第35話 兄妹の対面
「いやあ、驚いたよ。こんなに綺麗に成長しているとはね」
ブライアンは優しげな声音でエレノアに話しかけてくる。警戒しながらも、エレノアはブライアンに笑顔を向けた。
「私こそ、驚きましたわ。ブライアンお兄様、いつの間にこのような方たちとお付き合いを始めていたの?」
【新月の徒】が、ブライアンの部下のような顔をして周囲を囲んでいる。拘束されてはいないものの、エレノアに逃げ道はなさそうだった。
ブライアンの後ろについて、エレノアは〈鉄の城〉内部に足を踏み入れる。結局、テッドは第一皇子ブライアンの前で剣を抜くことはできなかった。テッドはまだ、門の外にいる。閉ざされていく門の隙間で見えた彼の表情は、悔しげに燃えていた。
華美な装飾などない、堅実な城。
そして、人々に威圧感を与える城でもある。レミーア教会とは大違いだ。教会に共に行ったジルフォードのことを思い出し、エレノアの胸は痛む。
彼も今、この城のどこかにいるのだ。すぐにでもジルフォードの元へ走り出したい衝動を無理矢理落ち着け、エレノアはブライアンに問う。
【新月の徒】との関わりを直接的に追及すれば、ブライアンはわざとらしく肩をすくめた。
「嫌だなぁ。これでも僕、人質なんだけど?」
「とてもそうは見えませんわ」
「まあまあ、感動の兄妹の初対面じゃないか。ゆっくり食事でもしながら会話を楽しもう」
とても食事を楽しむ気分になどなれそうにないのだが、エレノアが誘導された場所は皇族用の大きな朝食室だった。
それも、血生臭い、最低の朝食室だ。
「……酷い」
部屋の中心には、長方形のテーブルがあった。そして、白いテーブルクロスの上には、人質となった使用人や捕らえられた騎士たちが数十人、血まみれで倒れていた。意識はないが、全員に息があることだけが救いだった。
エレノアは言葉を失ったが、ブライアンは楽しそうに微笑んでいる。先程までエレノアに見せていた作り物ではなく、本物の冷たい笑顔で。
「可愛い妹を迎えるには最高のシチュエーションだと思わないか?」
エレノアは、そんなブライアンを完全に無視して、テーブルに横たわる彼らに近寄った。自分の着ていたドレスの裾を破り、傷が深そうな中年の騎士の止血をする。帝国軍【黄金】の騎士服を着ているその騎士は、一瞬目を開いてエレノアを視認すると、彼は謝罪の言葉を口にした。そして、皇帝カルロスの名を呟いて意識を失った。右目が塞がった、赤紫の髪を持つ男。その特徴で、エレノアは気づく。
「あなたが、帝国軍指揮官のホルワイズ……」
エレノアを必死になって探していたであろう人物だ。それが、こういう形で会うことになろうとは。ホルワイズの息は弱まっている。皇帝の右腕ともいわれる人物が弱っているのは、エレノアにとって良いことなのか悪いことなのか、今は判断できない。
ただ、誰にも死んでほしくない。
だから、十分な治療はできなくても、この場で動けるのがエレノアだけなら、できる限りのことをしたい。
「大丈夫ですか?」
エレノアが怪我をしている人質の手当をしているのを、ブライアンはつまらなそうに見つめている。
どんどんドレスの生地がなくなり、ドレスの裾が膝上になった頃、ブライアンがパチパチと手を叩き始めた。
「我が妹ながら、本当に見事だね。弱者の味方という訳かな。宝石のように美しい容姿を持って生まれながら、心まで美しいとは……エレノアは女神様か何かかな」
「ふざけないで! こんなことをして、あなたは何がしたいの?」
もう、笑顔など作ってはいられなかった。エレノアは憤る心のままに叫んでいた。同じ血を分けているとは思えないほどに、ブライアンとエレノアは価値観が違う。共に育っていないから当然かもしれないが、エレノアは本気でブライアンが理解できない。
