第3話 おふくろの味が売りのお弁当屋

 俺の住居である、この事務所では自炊はいっさいやらない。

 たまにカップ麺のお湯を沸かすくらいで、ほとんど外食かコンビニ弁当にしている。立派なキッチンがあるのだが、ここで食事を作ったら公私の区別がつかなくなるし、所帯じみてくるのが嫌だった。絶望的な結婚生活を体験した俺は、家庭的なものに対してことさら反抗的だった。

 時々、パートの寺田さんが自分のお弁当と一緒に俺の分も作ってくれたことがあったが、丁重にお断りした。手作り弁当とか家庭料理とか……そんなものはこれからの俺の人生には無縁だと思っている。寺田さんはいい人だけど、人から干渉されるのも嫌だし、彼女の好意に甘えたくないと思う自分がいる。

 お昼になると近所のコンビニに弁当を買いに行くのが日課だが、さすがに毎度メニューを替えてもコンビニ弁当には飽き飽きしてきた。コンビニ弁当ばかり食べている俺のことを心配してか、寺田さんが手作り弁当の店を紹介してくれた。ここから歩いて十五分くらいのところに、その弁当屋があるらしい。

 今日は納品もないので暇だし、ぶらぶら歩いて弁当でも買いにいこうと思い立った。


 ごく普通の住宅地の中に、そのお弁当屋はあった。

 寺田さんに書いてもらったメモ書きの地図はかなりアバウトで、少し入り組んだ目立たない場所にあったので、俺は道に迷ってしまった。犬の散歩させていた老人に店の名前を言って訊いたら、こっちこっちとわざわざ案内してくれた。安くて量が多くて美味しいと近所では評判のお店だった。

 手作り弁当の店『お多福たふく』は、民家の一階を改造して店舗にしている。弁当を受け渡しするカウンターと出来上がりを待っているお客用の長椅子があるだけのこじんまりしたお店だった。弁当のメニューもそう多くはないが、写真を見る限りどれも美味しそうだ。

 厨房から「いらっしゃい」と、おばさんが出てきた。

「ご注文は?」

 と訊かれて、とっさに唐揚げ弁当と答えた。

「お客さんは初めての人かい? うちは常連さんが多いからね」

 弁当屋のおばさんが俺の顔を見てそんなことをいう。

「ええ、まあ……」

「一人暮らし? うちのお弁当は独身向けに栄養のバランスを考えて、野菜や煮物も多く入れてるんだよ」

「そうですか」

「この近所に住んでるの? おふくろの味が売りのお弁当屋だから、どうぞご贔屓ひいきに」

「はあ……」

 曖昧に答える。

 あれこれとおばさんが話しかけてくる。

 悪気はないのだろうけど詮索されているようであまりいい気がしない。長椅子に腰かけて弁当が出来上がるまで、手持ち無沙汰だからスマホを弄りながら待っている。

 しばらくすると、「お待ち!」と声がして、暖簾のれんの奥から若い女が顔を出し、カウンターの上に弁当を置いた。その顔を見た瞬間、「あっ」と声が出た、だ。いつも回転寿司で会う、鈴木ともこがここで働いていたなんて……俺の方に気付いて、ともこは驚いた顔をしたが、軽く会釈をして厨房に引っ込んだ。

 実のところ、この時点では鈴木ともこという、彼女の名前をまだ知らなかった――。

 唐揚げ弁当を受け取って帰る途中、あの弁当屋はおばさんがウザイから止めようかと思ったけれど、鈴木ともこがあそこで働いているなら、また行こうと思った。

 この唐揚げ弁当も彼女が作ったものだと思うと、なぜか胸が高鳴る。

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