ヘルクロール!!!!! ~家に帰るまでが異世界です~

カワウソ大名(代理)

プロローグ

プロローグ

 で、黒々としたなんかの中にいる。


「やめろよ……」


 と、俺は言う。


「そういうのやめろよ……」


 声が震えていた。

 割と辛い。

 両手で顔を覆っちゃったりなんかもしている。泣いちゃいそう。


「何がです?」


 頭上から降ってくるぬるりとした言葉にもくびを上げられない。ぷるぷるする。


「いやだから、そういうテンプレやめろって言ってんの……」

「……?」


 暗闇の奥から漂ってくる、怪訝そうな気配。


「どういうことでしょう?」

「だからっ!」


 俺はおよそ男らしさからかけ離れた金切り声をきぃきぃとやった。


「『あなたは本来今死ぬはずのない人間だったのに神である私のミスによって命を落としてしまったので輪廻の輪からこぼれ落ちたまま魂消滅の運命と相成りましたご愁傷様でございます地球上に生まれ変わることはもうできませんというかこのままだと来世自体なくなりますがそれも申し訳ないのでまあここはひとつこの宇宙とは違う場所というか輪廻の理の外にある世界に転生したまえよキミィ、ホレ異世界転生って奴じゃよ嫌いじゃないんだろうチミいける口なんだろうチミチミィもちろん大人気の中世ヨーロッパ風ファンタジー世界にしてやるぞついでにホレみんな大好きチート能力もちゃんと付けてあげようじゃないのどんなのがいいのよなんでもいいわよそれで未開の異世界土人相手にウホウホ無双してワッショイワッショイ英雄扱いされてゴキゲンに色んな種族の美少女ハーレム作ってアヘアヘムフフと面白可笑しく過ごせば私のミスも許してくれるわよねそうよ許されるべきよそうしなさいよ私悪くない』とかそういうテンプレ!! きらい!!!」


 確かに、卑小で些末で無聊ぶりょうな人生ではあった。クッソ微妙な生涯だった。だがそれでも勝手に終了させといてこの対応はどうなのか。


「つまりディテールが甘すぎると言いたいわけですか。ありがちすぎると。適当であると。やる気が感じられないと」

「いやまあ、それ以前に勝手に話を進めないでくれと言いたいんだけどさ」

「もしかして、転生、嫌がってます?」

「そりゃそうだよ。つか、嫌に決まってんじゃん」


 ぶー垂れる俺に、先刻、神を名乗り俺に接触してきた声は、当惑した様子だった。


「何故です? 私の知る限り、強くてニュージーランドな異世界転生テンプレを嫌いな男の子はいないという話だったのですが?」

「なんかウール100%な異世界だな……」

「むしろ異世界に向かう男性の内、およそ六割は河原に転がってる石を裏返した時に見つかる虫同然の人生を送ってきた過去ゆえに、この世に何一つ未練を抱いておらず、チート能力を得て異世界に行けると聞いた途端に妄想スイッチが変な所に入って、恥ずかしげもなく勃起してみせるほどテンプレが好きだという話だったのですが?」


 めちゃくちゃ言ってんなこの神様。野原ひろし(CV:藤原啓治)みたいな声しやがって。


「ついでに残り三割は厨二丸出しで斜に構えたまま、『俺は神にも反逆してみせるぜ』という姿勢で、死ねよクソガキと切り捨てたくなるようなウザい事を言い出しイキりまくるものの実際にはやっぱり異世界でチートハーレムしたいぜと抱いたスケベ心は隠しきれるものではなく、妄想スイッチが変な所に入って、勃起を押し隠すためにズボンのポケットに両手を突っ込んでみせるほどにテンプレが好きだという話だったのですが? そして、最後の一割は――……」


「すげえ話脱線してるだろ。勃起どうでもいいよ。ていうかそういうこっちゃないわ。お前神様なんだろ? じゃあ知ってるよな。こっちの事情知ってるよな?」


 口を挟むと、僅かな間を置いて反応がある。


「……まあ、ほどほどには」

「俺の唯一の望みと呼べるものも知ってるわけだよな」

「なんとなくは」

「じゃ、異世界なんか行ってる場合じゃないことも分かるよな? この世界から離れたら何一つ幸福になれないことも知ってるよな?」

「そうなんだ」

「そうなんだじゃないだろふざくんなやめろ。戻せ。未練しかねえんだよこっちは」


 やいのやいのと手足を振った。

 だが、明度ゼロの暗黒の中である。

 腕を振っている感覚はあれど、動く姿は俺自身にも見えていなかったりする。

 視界の先は、一切の無だ。


「チッ……」

「えっ? 今、神様舌打ちした?」

「もう無理だよ。戻んねえよ」

「うわ……。喋り方変わった。態度わるっ」

「うっせーなぁ。チート授けてやろうっつってんじゃん。それでいいだろーがよー。いい加減黙れよ。ほれ、早くしろや。次の世界で、どんな能力が欲しいんだよ。言ってみろって」


 完全に相手にされていなかった。

 見えないのに、耳をほじりながら言っている雰囲気があった。

 クレーマー対応中のサポセン化した模様。


「いやだから、そうじゃないだろ。俺の人生返せって言ってんの」

「チッ……静かにしろって。あんまうっせーと、チート抜きで送り込むぞ? ハードモードにするぞ? 俺は別にそれでも構わねーが、いいんだな?」

「…………」

「黙るんかい」

「いや、まあ、ないよりはあった方がいいから……」

「結局欲しいんかい」

「ぐぬぬ。でも、戻れるなら、元の世界に戻してくれる方が嬉しいです。はい。一番は、そっち希望です」

「無理。もう人生完了して前世になったんで。閉店してます。表の看板見えないかなあ」


 終業間近に迷い込んで来た客を追い返そうとするラーメン屋の親父ばりに辟易とした口ぶりである。なんだこいつ。


「あっ、やっべ。時間だわ」

「は?」

「こんなことしてる場合じゃねえわ。っべー。間に合わなくなるわ」

「ちょ。間に合わなく、って何が?」

「じゃもう送り込むからな」

「え? いや、あの、マジ? せめてなにかチート」

「あーはいはい能力は適当に向こうで選べよな自分で。っべーな。急がな。やっべー」

「ちょ、ちょ? は?」

「はい、さいなら」


 衝動的に口をついた筈の俺の怒りの言葉は形にならなかった。

 唇を割るより前に、黒々としたタールの中に分解されていた。

 そして突然、俺は、自分がほどけはじめるのを感じる。

 頭のてっぺんから足の先まで、しゅるしゅると、包帯を外すように、あるいは、大根のかつら剥きをするように、あるいは、木材にかんなをかけるように、あるいは、日めくりカレンダーをはぎ取るように、薄く、薄く、無の中に溶け、年輪が失われ、俺という人がいた事実は、まあもとより見えていなかったのだけれど、墨汁まみれの背景の奥深くに沈降し、我思う故に我有り、何か考えていたこともアルジャーノンがたべてしまい、おれはきえた。

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