「この僕に意見をするなんて、妹だとしても許せないな。やっぱり、実際会ってみても僕の考えは変わらない……エレノア、君には最高の苦しみを与えて殺してあげる」
うっとりとするような美貌で、ブライアンは人を絶望に導く言葉を吐いた。しかし、エレノアは初対面の兄の言葉に脅えるような女ではない。何せ、皇帝カルロスの娘で、“悪魔の花嫁”である。それに、今は愛する人のために強くあろうとしている。
「残念ね。私に苦しみを与えられるのは、ブライアンお兄様ではないわ」
エレノアを本当に苦しめ、絶望させることができるのは、ただ一人。愛する人、ジルフォードだけだ。だから、皇帝カルロスを人質にとっている【新月の徒】のところへ行ったジルフォードを探しに行かなければならない。彼に何かあったらと思うと、エレノアの心は恐怖に震える。
「あぁ、知っているよ。だからこそ、こんな手の込んだ真似をしたんじゃないか」
ブライアンは余裕の笑みを浮かべている。それも、かなり楽しそうだ。
「やはり、死ぬ時は死神に見送って欲しいだろう?」
「どういう、こと……?」
まさか、ジルフォードの存在はブライアンの知るところにあるのか。『死神』という言葉が出ただけで、エレノアは動揺してしまう。冷静な判断をしなければ、と思うのに飛び出た言葉は戻すことができない。もう、ブライアンは確信していた。エレノアの心を占める人物が死神と呼ばれたある人だということに。
「ジルフォード=エル=クライシス。かつて帝国軍【白銀】で隊長を務め、〈蒼き死神〉と呼ばれた男。腕は確かだったようだが、結局は父上を裏切って帝国軍を追放処分された裏切り者だな」
何故、ブライアンがジルフォードとエレノアに関わりがあることを知っているのだろうか。ブライアンの態度からして、エレノアがジルフォードに恋をしていることも知っているようだ。
(まさか、テッド様が……?)
違うと思いたいが、帝国軍の関係者でエレノアがジルフォードを好きだと知っているのはテッドしかいない。しかし、彼も【新月の徒】が〈鉄の城〉を占拠したことに本気で驚いていた。あれは演技だったのだろうか。
そこまで考えて、エレノアは分からないことをあれこれ考えるのをやめた。エレノアには、普通の人にはない力がある。自分の憶測で考えるよりも、記憶を覗いた方が簡単だ。しかし、その間触れている対象が動かなければの話である。
(少し、一瞬でもいいから覗けたら……)
ブライアンが大人しくエレノアに触れられているはずがない。周囲に控えている【新月の徒】や騎士も黙ってはいないだろう。だから、勝負は一回だけだ。その一回で、情報を得なければならない。
「そこまで御存知なのですね」
エレノアは絶望し、よろけたふりをしてブライアンの足元に倒れる。そして、ブライアンの磨き上げられた革のブーツに触れた。
しかし、そのブーツはすぐにエレノアの手を踏みつけた。
「僕に気安く触れるな」
体重をかけて踏みつけられ、エレノアは痛みに顔をしかめる。それでも、ブライアンに触れることができている。エレノアは痛みを堪えながら、兄の記憶を覗いた。
――父上はどうして認めてくださらないのかな。僕はこんなに優秀なのに。
ブライアンは、自身の有能さを示すことに必死になっているようだった。そして、ブライアンが目をかけている騎士たち数人を呼び出し、あることを命じる。ブライアンは自分の野望を叶えるために、策略を巡らせ始めたのだ。
――父上を超えれば、僕は認められるだろう。そのためには、父上のすべてを奪わなければならない。
その決意の下で、ブライアンは【新月の徒】のリーダーと接触していた。皇帝暗殺計画には、エレノアの死も含まれていた。しかし何故、【新月の徒】はブライアンに協力しているのだろうか。それについても探りたいが、エレノアの望む記憶ばかりを見れる訳ではない。
――ブライアン、どこに行っていたの?
