

「オリガは、【リザレクション】が使えますから、問題ありません」

「まぁ、【リザレクション】なら、僕たちのパーティも使えるから、死んでも復活させられるけど……」


 刻印を刻んだ体は、攻撃を受けたときにそれほど大きな痛みは感じないので、復活できるなら死んで――仮死状態になって――も問題ないのかもしれないが、数ヶ月前まで普通の人間だった僕の感覚では、殺されたいというのは異常に感じてしまう。


「あぁ……ご主人様に殴り殺されるところを想像しただけで……」

「んんっ! ご主人様の強さを証明するには、彼女では役不足だと思います。わたくしにご命令ください」


 フェリアが割り込んできた。彼女も僕に殺されてみたいようだ。


「駄目だよ。フェリアと戦ったらこの船が沈んじゃうと思うし。ぬるい攻撃だと永遠に終わらないでしょ?」

「ぐっ……た、確かに……」

「それにフェリアが相手だと、僕のほうが死んじゃうかもしれないし……」

「それは大丈夫ですわ。ご主人様と素手で戦った場合、私が勝つ可能性はありません」

「それより、使い魔って、あるじを攻撃することができるの?」

「ご命令であれば可能だと思います。ただ、命を奪うようなことはできませんし、そのような恐ろしいことは、ご命令であっても実行いたしません」


 何となく、催眠術で相手を自殺させることができないという話を思い出した。そもそも、催眠術自体が胡散臭いわけで、催眠術と聞いてイメージするようなものではなく、催眠を利用したセラピーなどはあるのだろうけど、暗示を掛けて相手を自由に誘導するというのはできないと思う。

 だから、使い魔に僕を殺す命令をするのは無理だからといって、間接的な誘導で僕を殺させることができるかといえば、それも難しいと思う。ただし、それは使い魔によるだろう。アーシュのような動物やユリコのような意志薄弱なゾンビなら可能かもしれない。


