第17話
慶凛大学の先頭バッターは鳴滝だ。投球練習も終わり審判が早くしろと促しているが鳴滝は聞く耳を持たずさきほどからフットガードとエルボーガードの装着に時間をかけている。
ファーストで苛立つりかこを尻目にゆっくりと歩いてバッターボックスの手前でバットを振る。明らかな遅延行為だ。左バッターボックスに入るとバットを肩に乗せて構えた。久留美を挑発しているつもりなのか、まったく構えに覇気がない。
初球は打ちにいかないそう意思表示をしているようだ。真咲は立ち上がり外野に下がれと指示を出し座った。初球は打ち合わせ通りインコース膝元。臆せず腕を振って投げろと股下で腕をしならせるジャスチャーで久留美に伝える。
木製バットの乾いた音が久留美の鼓膜を震わせ、打球は頭上をはるか高く飛んでいく。
「センター!!」
真咲の声で振り返ると詩音の背中が見えた。フェンスまでの距離が近づく視界がだんだん暗くなって心臓の鼓動が早くなるのが分かった。
入るな。
久留美はグッと目を閉じて祈る。
アウト!
二塁審判のコールで目を開ける。視界に映ったのは大飛球をキャッチした詩音がグラブを高らかに上げている姿だ。あと数メートルでフェンスオーバーだった。マウンド上で胸をなでおろす久留美の前を鳴滝が横切る。
「思ったより速くてその分詰まって上がりすぎちゃった。残念~」
独り言にしては不自然なくらい大きな声でそうつぶやくと不敵な笑みを浮かべた。真咲が外野を定位置のまま動かさなかったら十分に長打になっていた。
もしジェスチャーをしなかったら初球は打ちにこないという自分の驕りで力を抑えていたかもしれない。
まさに紙一重。
真咲は審判にタイムをとるとにこにこしながらマウンドに走ってくる。
「あぶなかったね~」
「すいません。力みました」
「いや。気持ちの入ったいい球だった。結果的にアウトになったんだからいいよ。それより切り替えて次のバッターも手ごわいから」
「はい」
アウトにはなったが今の一発で盛り上がる慶凛ベンチ。いつでも打てるという雰囲気を漂わせじわじわとプレッシャーを与えてくる。
「咲坂。びびるな」
りかこのドスのきいた低い声に私は一度プレートを外してファーストに身体を向けた。
「三振とるだけがピッチャーじゃない。困ったら打たせなさい。ひとりでやってんじゃないのよ」
「りかこさん」
久留美はバッターを背に向け周りを見渡した。
「久留美ちゃーん。セカンドに打たせていこう」「ドンナダキュウデモサバクヨー」
「センターに打たせろ~。今季はベストナイン狙ってんだからさぁ」
一度、深呼吸して再びバッターを見た。さっきまでの不安が消えて肩が軽くなったのを感じる。
五番バッターが打席に入った。審判の腕が上がる。
私はいつもより大きく振りかぶった。
ストライクバッターアウト。
二回の慶凛大学の攻撃を三人で抑えると裏の攻撃は四番の真咲からだ。マスコット
バットを二、三回振るとネクストサークルでピッチャーを観察している。真咲が打席に入ると慶凛大の守備陣は慌しくなる。
慶凜大キャプテンでありキャッチャーの大宮は何度も守備位置の確認をとり外野手は数メートルほど後ろに下がった。心なしか鳴滝の表情が固く見える。
「相手は真咲さんをずいぶん警戒していますね」
「それはそうでしょう。真咲さんは鳴滝キラーだからね」
「鳴滝キラー?」
久留美のつぶやきに美雨が答える。
「このリーグの四番打者で鳴滝は唯一真咲さんから三振を奪えてないどころか打ち込まれている」
鳴滝はサインの交換を終えると、キャッチャーの構えたミットはインコースだった。初球は真咲の胸元をえぐるが一歩もひかない死球を恐れずに踏み出した。ワンボールから続く二球目はシンカーこれも胸元に近いボールだった。
三球目もインコースでギリギリのストライクになった。ワン・ツーからの四球目イン攻めから一転して外のコースを攻める。真咲はそのストレートを左手一本で逆らわずに右へ打ち返し、セカンドの頭を越えて技ありのヒットを放つ。悠々一塁に到達するとすかさず五番のりかこにサインを出す。鳴滝は真咲を必要にけん制すると急に苛立ってきた。その要因はりかこにある。バットのヘッドをピッチャーに向けて挑発する二人とも負けん気が強い性格だから十八メートルと少しの距離で火花が散っているのが見える。
