第6話


「良い一番バッターの条件ってなんだと思う」

 詩音さんが練習後の整備の時間に尋ねたことを思い出す。

「やっぱりピッチャーの球種を見て、球数投げさせることですかね?」

「なるほどね。あんこはどう思う?」

 二人の話を立ち聞きしていたあんこは、待ってましたと近づいてくる。

「私は、絶対出塁。ボールを見極めてファーボール。走って走って相手をかく乱です」

 詩音さんは、首を縦に動かしている。

「二人の考えはよおく分かった。一番バッターに大切なことをよく理解している」

 トンボを肩に担いで詩音さんは、ベンチに向かって歩き出す。私たちも後をついて行く。

「私が思う良い一番バッターの条件はね・・・・・・ずばりプレーボール直後の初球を迷いなく打つこと」

そう言って勢いよく振り向くからトンボの先があやうく顔面に当たりかけた。危ない、危ない。

「なんかもったいない気がするな。だって打ち損じたら一球でアウトですよ」

 あんこが首をかしげながら指摘すると詩音さんは、待ってましたと言わんばかりに笑った。まるでおもちゃが欲しくてだだをこねていた子供に親がとうとう心折れて「分かった。買ったげる」と言ったときにさっきまでのことが何にもなかったかのように元気になる。そんな笑顔だった。その屈託のない笑顔のまま私を見て言った。

「く~る~みちゃ~んに質問です。ピッチャーは、プレイボール直後の先頭バッターに初球の入りはどう意識しますか?」

「そうですね。プレイボールに関らず先頭バッターには、必要以上に意識します。投球はリズムが大事ですから、ストライク先行でなるべくカウントを悪くしたくないですね。打たれることより、ファーボールでランナーに出したくないので初球は自信のあるボールで確実にストライクをとりに・・・・・・あっ」

「あっ」

 私とあんこは、お互いに目を合わせた。詩音さんは、「気がついたかい」と私たちに言って肩に乗せたトンボを下ろした。

「そう。実はそこが盲点。バッターにとって最初のウィークポイントはまさに初球。ピッチャーは、ストライクを取って早く楽になりたいからね。私はそこを狙う。そうだ面白い話をしてあげる」

「面白い話?」

 ここにきてあんこの食いつきが凄い。この向上心の塊は貪欲に自分にない人の感覚をスポンジのように吸収しようと目を輝かせる。

「日本人メジャーリーガーのイチロー選手が、なぜ一五〇キロを超えるまして一四〇キロ近い変化球を投げるピッチャーの球を年間二百本もヒットできると思う?」

「足が速いから、内野安打が多いとかですか?」

 私は、なんとなくそう答えた。詩音さんは、「それもあるが私の見解だと少し違う」と田村正和の東京ガスのCMを真似るかのように人差し指を立てる。まさにガスだね。

「イチロー選手は、ファーボールが少ない。なぜならストライクゾーンにくる甘いボールを積極的に打っているからなんだ」

「なるほど。甘い球がくる確率が高いのが初球というわけですね。さすが詩音さん経済学部で統計学を専攻してるだけありますね」

 あんこの大げさなリアクションに詩音さんは、頬を赤らめる。

「じゃあ好球必打ならぬ甘球必打かんきゅうひつだですね」

「いいね久留美ちゃん。それすごくいい表現だよ。さっそくラインの一言にするとしよう」



 詩音さんは、ゆらゆらと体を前後に揺らしタイミングとる。港経大のピッチャー西口は右のスリークォーター。その初球の入りは・・・・・・。緩い変化球。詩音さんは、右足を一度左足の近くにステップして再度踏み込んだ。足を高く上げないアベレージヒッターに多いすり足タイプの打ち方だ。

 カキン。

 打球は、一二塁間を切り裂く。ライト前ヒットだ。浅いオーバーランから一塁ベース上に立つとしたり顔でピースサイン。ベンチは、拍手喝さいの大盛り上がり最高の口火を切った。

「師匠が作ったこの流れものにしちゃうよ~」

 あんこが大学初の打席に向かう。

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