身体の線が細く、美しい容貌の女性がブライアンを抱きしめる。母上、というブライアンの言葉で、エレノアは目の前の女性が母ジャンナであると知った。そして、ブライアンが心に抱く秘めた想いも。
――【新月の徒】が捕まったそうだな。当然、自白内容は聞き出したんだろうな。
ブライアンは【青銅】の騎士をなぐり殺した後、返り血を拭いながら問う。
ブライアンが尋ねた騎士を見て、エレノアはすべてが繋がった気がした。ブライアンに答えている騎士は、ジルフォードを【新月の徒】に勧誘していた男だったのだ。
さらに記憶を覗こうしたが、エレノアの意識は強制的に現実に戻される。
「何をしている?」
がっとおもいきり髪を掴まれ、顔を上げさせられた。おそろしく冷たい双眸が、エレノアを見下ろしている。
「……私は、大きな思い違いをしていたようです。帝国軍の騎士が裏切って【新月の徒】に入ったのかと思っていましたが、違っていたのですね。ブライアンお兄様が、【新月の徒】を利用するために、騎士を送り込んでいた……そして、私が〈鉄の城〉を抜け出し、【新月の徒】に襲われた時のことを、その騎士から聞いて、ジルフォード様のことを知ったのですね」
内心の恐怖と不安を押し殺し、エレノアは微笑んだ。
「あぁ、そうだ。箱入りの皇女は無知だと思っていたが、ただの馬鹿じゃなくて安心したよ」
「収拾屋を襲いに来なかったのは、ジルフォード様を恐れていたから……?」
「はっ。この僕がわざわざお前を迎えに行くために自分の騎士を使うとでも?」
鼻で笑うと、ブライアンはエレノアを突き飛ばした。
「僕がどれだけ優秀なのか、可愛い妹に教えてあげよう。お前の言う通り、僕は【新月の徒】に騎士をもぐりこませていた。それだけじゃない、皇帝を殺せという意識を植え付けていった。そんな時、お前が城を抜け出した。二人まとめて殺すにはいい機会だろう。だが、お前の側には〈蒼き死神〉がいた。なら、〈蒼き死神〉とお前を引き離せばいい。だから僕は【青銅】の騎士を拷問して殺し、〈蒼き死神〉と親しかったテッドに対し、皇女殺しを躊躇わないというプレッシャーを与えた」
テッドがエレノアを迎えに来たことも、ブライアンの思惑通りだったという訳だ。ジルフォードのことを調べた時点で、ブライアンの計画は本格的に動き出したのだろう。
【新月の徒】に自分の部下を潜り込ませたのは、皇帝を暗殺させ、自らが皇帝となるため。
皇帝に直接手を下すのは【新月の徒】であって、皇太子ブライアンではない。皇帝暗殺実行犯である【新月の徒】を捕えれば、ブライアンは皇帝を暗殺した賊を捕えた英雄になれるだろう。自分の手は汚さずに、皇帝の座が手に入る。
「まあ、まさか皇女ともあろう者が死神に恋をしているとは思わなかったがね」
馬鹿にしたように、ブライアンはふっと笑う。
「そして、【新月の徒】に城を占拠させ、人質をとり、お前を要求させた。【新月の徒】は元々〈蒼き死神〉に興味を持っていたらしいから、これもまたお前を利用させてもらった。〈蒼き死神〉は自分の懐に入れた人間を見捨てない。だから、お前を強制的に連れて来れば〈蒼き死神〉も必ずここまで来る……という僕の読みは当たっていたな」
すべてが思い通りに進んでいるからか、ブライアンはかなり饒舌だ。
エレノアたちは、ブライアンの手の上でまんまと踊らされていた。しかし今、そのことを悔しがっている暇はない。
(ジルフォード様……!)
【新月の徒】が〈蒼き死神〉に興味を持ったのは、ジルフォードが仲間を捕まえていたからだろうか。そうなれば、【新月の徒】の目的はジルフォードへの復讐かもしれない。
ブライアンの目的は、エレノアに絶望を与えて殺すことだ。だから今の時点でジルフォードを殺す命令は出していないだろう。しかし、【新月の徒】にジルフォードを生かしておく理由はない。
「ジルフォード様は今どこにいるの?」
素直にブライアンが教えてくれる訳がない。それでも、問わずにはいられなかった。
死神と呼ばれるほど強かった彼が、簡単に捕まるはずがない。エレノアは、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「さあな。だが、お前が死ぬ時には会えるだろう」
ブライアンはそう言って、エレノアに背を向けた。
「もし逃げようとしたら、ここにいる人間を一人ずつ殺せ」
エレノアに聞こえるよう控えていた騎士に命じ、ブライアンは食堂を出て行った。
まだ、終わりではない。彼の記憶を覗いたエレノアには分かる。
父である皇帝からすべてを奪うブライアンの計画は、これからが本番だ。
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