第1話 目覚め

少年は目を覚ました。いつもと同じ、他でもない自分のベッドの上で。

時刻は6時55分。外からは雨の匂いがしていた。それもそのはず、季節は蝉の声もまだ聞こえない6月の半ばであった。


「リョウ、早く起きてきなさーい!」

下の階から声がした。少年の母親の声だ。眠い目を擦って飛び起きると、床に開きっぱなしの漫画雑誌を蹴り飛ばしたことにも気づかないまま、少年はパジャマを脱ぎ捨て着替え、リビングへと降りていった。


「昨日も遅くまでゲームしてたんじゃないのか?目が赤いぞ」

テレビから流れる朝のニュースを見ながら、少年の父親は優しい口調で咎めた。しかし少年はその言葉に納得できず、口を尖らせた。

「違うってば。今日の図工で作る木工のオモチャの設計図を描いてたんだ」

「そうかい。まあ父さんもリョウくらいの時図工の時間を楽しみにしてたこともあったな。ま、絵は苦手だったから工作に限った話だけどな」


「ほらほら、二人とも。早く朝ごはん食べちゃいなさい」

少年の母親がそう言うと、少年は再び時計を確認した。

「うわっ、あと10分じゃん!このままだと班長に怒られる!」

少年は急いでご飯と味噌汁と焼き魚を口にかきこみ始めた。


「プロ野球リーグ戦第3試合、今シーズン早くも4本目の……」

「先週打ち上げに成功した日本製の新型人工衛星が……」

「昨夜大人気ロックバンドのツアー最終ライブが行われ……」


少年の父親はもう既に食事を終え、ニュースの続き、今朝のトピックスを見ていた。

「最近はなんだか穏やかだな。悪いニュースが少ないのはいいことだ。」

しかしそんなニュースも父親の呟きも少年の耳には届いていない。そもそも少年はあまり世間のニュースに興味は無い。それは少年くらいの年頃なら特段おかしなことでも無かった。


