3-8
ノインがリリと共に仕事に出てから、早くも一時間が経とうとしていた。
しかし彼らは、まだ一度も魔法使いと会敵していない。
「いねーなぁ……」
とぼとぼと歩きながらノインは左右を見回す。
だが目に映るのは閑散とした廃墟と空き地ばかりで、魔法使いの姿はからっきしだった。
今、ノインらがいるのはイースト区域の区画外だ。
不良者と出くわす可能性もあるので、普段の仕事ではあまり積極的には出向かない場所だったが、公安官に見つかるのを避けるならばここが確実である。リリがいる状況では、チンピラどもに絡まれるより、公安官に見つかる方が後々面倒なことになりかねない。
それにノインがここを選んだ理由はもう一つあり――魔法使い討伐という目的だけで考えれば、魔法使いが多くうろつく区画外は絶好の狩場なのだ。体力的に見ても一人の討伐屋が一晩で狩れる魔法使いは二、三体ほどだが、ここならある程度の数がまとめて狩れるかもしれない。
まぁ当然、それには『運が良ければ』という注釈がつくことにはなるのだが。
「今日はハズレかね……」
何か騒ぎでも起きない限り、魔法使いはこうして探し回るしかない。もちろん騒ぎが起きても困るのだが、出会えないというのでは商売あがったりである。公安が最近積極的に駆除しているという縄張り意識のある個体の情報なども、当然、討伐屋には上がってこない。
ノインは気だるげに肩を落としつつ夜空を仰ぎ見る。
今日の夜空は雲が多く、星のほとんどは見えない。月は雲の隙間から時々顔を覗かせているが、それもすぐに隠れてしまう。この辺りは街灯もなく、他に光源らしい光源もないので周囲は非常に暗かった。
ノインは沈んだ空に白い息を吐きかけると、再び地上に視線を戻す。
するとその時、隣にいたリリが妙にきょろきょろしていることに気付いた。
「どうした?」
「ノイン、探してる?」
「へ?」
「黒いやつ」
……たぶん、魔法使いのことなのだろう。
リリはどうやら、魔法使いを一緒になって探そうとしてくれているらしかった。
「……そうだな。探してる。ま、こんなもんは運次第だがな」
と、ノインは肩をすくめる。
するとその直後、突然リリがノインの手を取った。
そのまま、ぐいぐいと前へ引っ張ってゆく。
「おい。リリ?」
ノインが尋ねるが、リリは時折迷うような素振りを見せつつも、無言で足を進める。
すると、ある裏路地への入口で彼女は立ち止まった。そして彼女はその奥を指差す。
「……?」
だがその先には、何もない。廃墟のような住居の塀と壁が作る、ただの狭い路地だ。
「なんだよ?」
と――リリはまたノインの手を引いて、目の前の路地へと歩きだした。
いくつか角を曲がり、二人は人気のない路地を進んでゆく。
だがある場所まで来たとき、ノインは前方に人影を捉えた。
「!」
その正体に気付いてすぐ、ノインはリリと共に曲がり角に引っこみ、気配を鎮める。
そしてしばらくたって顔だけを覗かせて、前方の人影をもう一度確認した。
(……間違い……ねーよな)
視線の先にいたのは、こちらに背を向けて歩く魔法使いだった。
その魔法使いはまだこっちには気づいていないようで、そのまま路地を抜け、近くの表通りへと出てゆく。
「お前……魔法使いの居場所がわかるのか?」
ノインが驚いてリリを見ると、彼女は少し得意げな顔でこちらを見返していた。
「……朝のと同じ、音がしてたから」
「音……?」
それは、何を指すのだろうか。
単純に考えられるのは、魔法使いの声か、足音。
