あの夏のままで

プトー

第1話 確率宣言

――湿った風が運河沿いを吹き抜けていく。

セミの鳴き声がビルの隙間を抜けて聞こえてくる。

上着を脇に抱えた男が噴き出る汗をハンカチで拭いながら通り過ぎていく。


夏がやってきた。

運河の果ての空の入道雲がやがて来る夕立を思わせた。


俺は夏が好き『だった』。


今でも忘れない、いや、生涯忘れることはないだろう。

3年前の夏のことだった。


ヒマワリのよく似合う女の子だった。




「入院、ですか」


俺は下がらない微熱を怪しんで、受診した。

診察室で医師は張り詰めた口調ですぐに入院するように告げた。


「病名は白血病、でも白血病と言ってもいろいろあるんです」

「………………」

「月島さんの場合は『慢性骨髄性白血病』という種類です。

 良くドラマであるような骨髄移植をしたりするわけではないんですが……」


そう言いながら、黄土色の錠剤を示した。


「この薬を飲むことで治療を行ないます。

 病気の進行をこれで抑えられます」


「先生、私は死んでしまうんですか?」


「この薬を飲んだ場合、5年後に95%の方は元気でいらっしゃいます」


「……残り5%は?」


「……力及ばないことがあります」

「とにかく、すぐに入院してください。入院手続きは後で事務員から説明があります」


「……わかりました」


空調の効いた診察室は額の汗をすぐに引かせたが、

窓の外は容赦のない夏の陽光が木々やアスファルトを焼いていた。



その後事務員とした会話は良く覚えていない。

とにかく、気がつけば俺は入院着を着て、ベットをあてがわれていた。


西病棟、961号室。4人部屋。

俺の入ることになった病室だ。


外には病院の中庭を隔てて高いビルが林立している。


症状も微熱とだるさ程度で、自分が大病には思えないまま、

白い天井を眺めてみる。


95%は5年後生きている。

冷静に考えれば相当な確率で俺はしばらくは生きていられるらしい。


ただ「白血病」という病名のインパクトが、焦りというか、衝撃を残す。

人間いつかは死ぬものだが、急に制限時間をかけられると思考能力を奪われる。


家族に連絡し、必要なもの用意してもらいに見舞いに来てもらった。


いつか死ぬけど、割とそれは近いかもしれない。

やり残したことを思ったが、平凡にただただ日々を生きていた俺には思い当たるものがなかった。


ただ、家族はもしもの時に不便をかけるかもしれないな、などと考えながら

出された黄土色の錠剤を飲み込んだ。


いくつかの副作用があるようだったが、幸いにもそれらしき症状はないまま数日が過ぎた。


同室の患者たちも見舞いが来るようで、カーテンの向こうから笑い声が聞こえてくる。

デイルームに行けばノートパソコンを広げて仕事をしている患者もいた。


病人らしい病人を見ない病棟だった。


日に一度は医師が病状を説明しに来たが、あまり長居もせずに立ち去っていった。

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