『……自分をどうやって殺すことができるか考えるなんてどうかしてるな……』


「それで、どうでしょうか? ご主人様」


 レーナが聞いてくる。


「分かった。そこまで言うなら模擬戦をしよう」

「ありがとうございます!」

「レギュレーションはどうするの?」

「レギュレーション? ですか?」

「ああ、ルールなら分かる?」

「はい。では、お互いに魔法を禁止にしましょう」

「じゃあ、僕は全ての魔法を使わないけど、君は自己強化型魔術を使ってもいいよ」

「え? よろしいのですか?」

「それくらいのハンデが無いと面白くないでしょ」

「分かりました」


 僕たちは、操舵室や船室へ行くための扉がある所に移動した。


「レーナ、一体何が始まるんだ?」


 上のデッキから降りてきたデニスがレーナに尋ねた。

 どうやら、上から僕たちがここに来たのを見ていたらしい。


「あたしとユーイチ様が素手で戦うのよ」

「本気か?」

「ええ、どれくらい強いのか実感させて貰うつもりよ」

「みんなを呼んで来るから、待っていてくれ!」


 そう言って、デニスは船室の扉に入って行った。


「ごめんなさいね。何だか見せ物になっちゃいそう」

「まぁ、それはいいけどね……」

「そうだ。防具はどうします?」

「そっちは、好きな格好でいいよ。僕は普段着に着替えるよ」


『装備6換装』


 綿シャツ、綿パンの部屋着装備に換装した。


「じゃあ、あたしも動きやすい服に着替えるわね」


 レーナがそう言った後、彼女の身体が白い光に包まれた。

 光の中から服装が替わったレーナが現れる。


 足に革のブーツを履いている以外は、下着姿に近い格好だった。

 上は白いタンクトップのようなシャツを着ていて、下は黒っぽいホットパンツのようなボトムを履いている。

 へそ出しルックの上、ノーブラなので乳首がうっすらと透けて見えている。


「……目のやり場に困るんだけど……」

「ふふっ、好きなだけ見てもいいのよ?」


 ――ガチャ


 船室への扉が開いて、中から冒険者たちが出てきた。

 その後に船長のギルシュ以下、乗組員たちが続いている。

 どうやら、乗組員たちの娯楽として利用されるようだ。


 冒険者達とギルシュは、上から観戦するようで上部のデッキへ上がって行った。

 乗組員たちは、マストの近くに移動した。

 使い魔たちや、レーナのパーティメンバーの一部が船の左右に移動する。


「じゃあ、準備ができたら始めてくれ」


 デニスがそう言って下がった。

 レフェリーのつもりなのだろうか。


 僕は、しぶしぶ広場の中央へ向かった。

 レーナも続く。


「じゃあ、ご主人様。行くわよ!」

「お願いします」


 僕は、頭を下げた。


「ハァッ!」


 レーナは、接近して鋭い蹴りを繰り出してきた。

 その瞬間、僕の頭の中でスイッチが入る。自動的に【戦闘モード】が起動したのだ。


【戦闘モード】が起動すると、鋭いと思った蹴りもハエが止まりそうなくらい遅い攻撃に見える。

 意識が加速された空間の中で、僕は頭を下げて蹴りを躱す。

 ゆっくりと僕の頭の上をレーナの右脚が通過する。

 そのまま見ているとレーナは、蹴りを回避されたため、右足を床に着いた。僕に背中を向けた状態だ。

 ここで攻撃したら、たぶん簡単に倒せるが、それではギャラリーが納得しないと思うので、暫くは手を出さずに攻撃を回避し続けることにした。

 僕自身も冒険者がどういう体術を使ってくるのか興味があった。


 次にレーナは、左脚で後ろ回し蹴りを放った。これは、予想通りの攻撃だった。僕は【体術】の刻印を持っているので、相手がどう動くか予測できるのだ。

 回避しようかと思ったが、右手で掴み取ってみることにした。

 僕の顔面に向けて放たれた回し蹴りの足がゆっくりと顔に近づいて来たので右手で掴み取る。


 ――パンッ!


 右手に軽い衝撃があり、少し遅れて大きな音がした。

【戦闘モード】中は、何故か音は普通に聞こえるのだ。脳が音だけ後で圧縮して認識させているのではないかと思う。


「くっ!?」


「「おおっ!?」」


 左足を取られたレーナは、空中で身体を回転させて、右足で攻撃を繰り出してきた。

 かなり、焦ったような雑な攻撃だ。おそらく、僕に足を取られたことで詰んだと思ったのだろう。

 僕は、レーナの左足を手放して、後ろに仰け反って蹴りを躱した。


 うつ伏せの状態でデッキに落ちたレーナは、器用に前転して僕から距離を取った。

 曲芸のような動きに歓声が上がる。

 しかし、僕が本気ならそんな隙だらけの行動は命取りだっただろう。


 再度、僕と対峙したレーナは、腰を落として身構えた。

 レスリングの選手のような構えだ。


 ――タックルでもするつもりだろうか?


 レーナは、僕よりも背が高く、体つきもガッシリしている。筋肉質でへその周りの腹筋なんかも少し割れている。

 もし、お互いが刻印を刻んでいない普通の人間だったら、彼女のほうが力が強かっただろう。そのため、組み付かれたら僕のほうが負けてしまうと思う。

 しかし、今の僕は、トロールを何十万体も倒したレベルの冒険者と同じなので、力勝負だと絶対に負けない。

 彼女が力勝負に持ち込もうとしているのだとしたら、愚策としか言いようがない。


 案の定、レーナは手を広げてタックルしてきた。

 回避するのは簡単だったが、敢えてタックルされることにした。

 レーナが腰に飛びついてきたので、彼女の腋に手を入れて後ろに倒れながら持ち上げた。

 彼女は、デッキの上で僕の頭を胸に抱きしめて、自分の脚を僕の脚に絡めてくる。柔道の抑え込みのような体勢だ。


「うぷっ」


 大きな胸が顔面で押しつぶされる。

 彼女は、力を入れて僕を抱きしめているつもりだが、【戦闘モード】の状態ではそれほど圧力を感じない。

 僕は、普通に身体を起こして、立ち上がった。


「なっ!?」

「凄げぇ……」


 立った僕にレーナが抱きついているような状態だ。

 僕は、レーナの腰を掴んで軽く放り投げた。


「何て力なの……!?」

「僕と力比べをするのは愚策だよ」

「そうみたいね……」


 レーナは、拳を上げて体の前で構えた。

 ボクサーのようなスタイルだ。

 この世界にもボクシングがあるのだろうか?