「危ない」
思わず叫んでしまった。鳴滝が投じた第一投がりかこの顔付近を通ったのだ。尻餅をついて睨むりかこさんと知らん顔で謝りもしない鳴滝。一触即発の雰囲気に乱闘になったらどうしようと久留美は手に汗を握っていた。
「くるみ大丈夫だよ、乱闘にはならないから」
この状況を楽しんでいる詩音が心配そうな顔をしていった。
「そうですか。りかこさんそのままマウンドに走っていきそうで怖いです」
そういうとベンチにいた先輩たちが一斉に笑い出した。きょとんとしている久留美に詩音は説明する。
「これも作戦の内だからね、でもくるみはりかこにどんな偏見持ってんのよ。ウケル~」
意味も分からずグラウンドに目線を戻すと鳴滝がセットポジションから一度首でファーストを見て足を上げた。その瞬間、一塁ランナーの真咲がスタートを切った。
「走ったぁ!!」
慶凛大の内野陣が一斉に声を上げる。エンドラン。バッターがボールを見送り気がないと察した慶凛大ナインは考えるより早く身体に信号を送る。その声に反応した鳴滝は咄嗟に高めのボールを投げた。
フライを打たせダブルプレーを狙うバッテリー。りかこはテイクバックをいつもよりバットを高く上げることで打つゾーンを広げそして思いっきり叩きつけた。
鈍い音が鳴り、ボールは偶然にもホームベースにあたり、空高く跳ね上がる。打球はファースト方向にバウンドして前進したファーストがボールをとった時鳴滝はベースカバーに走っていた。りかことの競争になる。りかこは一塁に向かって懸命に走る。
それを見て焦ったファーストの送球が高めに浮いた。
鳴滝はベースとの距離を一瞬確かめ、走りながらジャンプして捕るとその勢いそのままにりかこの体にタッチに行く。
二人は一塁ベース上で激しく交錯する。
アウト!
「みかこ! サードだ!」
振り返ってサードを見るが真咲はちょうど三塁ベースにスライディングをしていた。誰もが二人のプレーに気をとられているうちに先の塁を貪欲に狙った好走塁だ。
「くそ、早乙女の奴チビのくせにああいうところがむかつく」
「ふんっ、あなたのそう言うところがダメなんじゃないの」
「りかこ、まだいたのあんたに興味ないからさっさと消えて」
鳴滝はりかこを一度睨むとすぐにマウンドに戻って呼吸を整える。慶凛大のベンチから伝令が出てきて監督の意思を伝える。内野はマウンドに集まり作戦を練っていた。
相手もわかっているのだ。この場面が試合の勝敗を左右するターニングポイントになることを。
「雅、あんた私が身体張って作ったチャンス生かしなさいよ」
チャンスに興奮しきったりかこの激が入る。雅はネクストでインコース低目を打つような素振りをゆっくりと連続で振ってゴルフのフィッ二ッシュのようにバットを身体に巻きつけた。バットがポンっと背中にあたる大きなフォロースイング。
「うるさい、誰がなんといおうと私はホームランしか狙ってないから」
バッターボックスに入った雅の頭にはたぶんレフトスタンドしかないだろう。しかしこの場面、雅ほど頼りになるバッターはいない。久留美はあの人のスイングが一番怖いと感じていた。光栄大きってのプルヒッターでチームメイトからミスフルスイングと称えられている。
バッターボックスで想いっきりのいい豪快な雅のスイングは野球を知っている者なら誰もが魅了される。
ワンアウトランナー三塁。慶凛大は前進守備を敷いた。外野は定位置のままだから、犠牲フライは仕方ないが内野ゴロはホームで殺すつもりだろう。先制されたくないバッテリーは当然低め中心の組み立てをしてくる。
鳴滝はスクイズを警戒して一度サードにけん制を入れたがこの場面でスクイズなどする気は毛頭なかった。真咲は雅にサインも出さずに好きなように打てといわんばかりにレフトスタンドを指差す。実際は外野にはラッキーゾーンがあってスタンドまで打たなくてもフェンスを越えればホームランになるのだが、雅にはラッキーゾーンなど眼中にない。鳴滝は十分に間をとって第一球を投げた。
「えっ」
まるで交通事故のような音がして皆一同に空を見上げた。白球はグゥーンと伸びてレフトの頭上をものすごいスピードで越えた。
「ファール」
