第2話 4


 親父の趣味で作られた日本庭園を抜けると、隠されたように平屋の離れがぽつりと存在する。今は使用人が掃除するくらいで、ここには誰も寄り付かない。

 親父も、母さんも、ここのことには触れない。だから、オレにとって逃げ場所になっていた。

 ――ここには、ある家族が居住していたからだ。

 持っていたスペアキーでドアを開けると、溜まっていた空気がゆっくり吐き出されたように感じた。2LDKの部屋は、時が止まってしまっている。ここの主は、もう帰ってこないのだろうか。

 リビングに置かれた四人掛けのテーブルの、一席に腰掛けると、殺風景なテーブルの上に頭を突っ伏せた。

「……にーちゃん」

 オレには八つ上の異母兄弟がいる。母親が人間だった義兄は、親族に大変忌み嫌われていた。

 一番の要因は、髪の色だった。母親に似て光も吸い込みそうな漆黒の髪が、鬼として受け入れられなかったのだろう。こんだけ色んな髪の色が居て、なにがダメなのか、ジジイ共の感覚はよくわからない。

 親父は周りの声に流されて、鬼の一族であるオレの母さんと結婚した。金の眼に金の髪、オレは一族の見栄のために生まれた訳だ。

 昔から延々と聞かされた。家のこと、この島のこと、鬼として立派に育ってほしいと。

 なのに、桃子が来てからというもの、煮え湯を飲まされてばかりだ。

「――初」

 気付かないうちに寝ていたのか、声をかけられて、オレは慌てて体を起こした。急に動いたせいで、筋肉が驚いて悲鳴を上げたけど、それよりもオレはそこに居た人物に驚きを隠せなかった。

「……にーちゃん」

「その呼び方、懐かしいな」

 柔らかく笑った、木藤きとう まこと――先生が向かい側に腰を下ろした。

 いつの間にか外は暗くなっていた。いくら寝惚けていたとはいえ、思わず「にーちゃん」と漏らしたことに、一気に顔が熱くなった。

 嘘だろ……この年になって「にーちゃん」なんて呼ぶことになるなんて……。

 そんなオレの様子を気に留めず、先生は辺りを見回す。

「もうここを出てって何年になるんだろうな」

「六年、くらいじゃね」

「そうか、早いな」

 高校を卒業すると同時に、先生はここを出て行った。島に大学がないとはいえ、県内ではなくて、東京の大学へと進学したからだ。

 そして戻ってきた先生は、唯一ある高校の教師になった。

 すっかり『兄弟』から『先生と生徒』の枠組みに慣れてしまって、会話が不自然に感じて口を閉ざす。学校ではこうして二人きりになることはほぼない。名字も容姿も違うから、オレ達を肉親だと知らないやつも居るくらいだ。

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