 彼女がステップインして接近してきた。

 ここからジャブが来ると予想していたら、ストレートが来た。

 意表を突かれたと言っても僕から見れば遅い攻撃なので、回避は簡単だ。

 とりあえず、どういう組み立てで攻撃してくるのか興味があったので、暫く回避に専念することにした。


 ストレートを回避されたレーナは、右手を曲げて肘を打ち下ろすように攻撃してくる。

 僕は、左に回り込んで彼女の右肘を回避した。

 すると、今度は、体を回転させて左の肘で攻撃を繰り出してきた。

 なかなか、切れ目のない攻撃と言える。レーナは、体術が割と得意なのかもしれない。精霊系魔術が使えるようなので、自己強化型魔術と組み合わせれば有効なのだろう。


 左肘を下がって回避すると、今度は、渾身の右ストレートを体の陰から放ってきた。

 前にレイコのパーティメンバーのミナが盾を使ったブラインド攻撃をしていたが、こういう工夫をした攻撃を冒険者は、よく使うのかもしれない。


 僕は、その右ストレートを右に避けた。【体術】の予測では、左に避けて回り込むほうがいいと判断したのだが、敢えて逆に避けた。どちらに避けても、このような遅い攻撃では問題ないということもあった。

 右ストレートを回避されたレーナは、両手を振り下ろしながら、左脚で僕の股間を蹴り上げてきた。

 刻印を刻んだ体は、急所が存在しないので、仮に攻撃を受けても大したダメージは入らないだろうけど、長年の慣習からか、ちょっとだけヒヤッとする。

 僕は、左足を引いて、体を横に向けて攻撃を回避した。僕の目の前をレーナの長い脚がゆっくりと振り上げられる。

 右側面を彼女に晒した状態で右側から僕の前の空間を蹴りが通過するような格好だ。


 僕は、蹴り上げられた彼女の足首を左手で掴んだ。


「あっ!?」

「「おおっ!?」」


 ギャラリーからため息が漏れる。


「くっ!?」


 レーナは、左手で僕の顔面を攻撃してきた。

 この体勢だと力の乗った攻撃は無理なので、苦し紛れに攻撃した形だ。

 僕は、試しに攻撃を受けてみた。


 ――ガッ


「「おおーっ!」」


 攻撃が始めてヒットしたので、歓声が上がった。

 彼女の攻撃は、全く痛く無かった。HPも減っていない。

 自己強化型魔術は、【トゥルーサイト】以外は切ってあるので、【シールド】などを使わなくても、この程度の攻撃なら何ともないようだ。


 レーナが腕を引いてもう一発殴ろうとしたので、彼女の左足を押してから離した。

 彼女は、背後に手を着きバック転をして距離を取った。


 そして、またボクサーのような構えで接近してきた。

 さっきよりも近くまで接近してくる。

 彼女のリーチなら、もっと遠くからでも攻撃できるはずだが、何をするのだろうと見ていると、パンチと見せかけてローキックを放つつもりのようだ。

 上から下へ力の乗ったローキックを放ってきた。


 僕は、また敢えて受けてみる。


 ――バシッ!


「「おおっ!」」


 僕の左脚にローキックが炸裂する。

 軽く叩かれたような衝撃があったが、あんまり痛くない。本当に軽く叩かれた程度にしか痛みを感じなかった。

【体力/魔力ゲージ】を見てもHPは、1ミリも減っていない。

 まさかとは思ったが、レーナの攻撃では全くダメージを受けないようだ。

 僕は目を閉じて【体力/魔力ゲージ】に注目する。


「なっ!?」


 レーナが驚きの声を上げる。


「行くわよ!?」

「どうぞ」


 体のいろいろな部分が軽く叩かれているようだ。

 HPは、全く減らない。

 腰に抱きつかれた。タックルをしたのだろう。しかし、それも大した衝撃ではなく、先ほどのように自分から倒れないと僕を倒すこともできないようだ。

 しかし、僕の体重よりレーナの体重のほうが重いハズなのに何故このような現象が起きるのだろう。

 もしかすると、僕の体重は以前よりもずっと重くなっているのだろうか?


 ――ざわっ、ざわざわ……


「どうなってるんだ……?」

「何なんだアイツは……」

「バケモノか……」


 周囲の雰囲気が変わった。

 目を開けて見るとギャラリーが僕に怯えた視線を送ってくる。


「つ、強すぎる……ああっ……ご主人さまぁ……」


 レーナは、逆に熱っぽい視線で僕を見ていた。


「まだやる?」

「はい! あたしを殺してくださいっ!」

「ハァ……」


 僕は、ため息を吐いてから、抱きついているレーナを引きはがした。

 レーナは、着地した後、先ほどと同じようにボクサーのような構えで接近してきた。


 僕は、初めて自分から彼女のほうへ向かって踏み込み、正拳突きを水月の辺りに放った――。


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