霊はいつもそこにいる

滝川零

第1話 能力「霊」

 この世界には『可能性』がいくつもある。そして、その半分は実り、半分は枯れる。

 これは、『可能性』を『確定』へと導き、運命によって出会う“少女達”の物語である。


 二〇一八年五月の半ば、朝七時。目覚ましの音と外にいる鳥の鳴き声で彼女は目覚める。

 彼女とは、相川舞夜あいかわまやのこと。

 身長一六二センチ、年齢一七、髪型はひとつ結びの黒、好きな言葉は『愛』。

 高校に通う一見普通の女子である。しかし、彼女は『運命』に呑み込まれていた。

 彼女の住むのは東京の中でも、一際特殊な場所である。中央都立区というその場所を囲むようにして七つの市がある。このように分けられたのは今からおよそ一〇年前、東京都知事によるもので、その理由としては東京への人口増加に伴う分散という目的があった。

 その内の一つ、“矢嶋市”に舞夜の家がある。

 いつものようにパジャマを脱ぎ、学校の制服を切るのに二分かけて、母の作った朝食を食べ、家を出る頃には三〇分になっている。学校までの道のりは徒歩とバスでおよそ二〇分。

 舞夜は授業開始の三〇分前には教室にいるようにしているのだ。

「今日も早いねー、舞夜は」

 授業開始の数分前、彼女の隣に座った女子生徒は親友の宮木佳苗みやぎかなえである。

「佳苗ちゃんがギリギリなんだよ。私ぐらい余裕を持たないとね」

 朝の会話も小学校からほとんど変わらない。

 いつも通り平凡に流れる時間。この東京の中でも穏やかな時間の流れる矢嶋市。舞夜自身も普通に過ごしていた。

 普通が一番だと願うのは彼女が普通でないことの証である。

「何かさあ、面白いことないかな?」

 昼時、舞夜に向けて佳苗が言ってみせた。具体的に“面白い”の定義を考えていない彼女の何気ない言葉に、舞夜は考え込んでみせる。

「舞夜は真面目だねえ。そんな考えてくれなくてもいいのに」

「まあ、私も何か退屈気味かなって」

 矢嶋市はあまり変わり映えのしない場所だ。

 もっとも、変わり映えする方が珍しいのであって、彼女たちが退屈を覚えるのも無理はないのであった。

「そういや、今日ってカラオケ半額の日じゃなかった?」

「言われてみれば」

 ウキウキと文字が浮かんで見えそうな程に端末を操作して、カラオケ店のクーポン券を探した佳苗はビンゴ、と指を鳴らした。

「舞夜も一緒に行かない?」

 今日の予定を頭に浮かべて、授業後の掃除当番があることを思い出した彼女は、その後でならと佳苗に待ってもらうことにした。

 午後の授業はとても辛い。昼食後の満腹の胃袋で黒板に文字を書く時に生じる音が心地よい子守唄のように聞こえるからだ。

 舞夜もウトウトとしている生徒の一人であったが、側にある窓の景色でも眺めて眠気を飛ばそうとした。

 すると、彼女の席からはグラウンド、正門が見えるのだが、一台の黒い車が停まっている。

 中から下りてきた人は、真っ直ぐな長い黒髪にこれまた同じ黒のスーツで颯爽と地に足をついている女性であった。

 学校関係者とは思い難いその容姿に見とれていると、こちらの視線に気づいたかのように鋭い目つきで見られた。

 咄嗟に顔を逸らして、黒板へと視線を戻した彼女は、おかげで目が覚めたことに少し感謝する。


「じゃあ、私図書室で待ってるから、終わったら連絡ちょーだいね」

 佳苗は片手に持ったカバンを振って、廊下を歩いていった。

 舞夜と数人で教室の掃除をするわけで、最後のゴミ捨てを舞夜が行くこととなった。

 ついでにカバンを持った彼女はゴミを捨てて、そのまま正門で佳苗に連絡するつもりであった。

 ゴミ捨て場とされる焼却炉は校舎の裏側にある。人気があまりなく、用務員ですら同じくゴミを捨てに来るか、道具を取りに来るぐらいでしか訪れない場所。

 舞夜はゴミ袋を焼却炉横の置き場所に置いて、手を払った。

「さて、佳苗ちゃんに連絡するか」

 正門の方を向いて、端末を取り出したと同時、後方から猫の鳴き声がした。

 少し正門側に歩いてから、校内で最も背の高い木の上を見ると、鈴のついた首輪をした猫を見つけた。

「おーい、いくら猫でもそんなとこにいると危ないよ」

 周りに誰もいないから、少しくらい大きな声で言っても問題ない。

 すると、猫が一回鳴いた瞬間、立ち上がると同時に足を滑らせるのが見えた。

 猫を受け止めようにも距離があって間に合わない。

 周りには誰もいないことを再三確認した舞夜は一歩踏み出した瞬間に叫ぶ。

「ダンシングナイト! スローモーション!」

 彼女の背後から人の形をしているが、この世の生物の中では見たこともない存在が姿を見せる。

 それは舞夜の言葉に反応するかのように猫に向けて手を伸ばした。

