棘縉が咲枝に敵対心を抱いている一番の理由は、咲枝が考えている原因の中にはないことだったりする。もちろん、異界の娘ということで警戒しているのもある。一度大ゲンカした時に、見かけによらず乱暴者だということを身を以て経験させられたこともある。影が無くて真っ黒な姿の、得体の知れない存在だということもある。けれど、そのどれもが一番の理由ではなかった。彼女にとって大切なのは、レンとの距離感そのことだった。

(今日は沐漣さまとはご一緒ではなさそうですわね……)

 物陰から様子を窺いながら、棘縉は咲枝の周囲を細かくチェックする。レンの姿はない。そのことに、酷く安堵していた。

 棘縉がレンのことを初めて知ったのは、物心がつくかつかないかの頃だった。旭晨艇の天井近くの壁に飾られていた、皇族方の絵姿たち。そこに、新たに一人の皇族のものが追加されたのだ。その絵姿を見た棘縉は、衝撃に打たれ、一目で恋に落ちてしまった。幼い頃のレンの、整った、凛々しい顔立ちがそこにはあった。

「お父さま、あれはどなたですの?」

「あぁ、あれかい? あの方は先日正式に皇位継承順位が第一位に決定した沐漣殿下だよ。それを記念して、新しく絵姿が国民に配布されたのさ」

 その後も棘縉の父は、「色々あったが、なんとか落ち着いて良かった」などと呟いていたのだが、その言葉は棘縉には聞こえていなかった。金糸雀の第一皇位継承者、沐漣皇子。

(沐漣さま……そう仰る方なのね。なんて素敵なお名前)

 棘縉は熱心に真新しい絵姿を見つめながら、その名を繰り返し心の中で唱え続けた。この方はわたくしの運命の人。わたくしはこの方を支えたい。

「お父さま、わたくし、この方に嫁ぎますわ」

 幼い棘縉が何故沐漣を支えたいと思ったのか。彼女は自分でも気付かぬうちに感じ取っていたのだ。額縁の中の沐漣の表情に、微かに潜む憂いの色に。

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