第4話 3
「桃子、犬飼」
見上げると木藤先生が無表情になってた。怒っているとき、先生は表情を全部隠してしまう。鬼藤くんみたいな、爆発するような怒り方のほうがマシだと思ってしまうくらいに怖い。
「そろそろ戻れ、ここでサボるな」
「はーい」
「すみませんでした!」
千和に手を引かれて駆け出す。後ろを窺うと、今度はちゃんと先生と目が合った。小さく手を振ったら、少しだけ口許を綻ばせてくれた。
それだけで嬉しくて、たまらなくなって、小さくガッツポーズした。
「ときに桃子ちゃん、この小テストの結果はやばくないですかね」
「め、面目ないです」
エンジの手にあるのは、六時限の古文の授業で返ってきた、先日の小テストだ。
エンジはお兄ちゃんの圧力で二年生をやり直していて、今受けている授業は復習のようなものだし、鬼藤くんも学年トップの成績。千和と鏡花だって中間試験で心配するような成績ではなかった。
とにかく、赤点を回避するので精一杯なわたしとは大違いだ。
いつも、お兄ちゃんが根気強く教えてくれていたことを思い出して、思わずため息がこぼれた。中間試験でも留衣にお世話になりっぱなしだったけれど、留衣ばかりに負担を強いたくない。
留衣は自分の仕事を抱えながら、家の掃除から、洗濯までこなしてくれている。そこに勉強も教えてほしいなんて、どの面下げてお願いできるだろう。
「エンジ、期末まで試験勉強に付き合ってくれない?」
「へいへい」
「……ねえ、それならみんなで勉強会でもしない?」
前の席の鏡花が振り向いて笑った。
「鬼藤の家、広いしさ。おばさまにお願いして」
「はぁ?」
鬼藤くんの表情が一瞬で凍りつく。
「いいじゃん、きっと喜んでくれるよ」
「人様の家をなんだと思ってるんだ」
あーだこーだと舌戦が繰り広げられていたけれど、最終的に鬼藤くんは言いくるめられてしまった。でも言いくるめられた鬼藤くんは、不満な表情はしていても、決して不愉快そうではない。
「じゃあ、放課後行こう!」
「はぁ!?」
「鬼藤くんのお家楽しみ!」
千和と鏡花のはしゃぎ声に、鬼藤くんももう閉口をするしかない様子。対してエンジはにやにやと楽しげに笑っている。
「あー、もう勝手にしろ」
そして有無を言わさずに、ぞろぞろと鬼藤くんの家の前へ。
「すごいねぇ、和風なお家だ」
「なかなか現代じゃ見かけないよな。この門構えは」
三人で感嘆の声を上げていると、門を先に潜った鏡花がひょっこりと顔を出した。
「なにしてんのー、そんなところで」
「いや、立派だなぁって」
「それが中はもっと立派なんだよねぇ」
まるでそこの住人とでも言わんばかりに、鏡花に誘われてお邪魔する。すると奥から、着物のご婦人が現れた。ぴっしり結われた金の髪と淡い蜂蜜色の瞳で、鬼なんだとわかる。
「ようこそ、鬼藤家へ」
柔らかな笑顔だけれど、目尻や口の形が鬼藤くんそっくりで、とてもシャープな美人さんだ。なんだか緊張して、エンジと千和と三人で固くなっていると、鬼藤くんが不審そうに顔を覗かせた。
「早く来いよ」
「あ……うん」
「お邪魔します」
磨かれた、チリひとつ落ちていない無い廊下を歩いて、和室に案内された。
「あれ、鬼藤ちゃんの部屋じゃないのー?」
エンジが頬を膨らませる。
「なんでお前らを部屋に上げなきゃいけないんだよ」
「友達じゃーん、オレ達。ケチー」
エンジがこなれた感じでウインクすると、鬼藤くんの拳が飛んだ。見切って避けたエンジをまた鬼藤くんの拳が追う。
「さーさー、勉強しましょうかー」
とくに止めるでもなく、鏡花は数学を広げた。
わたしは何からやろうかな。
「そうだね、がんばろっか」
成績が悪かったら、遊びたくて出てったように思われてしまうかもしれない。そうしたらお兄ちゃんはともかく、パパもママも流石に許してくれないだろう。
「夏休み、楽しみだもんね」
「みんなで遊ぼうよ、八月に桃子の誕生日もあるでしょ?」
「そんな、誕生日覚えててくれただけで嬉しいよ、鏡花」
「みんなでパーティしようね!」
千和が拳を作って、笑う。
「いいから早く勉強しろって」
エンジを追うのを止めた鬼藤くんが千和の横に腰を下ろす。わたしも古文の教科書を開くと、文字が溢れんばかりに詰め込まれていて、一瞬仰け反りたくなった。……けれど、堪えて向き直る。
「よしよし、がんばろーな」
わたしの意気込みを感じ取って、エンジが優しく頭を撫でてくれた。お兄ちゃんとエンジと三人で遊んでいた幼い頃を思い出して、思わず頬が弛んだ。
エンジと千和と留衣は、家族みたいに近くて安心する。
一緒に島に来てくれて、今はよかったと思う。
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