数日ぶり、二度目の一目惚れ

みやざき。

数日ぶり、二度目の一目惚れ

 今年の夏も暑くて湿度が高い。扇風機だけが必死に夏の夜を冷まそうと首を回しながら奮闘しているが、熱風を部屋に循環させる役割しか果たせていない。

 ぼんやりとテレビを見ていた賢哉は少しでも夏の暑さを紛らわせるためにアイスを食べよう、そう考えて冷蔵庫へと這っていった。そして冷蔵庫の中を確認してがっくりと肩を落とした。そういえばアイスは切らしていたのだった。

 人間不思議なもので普段勉強だとか掃除とかしなければいけないことはやろうと思っても中々しないくせに、急にある本が欲しくなったとき、どうしても本棚の本を整理したくなったりだとかそういうどうでもいいようなことは目的が達成されるまで無我夢中になってやってしまうことがある。何件も本屋を巡ったり、何十回も本を出し入れしたりする手間をかけてでもだ。それと同じように今どうしてもアイスが食べたいのだ。別に明日になれば大学に行くしスーパーにも行くだろうから数時間待てばアイスは食べられる。それでも、どうしてもアイスが食べたい、この根拠のない欲求は抑えられない。そのことを賢哉自身が一番わかっていたので、急いで部屋着のまま近くのコンビニへ向かった。


 それが五分前のこと。今賢哉はコンビニに入った状態のまま三秒ほど固まっていた。目の前に広がる閑散とした店内にはいつも通り仰々しく新商品を紹介している色とりどりのポップ、いつもと何ら変わらない配置のおにぎりやパンがあって、そしてレジには「いらっしゃいませー」と深夜のコンビニ店員の割にはつらつとした声で接客をしている一人の女性店員がいた。



 数日前、大学から少し離れたバイト先の塾に向かうため賢哉は高崎線の座席に座っていた。賢哉は多くの小学生を相手に理科を教える集団授業のバイトが嫌いではなかった。もちろん授業の予習は大変だし、宿題をやってきてくれない生徒も多くいる。それでも生徒が自分が教えた理科的な事象に興味を持ってくれた瞬間や生徒が自慢げに小学校の理科のテストの点をみせてくれたときの喜びややりがいを考えるとそんな少しの辛いことは全く気にならないのだった。

 今日はみんな宿題をやってきてくれているだろうか、今日はみんなに分かりやすく光合成のことを教えられるだろうか、そんなことを考えながら電車に乗るこの10分が賢哉は嫌いでなかった。

 流れていく外の風景はいつも通りで、天気も快晴とまではいかないけれど雲の切れ間から光が射していて心地いい。ふと、窓から視線を外したときに自分の正面の席に座っている女の子に視線が吸い込まれた。髪は黒色で長さはセミロングくらい、服装は白を基調に派手ではなく落ち着いた感じ。最近の若者にしては珍しくスマートフォンを手にすることもなくうつらうつらとしている。

 賢哉の一目惚れはそのときが初めてだった。

 賢哉は恋愛にそこまで積極的ではなかったが高校時代に好きな人に告白したり、フラれたり、飲み会の席で話題の一つにできるくらいには色恋沙汰を経験していた。だからこそ目の前で微睡んでいる女の子に視線が釘付けになってしまった自分、バイト先の最寄駅である大宮駅に停車し、車内音声が繰り返し大宮駅を知らせるまで微動だにしなかった自分に驚いていた。


 賢哉はハッと大宮駅に着いたことに気づき急いで電車を降りた。降りてから塾に行くまでの間、賢哉はずっとあの女の子のことを考えていた。何歳くらいなのだろうか、同じ大学だったりしないだろうか、いつも高崎線を使っているのだろうか、何より、あわよくばもう一度会えないのだろうか。

 その後のことはよく覚えていないが塾に着いて授業が始まってからは自分がつい一時間前に一目惚れをしたなんてことを悟られないように平静を装っていたつもりだった。それでも生徒から「坂野先生今日どうしたのー?」と無邪気な質問を受けたくらいだから、きっと何か挙動が変だったのだろう。



 それが数日前のこと。

 コンビニに入った賢哉の一目惚れはそのときが二度目だった。

 店員の女の子が自動ドアの前で固まっている賢哉に不審そうな目を向けてきたのに気づいて賢哉は我に返った。慌ててアイス売り場へと足を進める。

 こんな短い期間に同じ相手に一目惚れすることがあるだろうか。こんなことがあるなんてどんなに女好きな友人も言ってなかったぞ。

 ついさっきまで食べたかったアイスがあった気がするのに今はどのアイスが食べたいのかも分からない。アイスが陳列されているショーケースの周りをぐるぐる回りながら突然の出会いをうまく呑み込めないでいる。

 賢哉はレジに立っている女の子の訝しそうな視線に気が付いた。アイスを選んでいるようにも見えないのにアイスのショーケースの周りを何周もしていただから当然だ。急に恥ずかしくなりカップタイプのアイスをそさくさと手に取りレジへと向かった。

 店員の女の子の前で近くで見れば見るだけ本当にタイプど真ん中だな、本当に可愛いな、そんなことをぼんやりと考えながら財布を取り出そうとしたそのとき、


「あの」


 突然マニュアル通りレジ業務をこなしていた店員から想定外の声をかけられて賢哉は固まった。不審者だと思われたのだろうか、それとももしかして電車で見かけたとき女の子が実は起きていて自分のことを覚えているのだろうか、そんな不安と淡い期待を胸に