三塁審判がコールする。ボールはわずかにポールの外を通過してラッキーゾーンのフェンスの奥のフェンスに直撃した。私ははじめてボールをあそこまで飛ばす女子選手を見た。
その直後、口が半開きで素っ頓狂な顔をしていたに違いない。球場は異様な空気に包まれていた。鳴滝が投げたボールはインコース低めの膝元厳しいコースだった。無難にアウトコースに投げなかったのはこの場面でも強気な彼女のポリシーか、しかし無理に打ちにいけば木製のバットを折られボテボテのゴロになるコースだ。
「さ、三振前のまぐれあたりだよ、みかこ切り替えて」
慶凛大ナインの呼びかけに鳴滝も我に返り返事をするがその表情は硬かった。雅は悔しそうな顔もしないで平然とバッターボックスに返ってきた。打ち直しといわんばかりの顔をしてサインが決まらないバッテリーを急かしている。
「すごい」
久留美がようやく口を開くとあんこが興奮したように腕を掴んできて、やばい、やばいと連呼していた。
「久留美ちゃん。やばいあのあたりはやばい、ほんとに・・・・・・やばい」
一年生二人の興奮ぶりは先輩たちの笑いを誘う。
「なに興奮してんのよ。あのくらいは雅なら打つわよ」
りかこがそう言って二人を諭したがその顔にジェラシーを感じた。もしかしてちょっと悔しがってる?
「そもそも雅は守備練やんないし走塁なんかへたくそだし一日中バット振ってんのよ。あのくらい打ってくれないと困るわ」
「りかこさん悔しがってます?」
「あっ(怒)」
あんこ頼むから余計なこと言わないで欲しい。
あんこの天然りかこいじりもすっかり板についてきたが今はそんなことは置いといて試合に戻ろう。
カウントはワンストライク。ツーボールだ。大ファールを打たれた鳴滝はその後の二球ともアウトコースに投げて慎重に攻めていた。二球ともきわどいコースだが雅はピクリとも反応しない。
まるでそんなところ打ってもホームランにはならないと言わんばかりに見送っていた。鳴滝の性格的にもう一球インコースを攻めてくる。そして攻めるならこのカウントだと久留美は思った。
誰だってスリーボールにはしたくない。ピッチャーはヒットを打たれるよりフォアーボールを出したくないその考えは誰でも持っている。四球目キャッチャーがアウトコースから鳴滝が投げた瞬間インコースに移動した。
インコース低めに鋭く切り込む高速シンカーだ。スピードもコースもなによりエグイほど変化して曲がったというより折れたという表現に近かった。普通のバッターならまず打てない。いやあたらないだろう。バッターの視界から消えるくらいの変化だ。
それをなんと雅はうまく身体を開いて打ち返した。
バットにあたった瞬間、みんなはベンチから立ち上がって(二度目)いた。雅は完璧に行ったと確信した様子で一塁に走りもせずにベンチに背を向けたままバットを放り投げて自分の打球の行方をじっと見たあとゆっくりと歩き始める。
審判がホームランと腕を回してジェスチャーした。
鳴滝は左中間フェンス最深部のさらに奥を見上げて呆然と立ち尽くしている。
「ナイスバッティング」
雅はゆっくりとベースを回るとホームで待っていた真咲とバトンタッチを交わしベンチに帰ってきた。手痛い祝福もそこそこに光栄大のベンチはお祭り騒ぎだ。
「ナイスバッティング。やっぱ飛距離が違うね」
「見てて気持ちわ~ 雅のスイングは」
「みかこ、ざま~みなさい」
口々に賞賛する光栄ナインを尻目に雅はスポーツドリンクを飲んでベンチに座った。その振る舞いに久留美は思わず見入ってしまう。気を取り直した鳴滝はすぐに七番の眞子と八番の久留美を三振にとると苛立ちを隠せず吠えながらベンチに戻っていく。
「久留美どうした、さっきから私の顔になんかついてる?」
雅を見過ぎたのを反省して思い切って聞いてみた。
「あの、狙ってたんですか?」
「なにを?」
「あのシンカーです」
ああと素っ気無くいうと雅は無気力に言った。
「いろいろ考えるのもしょうがないから打てそうな球を打っただけ」
「普通そんな心構えじゃ打てないですよ。あの球は」
という久留美の反論をきく前に雅はレフトの守備位置に走って行った。
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