7話 頂点を率いる男
カラマリ領とハクハ領へと続く平原を分断するようにして、ひび割れた巨大な裂け目。
そこには川が流れているのだろうか、微かに水の音が聞こえてくる。
崖の上に立ち、流れる川を視線で追うと、渓谷の裂け目が、まるで一匹の神聖な龍のようだ。なるほど――だから、『ワリュウの渓谷』と呼ばれているわけか。
全く、粋な名称だぜ。
そんなわけで戦が行われる場所にやってきた俺は、森の茂みの中から戦いを見物させてもらうことにした。戦場に来ても、俺に出来ることはないしな。
だが、意外なことに、クロタカさんも俺と同じく、生い茂る木陰に隠れていた。
……おかしいな。
クロタカさんのことだから、戦場についた瞬間に、
「ヒャッハー! 敵は何処だ!」
と、舌を出して喚き散らすのかと思っていたのだけど。それは俺のイメージだけだったようだ。
実際には冷静に戦況を見つめていた。
俺とクロタカさんが見つめる先には、一位のハクハ領と二位のカラマリ領の軍勢。
一本の橋を挟んで向かい合っている。
「いや、軍勢って呼べるのはカラマリだけか……」
何故ならば、橋の先にあるハクハ領あるには、一人の男が立っているだけだった。
カラマリ領側は、森林なので隠れる場所がある。しかし、橋の先にあるハクハ領は平原だった。
故に遠くまで見通せるし、人が隠れる場所もない。
まさかとは思うが、30人と指定された戦に、1人でやって来たのだろうか。
「どれだけ、ハクハ領のランキングが高くても、多数には勝てないでしょ」
一人であればさっさと数の暴力で倒してしまえばいいのに。
俺はそう思うが、カナツさんも、小さき切り込み隊長のケインも、たった一人の男を警戒して、一歩踏み出せずにいた。
優勝にもっとも近い相手だからこそ、なにか裏があるのではないか。
誰もがそう思っているに違いない。
だからと言って、このまま黙っていてもキリがないと感じたのだろう。
大将として、カナツさんが聞いた。
「まさかとは思うけど、このハンディ戦をさ、シンリが1人で戦うってわけじゃないよね?」
腰にまで届く金色の髪を一つに纏めた男は、冷酷な三白眼でカナツを捕らえると、薄く口角を吊り上げた。
その儚く危険な表情は、男が着ている吸血鬼が着ていそうなマントと良く似合っていた。
「なんだよ、その笑いは? 一人で来たくせにビビってんのか!?」
ケインが不敵に笑う相手に食ってかかる。
「……何故、そう思う? 貴様は考えないのか? お前達は、俺一人にすら勝てないと言う事実を」
「てめぇ……」
挑発したはずのケインだが、逆に挑発に乗ってしまっていた。
そんな少年を抑えるように、手を出して制するカナツさん。
「大した自信だねー」
ハクハ領の男――カナツさんはシンリと呼んでいたか。
彼が一体何者なのか。
俺は共に隠れているクロタカさんに聞いてみようと、横を見ると――、
「おわっ!」
隠れている人数が一人増えていた。意識を失っているのか、ダラリと垂れた四肢でクロタカさんに抱えられていた。
いや、増えたというか、攫われたと言った方がいい状況である。
「ちょっと、その人どうしたんですか!?」
「見て分からないかな? このハンディ戦は人数制限があるんだよ? 僕が加わったらだめじゃない。だから、この人に代わってもらったんだ」
「……なるほど」
誰もがカナツさんとハクハの男に注目した隙をついて、後ろにいた一人を気絶させて連れてきたらしい。俺の世界の誘拐犯もビックリするくらいの手際の良さだ。
まあ、誘拐犯がどんな方法で人を攫うのか、知りもしないんだけど。
ともかく、仲間が一人減っていることに気付いている人間はいないようだ。誰にも気付かれずに人ひとりを運ぶなんて、流石はクロタカさんだ。
と言うべきなのだろうけど、容赦なく仲間の意識を奪ってるという事実は変えられない。
むしろ印象は悪い。
「でも、あいつにはバレたかもね……」
クロタカさんは言う。
カラマリ領の仲間達の眼は盗めたが、たった1人――シンリだけは気付いてるかもしれないと。
「え……?」
クロタカさんが連れてきた一人は、カラマリ領の軍勢の最後尾にいた男だ。つまり、先頭でハクハ領と向き合ってるカナツさんたち主力の背後である。