「ごちそうさまでした。じゃ、行ってきまーす!」

「いってらっしゃい、朝から忙しいな。いや、朝は忙しいのが普通か」

「ちょっと、あなたもそんな事言ってる余裕があるなら朝ごはんの片付け手伝ってください」

そう言われてテーブルの上を片付ける父親と、台所で食器を洗う母親の視線に見送られて、少年は玄関のドアを開けた。


お気に入りの青い傘をさし、家の前の道へ飛び出すと、いつもの集合場所にはもう既にみんなが集まっているのが見えた。

「おー、リョウ、今来たか。ギリギリセーフだぞ。つっても俺もさっき起きて今来たばっかだけどな」

真っ先にリョウに声を掛けたのは親友のレクだった。髪にはひどい寝癖がついており、どうやら彼の言った通り、寝起きすぐのようだった。

「今日はリョウ君が最後か……あなたたちいつもどっちかがビリだよね」

顔をしかめて説教してきたのは登校班班長のハルカだ。遅刻はしてないからセーフだよと言い張るリョウに、はいはいと呆れた顔をすると、下級生たちをまとめ、出発した。


いつもの登校班、いつもの通学路。

いつもの信号機、いつもの横断歩道。

そんないくつものいつもを越えて、辿り着いたのはいつもの学校だった。玄関でシューズに履き替え、教室のある二階へと階段を昇っていく。

いつもの5年3組。リョウはレクと共に教室に入った。

「おはよう」

「おはよ」

クラスに入ると、机にノートを開いた少年が挨拶を返した。面倒臭がりのダイキだ。

「お、なんか珍しいね。ダイちゃんが朝から自習とか」

「え?違うよ?これ昨日の宿題」 

やれやれそういうことかとレクが笑ってダイキの肩を叩いた。リョウはロッカーにランドセルを置くと、昨晩描いていた設計図を自分の机に広げた。

「リョウ君、それどうしたの?」

リョウに話し掛けてきたのは幼馴染のユウカだった。ユウカには何かと助けられることも多く、リョウが頼りにしている友達の一人でもあった。

「今日図工でやる木工のオモチャの設計図。昨日頑張って作ったんだ」

目を輝かせて設計図を見るリョウにユウカは微笑むと、

「上手くできるといいね。がんばれ」

そう言って自分の席に戻っていった。


そうしているうちにチャイムが鳴った。担任の多田先生が教室へと入ってくる。

「皆おはよう!」

「おはようございます」

「よし、今日も一日頑張ろう!それでは出席を取ります」

こうして始まる一日。いつも通りにすぎていく時間。一時間目の国語と二時間目の社会の間も、リョウは四時間目の図工の事しか頭になかった。


「リョウ、次の時間理科室だよ。早く行こう」

二時間目が終わり、リョウが設計図を見ていると、ダイキとリクがやって来た。

「おいおい、そんなに楽しみなのかよ。あと一時間だしちょっと我慢すればすぐだぜ。さ、理科室行くぞ」

それもそうだなと机から立ち上がると、リョウは二人と理科室へ向かった。と、その時、ダイキが不思議そうな顔をして口を開いた。

「ん……?二人ともなんか聞こえない?外からなんか……音が近づいてくる」

リョウ達は耳を済ました。ダイキの言う通り、音は聞こえた。多分、ヘリの音だ。しかしそれは一つや二つではないように聞こえた。

「なんだろうな。確かにこっちに近くなってる気がする」

この街でこんなに多くのヘリが飛んでいるのは初めてだ。リョウ達は少しの違和感を抱えたまま、まあ気にするほどの事でもないだろうと、理科室へと向かった。

 

しかし、その違和感は段々と明確なものになっていく。ヘリの音は一向に鳴り止まず、しかも一層五月蝿くなってきていた。

「な、なあ。なんかおかしくないか?外は雨なのにこんなはっきり聞こえるって…相当近くを飛んでるぜ」

いつも小さな事は気にしない性分のレクでさえ、この状況をおかしいと言い切った。リョウはふと音の鳴る空を見上げた。そして、思わず息を飲んだ。

 

見上げた空の色は、真っ赤だった。そう視覚が認識した時には、緑色に変わっていた。絶えず色を変え続ける空。

「お、おい。なんだよあれ……」

振り返ると、レクとダイキも口を開けたまま空を見上げていた。この状況で言い出す言葉も思い付かず、リョウ達はそこに立ち尽くした。そしてそんなサーカスの舞台のような空から、真っ黒なヘリが校庭へと着陸してきた。もちろん一つではなかった。次々に降りてくるヘリの群れは、全部で8つだった。

「な……なんだよ……なんなんだよ」

訳も分からずただ目の前に起きている事を眺める。これは、夢か?少年達の脳裏にふとそんな考えが浮かぶ。しかしそれはどうやら違うようだった。

リョウの手のひらに、少し開いた廊下の窓から、外からの雨粒が一粒落ちた。その雨粒の感触が、目の前の出来事が夢でも錯覚でもないことを表していた。

 

先頭の黒いヘリから、大柄な男が姿を現した。男は、形は軍服のような、しかし色はヘリと同じ真っ黒の衣装を身に纏っていた。

「これより、作戦を実行する。各員任務を遂行せよ」

後続のヘリの中から次々と兵士の様な人々が校庭に降りてくる。そして、校内へと進行してきた。

三人は走り出した。クラスメイト達の元へ。今この状況は絶対におかしい。廊下を走っている間、生徒達の悲鳴が様々なクラスから聞こえてくる。やめてくれ。聞きたくない。リョウ達は心を落ち着けようと必死だった。


これは本当に夢じゃないのか?

もう一度、窓の外を見る。

定まらない空の色。黒いヘリと人々。

鳴り止まない悲鳴と迫る兵隊の足音。

今、少年の"いつも"が崩れていく。

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