 勿論、それで届くわけではない。

 しかし、落ちてくる猫のスピードはまるでスーパースローカメラで撮影された動画のように遅くなった。

 遅いのは猫だけ。舞夜はそのまま、猫を受け止める体勢に入った。

「解除」

 彼女が呟くと、その両腕に猫は収まるようにして、落ちた。

「アンタ、いくら自分が高い所平気でも気を付けなさいよ」

 また一回鳴くと、彼女の手元を離れて地面に下り立ち、そのまま歩いて行く。

 もう少しその毛並みの感触を堪能させてくれても損はないだろう、と思いながら猫のしっぽを眺める。

 すると、猫の行き先には誰かの足があり、舞夜の視線は上へと向いていく。

 授業中に見たスーツの女性は近くで見るとより鋭い目つきでこちらを見ていた。

「あなた、面白い能力を持ってるのね」

 舞夜は心臓を直接握られた気分で、動揺を隠すことに必死なのを悟られぬように務める。

「なんのことですか?」

「とぼけなくていい。私もあなたと同じだから」

 女性の背後から気配を覚えた舞夜は、再びあの名前を呼ぼうしたが、それよりも早く誰かに抑えつけられたかのように地面へと這いつくばった。

「相川舞夜、霊の名前は『ダンシングナイト』。いいセンスしてるわね」

「な、何よこれ! あなた何者よ!」

 抑えつけられたまま一向に動けない舞夜を見下ろす形で女性は構わずに話し続ける。

「霊を使えるのはあなただけじゃない。この世界でいくつも事例があってね。あなたにも協力してほしいのよ」

「……協力?」

 圧迫されることで呼吸も苦しくなってきた舞夜は、この状況にしてむしろ冷静さを取り戻してきていた。

 彼女も自分と同じだと言っていた。同じような人間と出会うのは初めてではない。ただ、出会う度に危険を覚えて退けてはきた。

 “協力”というのが何を意味するのか次第で彼女を退ける必要がある。

 女性の能力は相手を抑えつける、いや、そんな単純ではない気がする。

 すると、先程の猫が再び舞夜の目前に戻ってきた。それも、とても近く。

 近接した猫の胴体でスーツの女性が隠れた瞬間、体の重さが消えた。

 驚く暇もなく、舞夜はこのチャンスを掴むべく、すぐ横へと転がった。

「何!?」

「ダンシングナイト! スローモーション」

 今度は舞夜が先手を打った。舞夜の方を向こうとしていた女性だけは動く速度が変化し、首をゆっくりと動かしている。

 女性の正面に立たなくなった瞬間、元に戻った。

 つまり、彼女の能力というのは正面に立った際に発揮されるものだと考えた舞夜は横から攻める。

「もらった!! スピードアップ!」

 舞夜は足が一気に加速する。背後から姿を表したそれに舞夜は告げる。

「ダンシングナイト! 一気に叩きこむわよ!」

「まだまだ甘いな」

 女性が指だけを舞夜に向けると、彼女の体が宙に浮いた。

 同時に背後にいた霊も宙に浮かぶため、攻撃は空振る。


「私の能力は“物体の重力を操る”の。ごめんなさい、試すような真似をして」

 誤解を解くべく、女性の方から能力を解除したことで話し合うこととなった。

「猫で視界が隠れた瞬間に私の体が元通りになったのは、何故ですか?」

 先程助けた猫は、地面に座り込む舞夜の元に擦り寄ってきている。

「いえ、相手の視界から私の姿が外れた瞬間は解放されるの。でも別に視界に入れる必要はなくて、指を向けるだけでも範囲内なら適用されるんだけどね」

 彼女は自分の弱点となる部分を包み隠さず話している。いや、本当にそうなのかは定かでないが、今は信じておこうと舞夜は思う。

 彼女はスーツの内ポケットから名刺を取り出して、舞夜に渡す。

『異能力研究機関 第一研究室室長 鎖上凛子さがみりんこ』、と長たらしい漢字の列だなと思うと同時に聞いたこともない研究機関の名前。

 名刺をもらってもやはりピンとこない舞夜に向けて、詳しい説明の為、これから時間はあるかと凛子は問うてきた。

「私これからカラオケ行くんですよね。その話って明日とかでもいいですか?」

「別に構わないわ。なら、明日の放課後は時間を作ってもらえる? 私が迎えに来るから」


「舞夜、ほっぺた擦りむいてるけど、何してたの?」

「ああ、ゴミ捨ての時に転んじゃったの」

 先程、凛子の能力によって地面に抑えられた時に小さな擦り傷がたくさんできていたが、そのまま言ってもどうせ信じてはもらえないので、嘘をつく。

「気をつけなよ。今日は思いっきり歌うからね!」

 上機嫌な佳苗とゆっくり歩んでいる舞夜の姿を遠くから見つめる者がいた。

 鎖上でも、彼女達の知り合いでもないが、それはいずれ出会う『運命』に選ばれた一人であった。

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