第16話 浮上する疑問

 エレノアの話を聞いて、ジルフォードは険しい顔になる。

 【新月の徒】は、自分たちの力を誇示するために強盗や人身売買、麻薬、あらゆる悪事に手を出してきた。しかし、それは裏の世界だけで皇帝に近づこうとはしなかった。皇帝カルロスが戦争をすればするほど、国民は貧困に陥り、悪事に手を染める者も出てくる。恐怖政治の下で、神を信じない者も。

 そうなれば、【新月の徒】に入り、甘い汁をすすりたいと思う者も増えてくる。

 つまり、皇帝カルロスが冷酷非道な人間であるからこそ、【新月の徒】の構成人数は増えていくのだ。ジルフォードでも、一体どれくらいの人数が【新月の徒】にいるのかは把握できていない。しかし、このカザーリオ帝国内の全土で【新月の徒】は暗躍していると聞く。

 国内の安定に力を注がず、領土拡大を進めているカルロスにとって、【新月の徒】は放置していても問題ない存在だった。だからこそ、彼らも裏社会で生きることができていた。

 その皇帝カルロスの住まう〈鉄の城〉に手を出すということは、皇帝に直接喧嘩を売ることだ。皇帝に刃向えば、間違いなく潰される。今は皇帝の気まぐれで放置されているに過ぎないのだ。【新月の徒】も、それが分からないほど馬鹿ではないだろう。

 それなのに何故、あえて危険を冒すのか。

 〈鉄の城〉の情報を得て、何をするつもりなのか。

 【新月の徒】の目的は何なのか。

 疑問が次から次へと湧いてくる。そして、その答えを知るためにはファーマスを見つけなければならない。


「ファーマスが本当に皇帝の密偵なのだとすれば、〈鉄の城〉から情報を得るようなことはしないはずだ。密偵が城に入るのは、その任務を終え、皇帝に報告をする時だけだ。それに、皇帝が認めた密偵ならば、【新月の徒】に情報を渡すようなヘマはしない。たとえ恋人のためだとしてもな」

「それなら、ファーマスさんは今どこで何を……?」

 ジルフォードの目の前で、エレノアが不安そうな顔をする。だから、ジルフォードはエレノアを安心させるためにできるだけ優しく言った。

「さあな。だが、手がかりはある。エレノアのおかげだ」

「ジルフォード様……本当に、信じてくださるのですね」

 嬉しい、とエレノアは言葉を漏らした。

 エレノアの潤んだルビーの瞳は、ジルフォードの庇護欲をかき立てる。一度見つめてしまえば、自分の意志では目を逸らすこともできないほどに、その容姿に見惚れてしまう。滑らかな白い肌、ほのかに色づいた形の良い唇、林檎のように赤く染まった頬、大きなルビーの瞳、輝きを放つピンクパールの髪。そのすべてに、触れたいと思わずにはいられない。

 宝石と揶揄される彼女は、その美しさで人を惹きつける。

(これは、危ないな……)

 閉じ込められていた理由が、今なら分かる気がする。理性さえも簡単に崩壊させる美貌を、甘い色香を、エレノアは無意識に放っている。自分を守る術を知らない彼女が一人で街を歩いていれば、【新月の徒】でなくとも襲ってしまうだろう。精神を鍛えているジルフォードでさえ、時々こうしてエレノアに囚われてしまうのだ。普通の男が耐えられるはずがない。

 皇帝カルロスなりに、エレノアを守っていたのだろうか。

 ふと、そんなことを思う。あの心を凍りつかせた皇帝に、まだそんな人間らしい部分が残っているとすれば、の話だが。


「ジル、本気かよ! こいつの言うこと信じるのか? もしかしたら、【新月の徒】の仲間かも……」

 ロイスの言葉で、エレノアの不安そうな瞳がまた揺れる。エレノアは、ファーマスたちがこの部屋にいた場面を、まるで見たかのように話していた。その場にいなかったエレノアが、知るはずのないことを。

 ロイスの言う通り、ジルフォードだって信じられない。しかし、エレノアが嘘をついているようには見えなかったのだ。これは、ただの勘。エレノアの言葉は真実だ。

 〈鉄の城〉で隠されていた理由は伏せられていたが、エレノア自身に何かがあるのは間違いない。その何かに関係した特別な力だとすれば、エレノアの言葉を疑う気にはなれなかった。

 しかし、ロイスが会ったばかりのエレノアを信じられない気持ちも分かる。

「俺は信じる。ロイスも信じるだろ?」

 そう言えば、ロイスはむむぅっと口を噤む。ロイスは、ジルフォードを慕ってくれている。ジルフォードが、ロイスの居場所となったから。

「ずりぃぞ、そんな言い方っ!」

 顔を赤くして、ロイスが抗議する。

 しかし、もう何を言っても無駄だと悟ったらしく、ロイスはすぐに頭を切り替え、ジルフォードに向き直る。

「取引場所の墓地、どこだと思う?」

 グーゼフの町に墓地は二つある。墓地を整備するお金がなく、宗教もバラバラの者たちが弔われる共同墓地と、レミーア教会裏手にあるきっちり整備された墓地。

「普通に考えれば、共同墓地だろうな」

 【新月の徒】の掲げる志は、神の力を頼らず、人間の力だけで生きていくことだ。個人主義と能力主義が彼らの信念の内にある。そんな彼らが、レミーア神を崇める教会に行くとは思えない。

 しかし、共同墓地は手入れがされていないため、浮浪者たちが大勢いる。人目を避けるならば、レミーア教会の墓地は選ばない。

「レミーア教会と共同墓地はかなり距離があるな。予想が外れてたら、二人が危険だ」

 ロイスが真剣な顔で言った。それに頷いて、ジルフォードも作戦を考える。

 二手に分かれることができればいいが、そうもいかない。【新月の徒】がどれだけの人数を取引に連れて来るかが分からないのだ。この町に、ジルフォードのように戦える人間はあまりいない。

 それに、【黄金】の騎士がエレノアを探して巡回している。下手なことをすれば、エレノアが連れ戻されるだろう。本人の意思で戻りたいと思うのなら止めないが、エレノアは騎士相手に脅えていた。どれだけ時間を稼げるかは分からないが、ジルフォードは可能な限りエレノアを匿いたいと思っている。

 ジルフォードが考えていると、エレノアが控えめに口を開いた。

「あの、今から二つの墓地に行ってみるというのはどうでしょう? 私なら、何か分かるかもしれません」

 エレノアの顔は真剣だった。彼女も、本気で二人を助けたい、と思っている。

 しかし、騎士が巡回している中で連れ回すのは危険だ。ジルフォード一人で、どれだけエレノアを守れるか分からない。

 それに、エレノアは足を怪我している。杖を使っているとはいえ、負担はかかる。

 それでも、エレノアの情報が有力なのは確かだ。

 どうすべきか考え込むジルフォードに、エレノアが言葉を重ねる。

「ジルフォード様、私のことは心配いりませんわ。今は、お二人のことを考えましょう。きっと今頃、キャメロンさんは怖い思いをしています。助けられるのは、ジルフォード様だけですわ」

 エレノアは、ジルフォードの手をそっと握って、後押しをするように微笑む。

 つい先日会ったばかりなのに、エレノアはジルフォードに絶対の信頼を寄せている。自分を信じ切った瞳が、胸を熱くする。その信頼に応えたいと思わせる。

「ありがとう。エレノアの力を貸してくれ」

 観念してジルフォードが言うと、エレノアは嬉しそうに頷いた。その様子を、ロイスが面白くなさそうな顔で見ていた。

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