故に味方に勘付かれる可能性は低かったのだが――シンリからすれば正面だ。
カナツさんたちよりは、条件がいいだろう。
しかし、だからと言って、クロタカさんがそんなミスをするとは、俺には信じられない。
現に俺も真横で起こっていた人攫いに気付けなかったわけだし、
「俺の感覚は当てにならないんだろうけどさ」
それでも俺には信じられない。
クロタカさんは、戦に関してはカラマリ領でトップクラス。その動きを多少条件が良いからと見抜けるとは思えない。
そう考えるとシンリは――クロタカさんか、それ以上の力を持っているのか。
「……あの男はなにものなんですか?」
「あいつは、シンリだよ。ハクハ領の大将……。歴代の大将達の中でもレベルが違うって言われてる――『化物』だよ」
「化物……」
その言葉をサキヒデさんやアイリさんが言ったのならば、ここまでの衝撃はなかっただろう。
だが、この言葉をクロタカさんが言った。
それが、シンリがどれだけの強さを誇っているのか物語っていた。
「レベルは84。カラマリ領からすれば、レベルは低いけど――でも、レベル以前に差がデカ過ぎる」
人が持つ身体能力の差は、生まれた時点で決まっている。
レベルを上げれば、その差を埋めることが出来るが、あくまでも埋めることができるだけ。仮に同じレベルになってしまえば、その差が埋まることはない。
だからこそ、カナツさん達は『経験値』である俺を戦場に出すのを拒んでいるのだ。
カラマリ領はフル戦力だ。戦えば大将の首は取れるのではないか。
俺の考えと同調するようにして、カナツさんが軍に発破をかける。
「ま、いつまでもここで話しててもしょうがないか。折角、大将さんが自分から首を持ってきてくれたんだ。在り難く受け取ることにしようかなぁ!」
俺を倒してカラマリ領のレベルは底上げされている。
しかも敵は1人だ。
カナツさんの鼓舞と共に、兵士たちが一直線に駆け出した。
先頭を走る兵士たちは俺は見たことがある。確か、レベルが50になったと喜んでいた熟練の兵士だ。普通の兵士が普通に戦えばレベルは40までが限界らしい。
俺達の世界で言うところの生涯年収みたいなものだ。
どれだけ足掻こうと限界はある。
だからこそ、俺(けいけんち)の存在が貴重なわけだ。
俺を使ってレベルを上げた男達が、二人揃って橋を渡る。二人並んで走るのが精一杯の橋幅だが、チームワークが取れているのか、兵士達は詰まることなくハクハ領に流れ込んでいく。
しかも、カラマリ領はそれだけじゃない。
橋の淵でサキヒデさんが弓を構えていた。
少しでも隙を作れば射抜くつもりなのだ。
眼前に迫る兵士。
弓を構える策士。
この状況なら、どう足掻いてもカラマリ領の勝利だろうと、クロタカさんに言う。
「これなら勝てるんじゃないですか?」
皆、これまでの戦いでシンリにビビリ過ぎ立ったんだよ。なんて、俺が気軽に言えるのはこれまでの戦いを知らないからなんだけどさ。
「それはないよ。シンリは勝てない戦をする男じゃないから。勝つ見込みがあるからこそ、一人で現れたんだよ」
「そうですかね……?」
この戦がどうなるのか。
俺は勝負の行方を見つめる。
シンリが迫る軍勢に対して取った行動は、静かに懐へ手を入れただけだった。刀に手を掛けるわけでもない、何をしているのかも分からない動作に、カラマリ領の誰もが警戒する。
だが――その警戒は無意味だった。
むしろ、一瞬の隙を生み――『パァン』と乾いた音が渓谷に響いた。
音に驚いた兵士たちが、橋の中央で足を止めて何が起こったのかと辺りを見渡す。
ことの異常に真っ先に気付いたのはカナツさん。
「大丈夫!? サキヒデ……!」
弓を構えていたサキヒデさんが、『音』と共に天を仰いで倒れた。
右肩から、吹き出すように、流れる血液が地面に染み込んでいく。そんな状態になっても、サキヒデ本さんは、何が起こったのか分からないようだ。
肩を抑えて目を見開く。
「うわぁぁぁぁ!」
サキヒデさんの悲鳴が――渓谷に飲み込まれた。
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