第5 話  4


 腕に抱きつくようにして木藤を引っ張ってきた桃子は、別荘が見えなくなってようやく手を離した。

 許可を得てから無我夢中で飛び出したけれど、意識し始めると急に心臓が主張を始めて、体を密着させていたのが恥ずかしくなってきた。

 木藤より数歩前を歩いているから、桃子は顔の赤さに気付かれないように前だけ見ていた。木藤は、今どんな表情をしているだろうか。

 夏の日差しがじりじりと肌を焼いていく。汗が浮かんできた。

 鏡花のしてくれたメイクが、崩れないか心配だ。

 ただただ無言で二人は当てもなく歩く。車が一台、横を通って、さらに自転車が一台通って――

「馬子にも衣装、だな」

 やっと話してくれたと思ったら。ショックで立ち止まった桃子にぶつかりそうになって、木藤が慌ててフォローに入る。

「――悪い、そういう意味合いで言ったわけでは」

 どういう意味なのか、と問いたい反面、木藤の様子が気になる。いつも、どこか冷静に俯瞰的に見ているように感じていたが、今日はそわそわと落ち着かない。

「……なんか、先生変ですね」

「……ホントにな。まだまだ子供だとばっかり思ってたから、見違えたよ」

 それで、馬子にも衣装?

 木藤と向き合うと、プールのときのように時間が止まったように感じた。

 淡く輝く金の眼がまっすぐこちらを見ている。

「初めて会ったときから思ったが、桃子は眼を逸らさないんだな」

「……先生の眼、綺麗ですもん」

「独特な感性だな」

 笑いながらも、どこか悲しげに話している。木藤だけに限らず、きっと鬼のみんなが持っているコンプレックスに違いない。

「先生は、髪の色は鬼側の遺伝子を引き継がなかったんですね」

「……そうだな。おかげで、どこに居ても村八分だった」

 髪の色は鬼から、眼の色は人間からかけ離れている。木藤の幼少の頃は人間に対しての差別が今よりも顕著だったため、忌み嫌われ距離を置かれてきた。

「親と初くらいだったな、この髪色に偏見を持たなかったのは」

 風に混ざる潮の匂いが濃くなって、いつの間にか海のほうまで来ていたことに気付いた。

 この辺りの道路も、歩行祭で歩いたところだ。体力が尽きかけた頃に、見回りに通った木藤が声をかけてくれた。

 二人で防波堤に寄りかかって、水平線を眺める。

「先生は、この島を出たことがあるんですよね。鬼が嫌になってしまったから?」

「嫌になった、とは違うな。初が東京に行ったことがあって、その話を聞いて自分の目で東京を見たいと思ったんだ。

 聞いた通り、たくさんの人間が居て、眼も髪の色も気になんてしていなかった。大学に入ってしばらくは黒いカラコンをしていたけど、誰も気にしてないことを知ってからは伊達眼鏡に変えた。

 それからずっと伊達眼鏡だな」

 木藤の眼鏡は厚めのレンズになっているものの、色が入っているわけではない。覗けば、鮮やかな金の眼は見える。

「大学といえば、先生はなにを専攻してたんですか」

「生物学だよ。鬼について調べている先生が居たんだ」

「生物学?」

「ああ。鬼は、人間とかけ離れた特別な遺伝子を持っているわけではない。人間なんだ。容姿や身体能力の長けているだけで。

 研究があまり進んでいないこともあって、原因についてはわからなかったが、その先生と出会えたことで知見が広がった。

 それからカラコンを入れなくなって……そういえば、その時に出来た友人には、桃子みたいに綺麗な眼だと言ってくれる人も居たな」

 木藤の話を聞いていると、鬼と人間の間の存在としての自分を克服したように思える。その友人も、きっとそこに深く関わっているのだろう。

「……そうなんですね」

 ――先生の眼の綺麗さを、わたしだけが知っていたかったな。

 桃子の胸の内で嫉妬心が湧き上がって、痛みが針のように刺してくる。

「先生、わたし先生のことが――」

 言葉を遮るように、スマホが鳴った。

 留衣と約束した一時間がもう経ってしまったのだろうかと、慌ててスカートのポケットから取り出すと、表示された人物の名に心がざわめいた。

「どうかしたのか?」

「……お兄ちゃんから、なんです」

「出ないのか?」

 桃子は出ようか出まいか、スマホを睨むようにしながら考えている。

 嫉妬に駆られて告白しそうになっていたから、タイミングとしては良かったのかもしれない。けれど、木藤と二人きりなのを邪魔されているのも事実だ。

 木藤は特に促すでもなく、桃子の様子を見守ってくれている。

 出なくてもいいという選択肢をくれる。

「……少しだけ、いいですか?」

 木藤は桃子の決心に肯くと、気を使って数歩距離を空けた。

「もしもし」

「誕生日おめでとう、桃子」

 二週間ぶりに桃之助の声を耳にした。嬉しい反面、桃子は自分が変に緊張しているのに気付いた。……隣に木藤がいるからだろうか。

「ありがとう」

「プレゼントは気に入ったかな」

 桃之助のプレゼントは花をモチーフにした、シンプルなネックレスだった。

「……うん」

 いつになく言葉数の少ない桃子に、桃之助もなにか感じたのか会話が止まる。

「……なあ、桃子。いつになったら帰ってくる?」

 いつになったら。桃子が答えられないでいると、矢継ぎ早に桃之助から質問が飛んでくる。

「どういった問題があったか、真相を聞かせてくれないか。大丈夫だ。桃子の学年の全クラスを再編してもらうように手筈を整えている。桃子の望みはなんだい?」

 なにを言っているのだろう。なぜそんな話になってしまったのだろう。

 こうなって欲しくないから、家を出たのに。

 言葉を紡ごうとするけれど、思考が上手くまとまらない。

「お兄ちゃん」

「安心してまた登校できるように、私も最善を尽くそう」

「違うの……お願い、お兄ちゃん、聞いて」

「その島は危険だ」

「……お兄ちゃん?」

「早く戻っておいで」

 電話で、リアルタイムで会話をしているはずなのに、桃之助と桃子の会話はすれ違って噛み合わない。

「これから先、桃子の妨げになるものは私が全て取っ払ってあげる」

 その言葉を聞くなり、桃子はスマホ持った右手を振り上げた。桃之助の声を遮りたくて、地面に叩きつけてしまいたかった。

 けれど、スマホは桃子の手から振り下ろされることは無かった。手首を、木藤の手が包むように掴んでいた。

「物に当たるな。後で空しくなるだけだ」

「でもっ!!」

 木藤に抱き寄せられて、桃子は胸に顔を埋めた。悔しくて、涙が止まらない。

 何故伝えたいことが上手く伝わらないのか。

「……わたしが出て行けば、済むんだと思ってた。あのクラスのみんなを守れるんだって思ってた」

 泣きじゃくる桃子の肩を、子供をあやすように優しく叩く。

「全部、全部無駄だったのかな」

「そんなことはない」

 木藤の声が、優しく響く。

「……誰かを想っての行動に、無駄なことなんてない」

「……はい」

 どうして、こんな風にすれ違ってしまうのだろうか。


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