しかし最初にノインらが居た位置からここまでは結構な距離がある。いくら魔法使いでも、あまりに離れた地点の音などは聞こえないと言われているし、彼女がそこまでの聴覚を備えているとは思えない。魔法使いが、それこそ蝙蝠のように人間には聞こえない音を発しているなら知らないが、そんなことは聞いたこともない。
だがその疑問を解決する前に、ノインはひとまずさっきの魔法使いを片付けることにした。
リリにこの路地で待つように言って、ノインは表通りに出た魔法使いの後を追う。
魔法使いはすぐに補足できた。十メートルほど先。まだこちらには気付いていない。
ノインは静かに〈ギムレット〉を準備すると、魔法使いに近づきつつ背後から狙いをつけた。
すかさず発砲。
攻撃は完全に魔法使いの不意を突いた。
しかも弾丸は狙い通りに脳幹を破壊し、化け物を一撃で絶命させる。
そして魔法使いは倒れた直後に砂塵と化し、ペレットを残した。
「…………」
ノインはその砂塵の中からペレットを拾い上げ、背後を振り返る。そこには路地裏からひょっこりと顔をのぞかせるリリの姿。彼女はノインが手招きすると、跳ねるように走ってこちらへやってきた。
「お前、本当に何なんだ?」
「?」
その問いに、彼女は小首をかしげる。
「……ま、どうせ聞いてもわかんねぇか」
そしてノインは、屈んで彼女と目線を合わせた。
「けどサンキュな。おかげで一体見つけられた」
「♪」
リリはその言葉に、嬉しそうにした。鼻息も荒く両拳を胸の前で構える。
やる気全開、そんなジェスチャー。
――と、そこで突然、彼女は身を翻して全速力で走り出した。
「へ?」
リリの行動に、ノインは一瞬反応できなかった。
だが彼女の様子から、次の魔法使いを探すつもり――あるいは既に察知したのだろうかという予想はできた。そしてそこから数秒遅れで、今度はこちらの体は置いてきぼりらしいという事実が脳内を巡る。そこで我に返ったノインは――当然慌ててリリを追った。
「おい! こら! リリ!」
魔法使いに見つかっても厄介なので、ノインは抑え気味に声を飛ばしつつ、走る。
しかし彼女は速かった。これも魔法使いの力を持つがゆえの身体能力なのだろうか、ノインと彼女の距離は瞬く間に離れていく。一瞬出遅れただけなのに、ついにノインの目には曲がり角の度に踊る灰色の髪先しか見えなくなった。
(ったく子供ってのはスイッチ入ったらなんでも全力だよなっ……!)
そのスイッチを入れたのは自分なのだろうが、そこは無視してノインは愚痴る。
だが、ノインの予想に反して、この追いかけっこは早々に終わりを迎えた。
「ん?」
走り出して数分としないうちに、ノインは大通りの交差点前で立ち止まっているリリを見つけた。そして彼女はノインが追いついたと見るや、目深に帽子をかぶり、何かから逃げるようにさっとノインの背中に隠れてしまった。
「なんだ? どーした」
息を整えながらノインは彼女に聞くが、リリは無言だ。
だがその時、交差点の先から姿を現した男二人を目にしたノインは顔をひきつらせた。
どうやらリリは、彼らを見つけて驚いたらしかった。
(……なんでこんなとこに……)
黒のトレンチコートと、そこから覗く紺瑠璃の制服。片方は制帽を被っていなかったが、その二人は間違いなく公安官であった。
「ん? こんな夜にがきんちょ連れて何やってんだ?」
口を開いたのは制帽を被っていない方の公安官。けして親しげな声音ではなかったが、彼の声には変な馴れ馴れしさがある。
年齢はノインと同じくらい。ただもう片方の公安官と違って、こちらはどうも雰囲気が軽薄で、非常にらしくない公安官といえた。そう思えるのは、耳のピアスやら、だらしなく着ている制服やら、身なりに関するものが原因だろう。
だがそんな彼をしり目に、今度は実に公安官らしい公安官が口を開く。