「はい」


 と、一生で一番平静に努めて -もっとも、塾で生徒に不自然さを指摘されるほど平静を取り繕うのは下手なのだが- ありきたりの返事をした。


「こちらカップ式のアイスとなっておりますがスプーンはお付けしなくても大丈夫でしょうか?」


「えっ」


 どうやら女の子のことを考えて放心するあまり、店員さんがアイスのバーコードを読み取った直後にカップアイスをひったくって手で持っていたらしい。


「失礼しました、付けて下さい。」


 賢哉はこれまた慌てるあまり不自然に謙虚な返事をしてしまった。言ってしまってから返事が不自然なことに気づき賢哉は俯き夏に熟れ過ぎたトマトのように赤面した。しかし、女の子も接客には慣れているようで特に何事もなかったかのように、承知しました、とニッコリ笑って短く返事をし、アイスとスプーンをレジ袋に入れはじめた。今ならチキンがセール中です、そんな機械的な営業トークを女の子がしているが、賢哉の耳には全く入ってこない。何か話すなら今、連絡先を聞くとか年を聞くとか、同じ大学なのか聞くとか世間話をするなら今この瞬間しかなかった。幸い深夜のコンビニ店内には賢哉以外には客はおらず、店員も目の前の女の子一人だけのようだ。絶好の機会、絶好のチャンス。二回見かけて二回一目惚れした相手に巡り合うことなんて中々ない、賢哉は頭の中で意外にも冷静にそう考えていた。

 賢哉が口を開いたそのとき、


「ありがとうございました。またのご利用お待ちしております。」


 女の子がレジ袋を差し出し深くお辞儀をした。

 賢哉は開きかけた口を閉じ、いつものように軽く店員に会釈してレジを離れコンビニを出た。コンビニに入ってから出るまでたった七分間の真夏の夜の出来事だった。

コンビニを出た後もコンビニを出る前と同じく足元に纏わりつくような湿度が賢哉を取り巻いていた。毎年同じように油蝉は煩く、賢哉は一歩が踏み出せない。

 賢哉は一度はない勇気を振り絞って行動しようとした自分を心の中で称えていた。一度は連絡先を聞こうとした、口を開いた、その事実だけで十分じゃないか、そう言い聞かせ、そう思い込もうとしていた。あとは帰ってアイスを食べて深夜番組を見て寝るだけ、それだけ。

 

 いつもなら数秒で横切るはずのコンビニの駐車場を渡り切るのに十分ほどかけてやっとコンビニ向かいの横断歩道まで辿り着いた。腕時計を見ると時刻は二時を回っている。この時間にもなると道路に車通りはほとんどなく油蝉と自動販売機の低い稼働音だけが真夏の夜を支配していた。コンビニに行くために外に出てから結構な時間が経っていることに気づき、賢哉は夏の熱に浮かされた自分を恥ずかしく思った。

 横断歩道を渡ろうとしたまさにそのとき、賢哉が自分がアイスを買っていたことにハッと気づいた。慌ててカップアイスを取り出し耳元で振ってみるとチャプチャプと明らかに液体の音がする。どうやら夏の熱にもろにに晒されたバニラアイスは半分ほどバニラジュースになってしまっていたようだ。このまま帰ってしまっては全部バニラジュースになってしまうかもしれない。横断歩道を渡ろうとしていた足を止め、女の子がつけてくれた木の小さなスプーンを取り出しアイスを食べ始めた。


 アイスを食べ終わった賢哉はゴミをコンビニのゴミ箱に捨てるためコンビニへと足を進め再び駐車場を横切った。ゴミを捨てたあとおもむろにコンビニの店内に入った。もう入り口で立ち止まりはしない、躊躇なく女の子がいるレジへと向かっていく。


 ゴミ捨ては口実だった。自分がコンビニへと戻るための。


 今度は思考は後回しだ。煙草の補充をしている女の子の背中に一回で伝わるよう大きめの声をかける。


 だってアイスは溶けてしまった。溶けてしまったのだ。


「あの」


「はい」


 返事をしながら振り向いた女の子がさっきと同じ客が声をかけてきたのだと気づき、驚くのがはっきりとわかった。


「いかがしましたでしょうか・・・?」


 女の子は何かミスをしてしまったのではないか、そう考えているのか申し訳なさそうに首をすくめ上目遣いでこちらを見てきた。


 アイスは溶けてしまったんだ。一歩踏み出せなかった過去を慰めて、自分の情けなさをなかったことにして、夏の夜に自分の気持ちをごまかそうとしていた間にアイスは溶けて運命は待ってくれなかったんだ。それなら一度過ぎ去った運命を追いかけて、必死にすがるくらいの往生際の悪さがあってもいいじゃないか。


「連絡先、あの、交換してもらえませんか」


 時が止まったかのように思った、店内放送が繰り返し流行りの曲を流し続けていることで本当は時が止まってないことに辛うじて気付いた。女の子は固まったまま真っすぐこちらを見ている。いっそ返事を聞かず立ち去ってしまおうか、全部なかったことにしようか、気の迷いが頭をよぎり天井を仰いだ。しかし溶けてしまったアイスが脳裏からどうしても離れなかった。一度は過ぎ去ってしまった運命にすがった身だ、今更何を恥ずかしがることがある、情けなくて結構だ、そう思いながら顔を正面に戻したまさにその瞬間、

女の子は少し照れながら口を開いた。







 

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数日ぶり、二度目の一目惚れ みやざき。 @miyashioi

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