Daily life

masarin

第1話 prologue

 ガヤガヤという話し声が聞こえる中、プラスチックのコップが床に跳ねる音や椅子を引く音、食器の擦れる音が付け足されていく。

暗闇の中から光が漏れだし、誰かが目の前に座っているのが見えてきた。

複数の音がする中で一際大きな声が聞こえてきたが、その情報をかき消す程の、電気信号が脳から瞼へと送られ、暗闇の中に意識が刈り取られていく。

「聞こえているのか?」

 耳馴染みの声が聞こえる。声がする方へ顔を向けると、幼い頃からの友人である萌黄篤(もえぎあつし)が、サラダをつついている所だった。

 萌黄は、絵に描いた様な所謂イケメンという類いの存在で、女性から話し掛けられる機会がとても多い。噂では、モデルにならないかと誘いがあって、雑誌に載った事があるという話が都市伝説になっている程だ。

 眉間にシワを作り、口元は少し突き出しながらこちらの方を覗き込み、フォークで刺したレタスを口に運ぶ。顔に出やすい性格なのですぐ分かる。これはイライラしている時の顔だ。

 昨日の『研究』の影響が出ているのだろう。目を開けているのが辛く瞼が重い。気を抜こうとすると船を漕いでしまいそうになる。

視線を落とすとツンとした酸味と甘い香りが鼻につく。

忙しく動く人影を横目に、目線を落とすとスパゲッティが置いてあり、まだ湯気が立っている。どうやら食事の最中でいつの間にか眠ってしまった様だった。

バチン

「痛ったあ」

強烈な痛みが額を走り、思わず額を手で覆う。突き刺さるような痛みからして、痺れを切らした萌黄がデコピンをしてきたのだろう。

「これで起きただろ、いい加減話せ」

「話?」

蘇芳慧(すおうさとし)は、トレイの隅に置いてある粉チーズの容器を取って振りかける。フォークでパスタをすくい投げて頬張る。絶妙なミートソースの甘味が好きで何度も食べている。しかし、今日のパスタは少し味付けが違うようだった。厨房の方を見ると新米だろう男性がたっていた。

「昨夜は徹夜で調べていたのだろ?」

蘇芳はボーッと男性の姿を見ながら口の中の物を胃に流し込み、楽しそうに話す。

「世界には未だに解き明かせていない摩訶不思議な現象や、信じられない様な謎が沢山あるんだ、じっとなんかしてられないだろ?」

萌黄は、蘇芳のこの言葉を何年も前から聞いている。蘇芳の好きな事に捧げる前向きで純粋な姿勢を見て、少し呆れた口調に言う。

「変わらないな」

「ん?」

蘇芳は、また一口パスタを頬張っている。

「…そろそろ本題に入ってくれないか。何についてシラベモノをしていたんだ?」

「研究だ。…今回は『天狗』について研究したんだ。古い文献探すとこからやったからかなり時間食っちまった。けど今回のは自信あるぞ」

 蘇芳と萌黄は、虹彩学園高等学校の3年生で弱小サークル「都市伝説研究会」を1年の頃に立ち上げた。ほぼすべてのテーマを蘇芳が「研究」と称して持ってくるのだが、蓋を開けて見ると都市伝説とは到底呼べない物が大半だった。ついこの間持ってきたテーマは、八百屋の主人の背丈が、朝は高いのに夕方になると低くなるというもので、朝から晩まで主人の同行をした。蘇芳は真剣に主人は軟体生物で、夕方になるにつれて重力に耐え切れず小さくなるのだと、思い込んでいた。結局は双子の兄弟で、店番を交代していただけだと拍子抜けしたというオチだった。こんな調子で「研究」だと主張しているので、真面目に聞くのも億劫になってきているのが本音だった。

 蘇芳は、ミートソースが付いた口を紙でぬぐいながら話を続ける。

「日本の古くから伝わる、知る人ぞ知る空想上の妖怪と言われる天狗が、実は妖怪でもなんでもなかったって事なんだ」

「ほう」

萌黄は思った以上にもっともらしい話だったので、少し興味が出てきた。そんな萌黄の様子を見て、蘇芳はニカッと笑う。

「どうだ?興味でてきただろう」

萌黄は咳払いをする。

不意に食堂の自動ドアの方に視線を取られると、ドシドシという足音が聞こえてきそうな、体重100kgの男が入って来るところだった。

「慧隠れろ!」

突然右腕を引っ張られた蘇芳はバランスを崩し、パスタを口に入れる寸前の所でテーブルの下に突っ伏して、床に溢れたパスタがズボンについてしまう。

蘇芳が話し出す口を制して巨漢の男が入ってきた自動ドアの方を見るように促す。その男は煤竹彦一(すすたけひこいち)、古文を専門とする教員で蘇芳と萌黄が所属するクラスの担任でもある。文武両道、熱血漢を座右の銘とし、それを体現している。大きな体格を生かして柔道に力を注いでいる為、屈強な筋肉を保持し、教育にも熱心な男だった。

「蘇芳めどこに行きおった!就職活動もせんでどこほっつき歩いておるのだ!」

不真面目な生徒を見つけると、こうして探しに来る。捕まったら最後、食らいついて離さないという理由で「スッポングレーシー」という渾名がついている。

煤竹に気づかれない様に小声で話す。

「おい慧、今度は何をした?」

「サークル辞めて就活しろって言うから致しませんって言ったんだ」

某女医ドラマのセリフ風にいう蘇芳。

萌黄は溜息をつくと気を取り直してどう逃げるかを考え始めた。このまま煤竹に捕まると今日一日のスケジュールの殆どが無くなるも等しい。煤竹は食堂の入り口に立ち、食道内にいる学生達の中から蘇芳の姿を探している。食堂から脱出するには煤竹の後ろの自動ドアから出るしかない。

「篤、良い考えがある」

蘇芳はスマートフォンを取り出し操作をし始め、学園内のあるサイトに文章を書き込む。

『極秘情報流出!萌黄篤、雑誌撮影を虹彩学園学食にて敢行か!?』

「慧何を書き込んだ?」

「まあ見てろ」

蘇芳がそういうや否や、雑誌の撮影を見ようと続々と女生徒達が食堂の周りに集まり出した。雑誌撮影をする萌黄を写真に収めようとスマホを取り出す者や、何処かへ連絡をする者で食道の入り口に人が溢れかえる。

「よし、顔を隠しながら行くぞ」

そう言うと勢いよく立ち上がり。

「ああ!萌黄篤が食堂にいたぞ!」と学食の外にまで聞こえる声で叫びだすと、パニック寸前の狂気じみた女生徒達がわっと食堂に入って来た。一瞬にして安息の地はコミケを思わす地獄へと変貌した。蘇芳は体勢を低くしながら女生徒の間を縫って外に向かう。それに続いて萌黄も後を追う。

煤竹は、突然女生徒達が集まりだした事でどんどんと食堂の中へと押されて窓際に押し付けられてしまった。

「なんだお前達は、落ち着かんかぁ!」

高校だけではなく近辺にある大学からも女生徒が集まった様子で、一瞬にして虹彩学園始まって以来の、学食入場数を更新した。

地獄と化した安息の地を尻目に、後に波乱を巻き起こす、都市伝説研究会の部室へと向かう2人。その背中を見つめる小柄な女性の存在に気付かずに。


つづく






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