「私たちは特殊生物対策課所属の公安機動官です。場所は理解しているつもりですが……少々話を聞かせてはもらえないでしょうか」
最後の一言は、リリと自分を交互に見て。
何か、事件の匂いを嗅ぎつけたような雰囲気である。ヴェストシティに住む幼気な少女を誘拐したとか思われているのかもしれない。
こちらの公安官はノインよりも年上だろうか。制服もきっちり着ていて、制帽の裾から覗くブロンドの髪もさっぱりと整えられている。もう一人とは真逆の雰囲気だ。
そしてその男は、公安手帳をノインらに掲げて見せた。所属の欄にはイースト二番公安署特殊生物対策課、名前の欄にはセルジオ・マックフォートとある。
特殊生物対策課の公安官――ノインらと同じ魔法使いを狩る者たちである。その役職を考えれば彼らがここにいるのも一応納得はできるが、なぜよりによって今日出会うのか。
「いや、まぁ俺はその、討伐屋でな……」
しどろもどろになりながらも、ノインは先の質問に答える。
そして言ってから、討伐屋と正直に名乗った自分自身を胸中で殴り飛ばした。
「へぇ、なるほど。討伐屋ね」
そう言ったのは、公安官らしくない公安官。
すると彼はノインに右手を差し出した。
「俺はロイだ。ま、討伐屋ってんならお仲間ってわけだし、なんかの縁だ。よろしくな」
「……おう……」
ノインはおずおずと彼の手を握り、握手を交わす。
友好的、と言っていいのかは知らないが、公安官としては少々珍しい態度である。
そしてロイは、今度はノインの後ろに隠れたままの少女をちらりと見て言う。
「けど、仕事にガキ連れてくるのは感心しねーな」
「あ、ああ。そうだな……」
返しながら、ノインは背中に冷や汗が伝うのを感じていた。自分がロイと会話している間も、セルジオは無言でノインとリリの二人を見据えており、その視線が痛い。
絶対、怪しまれてる。
だが、そう思った矢先のこと。
突然リリがノインのコートをくいくいと引っ張った。見ると彼女は上空を見据えている。
そして一言。
「いる」
その言葉と、感じた気配に従って、三人は同時に動いた。
セルジオとロイはその場からバックステップし、ノインもリリを抱えて後ろに退く。
直後、上空から黒い塊が落ちてきた。それは地面をえぐる勢いで着地を決め、首をもたげる。
「魔法使い……!」
どうやら近くの建物の上に隠れていたらしい。もしかしたらリリはこれを探知していたのかもしれない。しかしノインは、眼前の魔法使いの姿に目を見張った。
「赤い……目……?」
遭遇した魔法使いは、顔の正面に一つの赤い光を持っていた。それは瞳のようだったが、通常ならば、魔法使いの瞳は注目状態でなければ外へ出てこないし、こんなに赤くもない。
「……なんか昨日から変なの多いな」
後ろに目があったり、死にかけていたり……そして今度は赤い目ときた。
目の前の魔法使いはやはり『特殊個体』なのだろうか。
特殊個体――通常の魔法使いの範疇に収まらない突然変異体。ノインとしてはそんな特殊個体にいい思い出など、全くない。
ノインはリリを庇いつつも、銃を抜き、戦闘態勢を整える。
しかし、セルジオたちは既に動いていた。ノインより先に銃を抜いていた二人の公安官は、ノインらを射線から外しつつ、赤い目の魔法使いに対し銃撃を浴びせる。
「やぁっと見つけたぜ! 縄張りだかなんだか知らねぇが、ちょろちょろ移動しやがって!」
銃撃の中、ロイが叫ぶ。
すると魔法使いは近くにあった建物の壁を使って上空に飛び上がり、ロイに急襲をかけた。
トリッキーな攻撃だ。
しかしロイはこれを易々と回避し、お返しにと、着地した魔法使いの足を的確に撃ち抜く。
「討伐屋ァ! 逃げとけ! こいつは俺らの獲物だ!」
ロイは叫ぶと空になった弾倉を素早く入れ替える。
「おら! プレゼントだ!」
ロイの声と同時に響く、今までとは微妙に違う火薬の炸裂音。
弾種を変えたのだ。おそらく、ナハトレイド。
着弾。
必殺の弾丸は、的確に魔法使いの頭部ど真ん中を撃ち抜いた。魔法使いはその一撃でのけ反り、足のダメージを回復しきっていないせいか、踏ん張れずにそのまま地面に倒れ込む。
「うし。これで――」
勝利を確信し、ロイは銃口を下げる。
だが直後、魔法使いはむくりと起き上がると、頭部から流れる血で魔法を発動させた。そして、それで作り出した巨大な黒い棘をロイに向かって投擲する。
「!」
油断していたロイに、躱す術はなかった。
彼の腹部には、黒い棘が深々と突き刺さる。
そしてロイは、投擲された棘の勢いを殺し切れず、体をくの字に曲げて後方へ吹っ飛んだ。
彼は背後の古びた木製家屋の壁をぶち破って、そのまま中へと姿を消す。家屋の壁には大穴が開き、中からは複数の建材が折れ、倒れる音が響いた。
「ロイ!」
セルジオが叫んだが返事はない。
ノインは魔法使いに目を向ける。するとそこにはナハトレイドで撃たれたはずの頭部を順調に再生している化け物の姿があった。しかも修復されかけている頭部からは黒い血が流れており、その血は、一部が先ほど発揮された魔法の余波で歪に凝固している。
「どーいうこった……」
ナハトレイドを受けていながら、平然と立ち上がる魔法使いを見つめ、ノインは呟く。
ロイが撃ったのは確かにナハトレイドのはずだった。セルジオという公安官が驚愕の表情を見せていることからも、それはわかる。
つまりこの魔法使い、ナハトレイドが効いていない――。
だがその時、セルジオが独りごちた。
「……またか」
「また、だと?」
ノインの言葉に、セルジオはちらりとこちらを見て、
「……こんな目はしていなかったが、ナハトレイドが効かない個体と昨日戦ったことがある。結局そいつは逃がしたが」
(……昨日……?)
そこで思い出すのは、攻撃を受け、逃げてきたような様子の魔法使い――リリを連れていた魔法使いだ。そしてセルジオは続ける。
「昨日の個体と同じような特性を持っているとすると、まずいかもしれん」
「まずい?」
「……討伐屋、すまない。しばらくの間、私が魔法使いを引き受ける。ロイの救助を頼めるか」
第一声よりいくらか朴訥に感じる言葉遣いだったか、本来こちらが彼の素なのだろう。そして言うが早いか、セルジオは懐から小さなスプレー缶のようなものを取り出した。
それが何であるかを予測したノインは、背後にいたリリを伴い、全力で離脱を試みる。そしてすぐさま、ノインは壊れた窓から近くの廃屋の中に飛び込んだ。
直後、セルジオが投げたフラッシュバンが炸裂する。
「っ――!」
ある程度離れていても、瞬間的に発せられる百七十デシベルの音は耳に痛い。
音が収まって周囲を見ると、建物の外では、セルジオと赤い瞳の魔法使いが戦闘中だった。フラッシュバンはしっかり効果を発揮しているらしく、赤目の動きは鈍い。
「……ったく、まだ引き受けるって言ってねーのに……」
言いながら、ノインは交戦中のセルジオと、ロイがいる家屋とを交互に睨む。
しかしロイが大怪我をしているのは確実だ。協力する義理はないが、このまま見捨てるというのも後味が悪い。
「あー、チクショウ!」
ノインは決心すると、リリを連れてその場から動く。
そして彼女の安全は最優先としたうえで、ロイのいる家屋へと向かったのだった。
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